思考錯誤
日が中天に差し掛かるころ、里藤は様々な雑事を終えて一時の休息を得ていた。
椀に注いだコーンスープを匙も使わずに直接啜りつつ、現在直面している進行しなければいけない最も重要な仕事をランク分けして思い浮かべる。
最重要なのは調味料作り、日本人なら誰もが知っているであろう基本の「さしすせそ」である砂糖・塩・酢・醤油・味噌。このうち、すぐに用意できるのは砂糖と塩のみである。
塩はモトルに存在してたので当然として砂糖はどこからもってくるのか。答えは野菜屋で飼料として投げ売りされていた甜菜が答えである。
甜菜、別名サトウダイコンとも呼ばれるそれから砂糖が取れることが発覚したのは一七四五年。ドイツの化学者が飼料用の甜菜から砂糖の製造試験に成功し、かのナポレオンの戦争行動により大陸封鎖されたことが原因で現地に広まったのが始まりであった。
閑話休題、砂糖と塩は現状でも用意できるが、酢と醤油と味噌はそうもいかない。彼らを製造するには米麹という酵母が必要なのである。現代であればスーパーに安価で売られているそれらはゼロから作ろうとすると意外と面倒で、まずはおかゆを作りカビを培養することから始めなければならない。いかに里藤の料理人としての腕がよかろうが、時間でしか解決できないことはどうしようもない。里藤本人もしばらくの間は塩と砂糖と酢の代替品のワインビネガーで基本の味付けをやりくりしなければならないことは覚悟していた。
調味料の問題を確認したところで、オヴィニットと約束していた酒の話を履行するために本日から動くことを決めていた。
つまり、まもなく正午になるであろう今日中に里藤は、おかゆを作りカビを生やす準備をし、早朝に大量に買い付けてきたリンゴでシードルを醸造する準備をしなければならず、さらには夕食を準備する必要があるのだ。
簡潔に示すと、本日の里藤はとても忙しいのでこの休憩が寝るまでにとれる最後のまともな休み時間になるであろうことは間違いないということであった。
◇
「邪魔するぜー……うわ、なんじゃこりゃ」
ディミトリが行う鬼のしごきから自身の隊員を生贄にして逃げてきたクアッドが厨房を訪れると、そこには里藤の手によってカットされつくしたリンゴの山があった。
作業台一杯のリンゴの山にクアッドは圧倒され、口をパクパク開閉させながら里藤に向けてこの惨状について問うた。
「なんだこのリンゴの山は!」
ぐったりとしている里藤が、目頭を揉みつつ答えた。
「仕込みだ。手伝えクアッド、自由に使っていいとオヴィニットさんから伝達があった」
「えぇ……俺は食うの専門みたいなところがあるんだけどぉ」
「逃げたらディミトリのしごきが倍になると伝えてくれとも言っていた」
「誠心誠意手伝わせていただきます」
「よろしい。おまえが頑張れば頑張るほど美味い飯にありつけるぞ」
そういってワイン樽にリンゴを入れていく里藤にクアッドが訊いた。
「こんなにリンゴを切って、なにに使うんだよ? 切っちまったらすぐに痛むぜ」
「酒を造る。その前準備だよ」
カットリンゴの入ったワイン樽へ、事前に煮沸消毒したところどころに穴が空いた木製の落とし蓋と重石を里藤はのせた。蓋の座りが悪いので樽を軽く揺すると、隙間にリンゴが詰まって平行になった。
「まさか、搾汁機がないとは思わなかった」
「あん? そんなもん飲み屋に行けばあるだろ」
なにいってんだこいつと言いたげなクアッドの胸倉をガッと掴んで里藤は訊いた。
「あるのか」
「お、おう。なんならウチにもあるぞ。一階が酒場だから、ミードを自家生産の果汁を割るときに使うからな」
「もってこい……」
「いや、でも仕事に関わる道具だからさ」
「新しい酒を卸してやると伝えろォ……」
「怖い、怖いって。わかったからっ」
里藤の手から逃れたクアッドは、逃げるように厨房の外出入口から飛び出していった。
その姿を見た里藤は、よしと頷いて仕込みの準備を続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます