エスパニョール・デル・プエブロ①

 今宵の晩餐にて作られる四種のスペイン料理たちを説明しよう。

 まず一つ目、パエリアは世界的に人気のある料理である。パエリアと聞けば海老やイカ、アサリなどの魚介類、赤と黄のパプリカに黄色いサフランライスで添え物としてレモンが置かれるというのが一般的だろう。

 ところがバレンシア地方で、九世紀ごろから食べられていたパエリアの原形である料理のパエージャ・バレンシアーナは、農民や猟師が米と一緒に狩った動物を煮込んだ料理が始まりとされる。具材はウサギやニワトリなどの獲物、魚介ではなくエスカルゴ、野菜はインゲンマメ、パプリカなどの具材が主だった。調味料も塩とサフラン以外は入れず、素材の味を際立たせる素朴な料理なのである。

 今回里藤が作るのはチキンとパプリカとインゲンにミニトマトとパエージャに近いパエリアだ。理由は簡単で、もらった海産物に貝類がなかったからである。料理上手な里藤でもない袖は振れないのだ。


 つづいて二つ目、パタタス・ブラバス。これはバルセロナの名物料理で、素揚げしたじゃがいもにブラバスソースをかける小皿料理、現地の言葉でいうところのタパスの一種である。

 タパスを説明するのはスペインの文化から説明しなければならないので割愛させていただくが、イメージとしては日本人の文化に合わせるならば夕食前のポテチといった料理だと思ってもらって構わない。


 三品目、ガスパチョ。現代ではいわゆるトマトを用いた冷製スープのことを差す。

 ガスパチョは硬くなってしまったパンと様々な野菜を加えて酢、オリーブオイル、ニンニク、塩で味付けしてすり潰した、例えるならば元祖スムージーである。もちろん、野菜やパンを角切りにしただけですり潰していないものも存在する。このように、色々なガスパチョが存在し、家庭によって別の顔を持つスペインの家庭料理だ。


 最後に四品目、アヒージョ。こちらもスペインで代表的な小皿料理タパスであり、オリーブオイルで肉、野菜、海鮮などを煮て具材と共にパンをオイルに漬けていただく料理である。日本語ではアヒージョという名前は料理名と一緒にされがちだが、スペインでは食材名の後にアル・アヒージョを加えて料理名になる。今回里藤が作るのはブリをメインにしているので形式にのっとると『コラ・アマリーア・アル・アヒージョ』と呼ぶことになる。


 以上四種を夕食とすることに決めた里藤は手始めに厨房の床下食糧庫から食材を取り出した。一抱えの食材を一気に取り出すことは考えて設計されていない食糧庫の階段が地味に里藤の腰にダメージを与える。いつか利便性のいい形に作り変えるとイラつきながら里藤は二往復して食材を調理台に広げた。


 最初に里藤が手をつけたのはガスパチョの野菜たちである。トマトを一五ミリ、玉ねぎやピーマン、きゅうりはその半分のサイズで角切りにしていく。手慣れたもので正確無比に規定のサイズからさして外れることもなく角切りにされた野菜が量産されていく。大きめのボウル一杯にカットされた野菜たちへ塩、ワインビネガー、オリーブオイルを混ぜたものを注ぎ、温度の低い食料保管庫でマリネする。食料保管庫は十畳ほどの大きさで、奥に行けば行くほど温度が低く、最奥に至ってはギリギリ氷が作れるか作れないかの低温だ。そこまでマリネするための野菜を持っていくと駄目になってしまうので、里藤は最奥から少し手前の三度ほどの位置にある整理棚に布巾をかけてボウルを置いた。

 ガスパチョの大部分の調理を終えた里藤が食糧庫から調理場へ上がると、そこには風呂で汚れを落としたクアッドが既にオリーブの実を加工していた。


「早かったな」

「リトーの作ってくれた石鹸で身体をゴシゴシ擦らなくても汚れが落ちるようになったからな。浴びて落として即着替えよ!」

「いや身体拭け」


 里藤は麻で出来た貫胴衣を身に纏うクアッドの額を小突き、アハハと笑う彼の手元を見る。職業軍人というだけあってナイフの扱いは見事なもので、テキパキと搾油に不必要なオリーブのヘタや種を取り除いてサイドテーブルの上にあるボウルに投げ入れていた。これなら今日でオリーブオイルを使い切ってしまっても構わない量が搾油できるなと、里藤は計算した。


「あの石鹸ってやついいよなぁ。量産出来ねぇの?」

「毎日朝起きてから夜寝るまでオリーブとデートしたいのか?」


 ボウル二個分のオリーブ、重量にして四キロのそれからオイルを抽出しても、出来上がるのは二〇〇ミリリットル程度である。そのオイルを加工完了するまでに二時間、抽出・分離などの時間を含めると二日かかる。そして、里藤が作製した液体石鹸を作るのにその分量を使用しており、屋敷のみんながこぞって使うので既に容器に並々と入っていた石鹸は底をつきかけている。それほどまでに需要がある品なのだ。つまり、石鹸づくりに手を出してしまえば里藤は料理人から石鹸職人にジョブチェンジしてしまう。故に里藤は量産は自身の手では不可能だとボヌムに既に断りを入れていた。

 だが、現実的ではない量産計画にクアッドが食い下がる。


「そりゃ嫌だけどよ。量産出来たら金になるんじゃねぇかなって俺の頭でも思うわけ」

「確かにファヘハット辺境伯領ではオリーブを始め、アボカドにアーモンド・月見草・椿・ヘーゼルナッツと石鹸に向いた食用品が多く採れる。石鹸を広めれば一大産地に躍り出ることができるだろうな。だが」

「だが?」

「そもそもオイル以外の材料も俺が用意しているんだぞ? 専用の設備を立てるにも大掛かりな工房は財政的に厳しいし、信用できる人手も確保できない」


 石鹸づくりに使用した苛性ソーダは里藤が錬金球を使って灰から抽出したものである。とてもじゃないが、錬金球に使用制限時間がある人間たちでは文字通り死人が出る作業になってしまうのである。


「設備はともかく、領都は人の出入りが激しいもんなぁ」

「石鹸を作る原理は簡単だ、見ただけである程度わかるほどにな。目の効くスパイに潜入されたら一発でパクられるだろうよ」

「ままならねぇなぁ」

「ま、世の中簡単に稼げるようになってねぇってこったな」


 カカカッと笑って里藤はイワシに手を伸ばした。


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