第35話 vs.オリオン・サイダー(4)
4.
鳩原那覇には魔法が使えない。
それは一瞬のあいだに魔力を魔法にできるほどの魔力を出力できないからである。霞ヶ丘のように魔法を作っておくことはできる。少しの魔力を流すことで、あらかじめ用意されていた回路を辿り、動作する――そういう魔法。
『遺物』の多くはこれらの性質を持つ。
ダンウィッチ・ダンバースの手元にあるのは、一冊の古ぼけた書物だった。
ダンウィッチはこちらの世界で生きていないので、魔法を使うという技術を学んでいない。それでも――魔法学校の図書館に一ヶ月通い続けて、魔法使いたちと関わり、図書館で自習をしてきたダンウィッチは魔法についての基本を理解していた。
自分の内側から魔力を出力することはできない。
だけど、この『遺物管理区域』には魔力が充満している。それは荒廃した魔力だが、その性質は魔力そのものである。
ほとんど感覚的に――その周辺にある魔力を代替して、『遺物』を作動させた。
オリオン・サイダーはダンウィッチの存在に気づいていなかった。
だけど、感じた。
足音を消しても、気配を消しても、動作を消しても――魔力ばかりは消せない。
ましてや魔法なんてものに欠片も馴染みのないダンウィッチの使った魔法だ。
その魔力の動きによる異変を、いち早く感知したオリオンは――杖をその感じたほうに差し向けた。
杖の先端に魔力が込められて、放たれるまでにかかる時間は一瞬である。
その魔力の動きに対して、ダンウィッチの使った魔法が反応した。
ダンウィッチが手にしていたのは、『
魔力に感知して、その魔力の対象者の首を絞めるという作用を引き起こす。これは魔女を処刑する際に
十五世紀から十八世紀に魔女狩りの時代に大きな影響を与えた『遺物』である。これには魔女に関する知識と、魔女裁判を都合よく行うための方法が記されている。
魔女狩りの時代の最盛期であった十六世紀頃にこの『遺物』に記された魔女裁判が実行された。その方法通りに行ったとき、もし――本当に魔法使いが紛れ込んでいたとき、魔法を使って抵抗する可能性がある。
魔法が使えない審問官でも遂行できるようにこの『遺物』には魔法が組み込まれている。
最低限の魔力を込めながら『悪しき魔法使い』を殺す――その最低限度の魔力で発動する魔法。
そうして多くの無実の人間を処刑に追いやった。
『鉄槌』――それが、魔力に感知して首を締め上げる魔法である。
最盛期には多くの人間を処刑した『遺物』ではあるが、こんな中央フロア付近に何冊も保管されているのは、その危険性の低さが
「ぐっ――」
首が引き締められるオリオン・サイダー。
それと同時に暗闇から飛び出してきたダンウィッチは一気に間合いを詰める。
ひと息でオリオンを制圧しようとした行動だった。
だけど、『魔法を使う』というのをあくまで感覚的にコツを掴んでやっているだけのダンウィッチに対して――
距離を詰めて――懐に飛び込んだときには、既に『鉄槌』は解除されていた。
これはダンウィッチが解除したわけではない。
『鉄槌』は有名な『遺物』である。
対策は簡単で、魔力を発生させないことである。この『遺物』が猛威を振るったのは、魔女裁判にかけられて逃れられない状態になったときである。
『鉄槌』が猛威を振るったのは、魔女狩りの時代だからこそ――だ。
『鉄槌』は一度魔力が途絶えると、魔法の効力が終わる。
持続時間の短さ――というよりも、首を締め上げて殺すという性質は、魔女狩りに関する
瞬殺が想定されている。
それでいて、戦闘は想定されていない。
出力しようとしていた魔力を感知されているのだから、それを一度、やめればいい。
その瞬間に『鉄槌』は停止する。
魔力を感知できていないのだから、現象を起こすことができない。
間合いを詰めてきたダンウィッチはそのまま腕を掴まれて、放り投げられた。
周辺にあった本棚に身体は衝突して、
放り投げられたダンウィッチは立ち上がったが、オリオンのほうを向き直すことはしなかった。
泡に塗れた床の上を滑りながら、中央フロアからほかの区画に伸びている廊下を滑り込んで行った。
(逃げられた――)
たん! とオリオンは床を蹴った。
(いえ、何か狙いがあるみたいね)
たたん、と更に加速するオリオン。
ダンウィッチは通路を走っていた。先ほどの消火で広がった泡と炎が行き届いていない区画である。
そのダンウィッチのすぐ傍らに追いついてきたオリオン。
ダンウィッチには何か狙いがあることは既に察している。その目的が何であれ――止めればいい。
ダンウィッチの腕を掴んだ。
ぐいっ――と、まるでダンスでも踊るみたいに引き寄せた。
そのダンウィッチの顔面に――手のひらが差し出されていた。
――――ゴッッ! と至近距離で魔力放出を受ける。
ダンウィッチの身体は頭を軸に一回転してそのまま数メートル床の上を転がっていく。
やり過ぎたと思わなくもなかった。
だけど、普通なら首から捩じ切れておかしくないはずなのに、ダンウィッチは床の上に仰向けに倒れて、呼吸をしていた。
(……あり得ないわね)
落ち着いて考える。
そんなあり得ないことが起きたからには、『何か』したはずだ。
(何かで防いだ……?)
魔力を放出した瞬間に、少し違った手応えがあった。
「――――『■■■■』」
ずたずたになって仰向けに倒れているダンウィッチは吐息混じりに呟いた。
それは何を言っているのか聞き取ることができなかったが、周囲に変化が起きた。
ダンウィッチの指先には玉虫色の
この空間を満たしている荒廃した魔力――
ぼこぼこぼこぼ――と周囲の空気が一変する。
ダンウィッチの指先の『泡』がひとつからふたつに、ふたつが四つに、その泡から泡が出現していく。
中央フロアを
禍々しい玉虫色。
極彩色の泡の
「…………これは」
オリオンは無意識に一歩だけ後退りしていた。
指数関数的に増殖を繰り返した極彩色の泡は、ダンウィッチに集まっていく。
泡が形成したのは触手のようなものだった。
(なんだこれは……魔力を感じない?)
あれは……何?
わからないものが、そこにある。
(……ハウスさんがやられたのを変だとは思っていたけど)
オリオンは思考する。
(あの魔女から魔法使いの癖が感じられない)
それはつまり、魔法使いではないということ。
だったら何だ? あの存在は何者だ。
結局のところ、そこに
そんなとき、ダンウィッチをじっと見つめて、ふと考えたとき、
(あっ――)
と思った。
ずきん……。
オリオンは握り
痛み……。何かに気づきかけた。
これは気づいてはいけないものだ。
この頭痛は、知性による生存本能だ――と感じた。
一年前。
フレデリック・ピッキンギル先生の授業で聞いた言葉を思い出す。
あのとき、挙手をして聞いたことを思い出す。
『一度でも目が合ってしまえば、もはや、どうすることもできない』――。
考えてはいけない。
そういうものが存在するということ。
だけど、人間は潜在意識で思考を進めてしまう。
その先にあるのが、何なのか。
天使や悪魔、あるいは神という表現を駆使していた。
許容量を超えていけない。
(いいや……これ以上、わかっちゃいけない)
そうなる前に――気づいてしまう前に止める。
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