ん、それは梅やない蝋梅や?
「そんなかわいそうな話があったんですよ小袖さん」
客人はその日も昼間から呉服屋に入り浸っていた。
「まあ気の毒にねぇ」
「でしょう?」
「今度さとるちゃんも誘おうかしら、お茶会」
「ああいいですね」
少し肌寒くなった季節に小上がりで火鉢にあたりながら頂く茶菓子は、冷めきった客人にもなんだか特別に感じられた。
「でも落雁とか好きかしら」
「どうですかね。あ、そしたらみたらし団子持ってきますよ。今度峠の茶屋行くんでその時にでも」
「まあ大変じゃない?」
「いえいえ」
「あ、もしかして。誰かと待ち合わせでしょ」
「ああ違います。全然そんなんじゃ」
客人は顔の前で手をひらひらさせると続けて言った。
「ちょっと行って見てくるだけで」
「あら何を?」
「ほら、この前の話」
「この前ってさとるちゃんのこと?」
「ええ。結局あれからさとるくん、そんな人影一度も見てないっていうし。当の本人も『俺に双子なんていねぇや!』の一点張りでしょう? あとはもう目撃現場を確かめるくらいしか」
「ほんとにいないんじゃない?」
「そこなんですよ――」
ふいに鼻をかすめたほんのり甘い香りに気をとられて、客人は桜色の落雁をつまむ手を止めるや辺りをきょろきょろと見回したが、結局、文机の上にも暖簾の脇にもそれらしい花瓶は見あたらなかった。
「あれ……?」
それどころか、うつらうつらしているうちに手の内の落雁は消え去っていた。
「ぼうっとしてるんだもの。これわたしのお気に入りなの。和三盆」
小袖は落雁を二つに折って見せた。中にはやや茶色がかった断面が見える。いつか桜色の和三盆は小袖の手の内に瞬間移動していた。
「頂いていいかしら?」
かすめ取ってもいいかしらの間違いではないかと客人は思ったが、彼女がそこまでいうならとそのまま好きにさせておいた。
「小袖さんてしたたかですよね」
「あらそう? ふふ、嬉し」
桜色の和三盆のほのかな甘みが小袖の口の中いっぱいに広がるころには、ほんのり甘い香りにうつつを抜かしていた客人の夢も完全に覚めていた。
「それでさっきの話」
「増田様ね」
「ええ。実際、双子じゃないんでしょう。生き別れた兄弟がなんて話も全然出てこなかった」
「あら、やっぱり」
「でもですよ、だったら誰がそんな瓜二つの姿をしてこの江戸の町を出歩いてるっていうんですか?」
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