蒼天を仰ぐ

菅原暖簾屋

新たなる職場は植物の国

ヨハネスブルグ→

 ヨハネスブルグ。世界でも有数の犯罪都市と呼ばれるこの場所で、背中にリュックサックを背負ったいわゆる醤油顔の男と、腹が少し前に出たTシャツ短パンの男がぎゃあぎゃあと大声で叫びながら街灯に照らされた人通りの少ない道をひた走る。彼らの背後には、ロシアが生んだ名作アサルトライフルをときおり二人に向けて放ちながらゴロツキが大声で叫んでいる。ひどい訛りで外国人の二人にはなにも理解できないが、ろくでもない罵りであることは間違いないことは確信していた。


「はっはー! オイ見ろよジョン、往来でアーカーなんて振り回しているぜ!」

「笑ってる場合かリトー! クソっ、お前が死ぬのは勝手だが俺まで巻き込んでくれるな疫病神が!」

「わりぃわりぃ、そんじゃここらで別れるべ。お前が左な! 俺が右に行くから死んでも化けて出んじゃねぇーぞ」

「あああああ! この●●●●! ●●●●! ●●●●!!」


 ここ二週間連れ添った白人の中年が抜き打ちで九ミリの鉛玉を背後にバラまきながら汚いスラングを里藤にぶつける。

 そのさまを笑って流し、里藤は丁字路になっている道の行き止まりを右に曲がる。衝撃。里藤は明かりのない道を全力で走っていたせいか、目の前に何かがあることに気づかなかったのか結構な勢いで衝突してしまった。

 ぶつかった勢いで尻もちをついた里藤は低い声で呻きながら前を見据える。そんな彼の目に飛び込んできたのは古典的なレンガ造りの壁。レンガ造りの壁などヨハネスブルグでは見たことがない里藤は呆然とした顔で壁に触れ、その瞬間自身が追われる身だったことを思い出し背後へ振り返る。


「……どうなってやがる」


 里藤の背後にはヨハネスブルグの空から飛んでくるLEDの光も小鳥のさえずりより煩わしかった発砲音も存在しなかった。





 おかしな話であると、背中から下ろした中身の詰まった八〇リットル容量のリュックサックを肘掛け代わりにして里藤は地べたに腰を据えて、ここ数日間で少し伸びた顎髭を弄りながら考える。

 里藤がほんの数分前までいたのは南アフリカ共和国のヨハネスブルグ、近代化の代償に劣悪な治安状況になってしまった都市。そこで里藤は次の国への旅資金を稼ぎがてら適当な店で料理人をしていたのだが、勤務中に料理を粗末にしたギャングを血祭りにあげてしまう。だがその報復でアサルトライフルを装備したギャングたちに反撃されたのがこの場所に至るまでの経緯だと自身の中で回想して頷く。

 思えばヨハネスブルグはとんでもない治安の町だったとヘラヘラ笑いながらリュックを背負いなおして、先ほどとは変わってしまった地面むき出しの道を里藤は歩き出す。命の危機など日本を飛び出してから何度も経験してきた。里藤がそのたびに学んだのは動かないより動いた方が事態は好転するということである。

 ギャングとの命のやり取りから離れアドレナリンが切れた今、里藤は全身に気だるさを感じつつ歩を前に進める。歩き始めて数十秒ほどすると両側で続いていたレンガの壁が途切れ、里藤の視界には月明りで照らされた古ぼけた中世のヨーロッパじみたレンガ積みの家々が立ち並んでいた。これには旅先での信じられないような状況に慣れた里藤でも思わず額に手を当てる。


「どうなってやがる……」


 里藤は、ぼそりと呟くしかなかった。


 月明りしかない見慣れぬ街を歩く勇気がなかった里藤は、先ほどまでいた袋小路に戻り、再びリュックサックを地面においた里藤は壁を背にして力なくこめかみを揉む。そして、誰に聞かせるでもなくポツリと一言一言現状が口から漏れ出す。


「どう考えてもよ、ヨハネスブルグじゃないわな。そもそもこの暗い中に電気の一切見当たらない集落なんて世界中を見渡してもそうないぜ。って、誰もいないのになに解説しているんだ俺は……」


 突然の人智を越えた不可思議な現象に混乱していることを自覚した里藤はごろりと地面に横になる。土がむき出しであることなどお構いなしでリュックサックを枕にした里藤は目を瞑った。寝るのである。これに勝る解決法を里藤は持ち合わせていなかったのだった。

 地中からくる底冷えに身を震わせて不意に里藤は目覚めた。周りを見渡すと夜は明けており、いつもとかわりない太陽が曇りない空を照らしている。野外で対策なしに眠ったツケである体の冷えに歯をカチカチと鳴らしつつ里藤は荷物を背負いなおし、前回通ったときとは違うハッキリと人の歩いた形跡のある道を歩き出した。

 数分ほど歩き、昨日と同じだが見え方の違う景色を里藤の目が捉える。なかなかどうして立派なレンガ積みの家々が立ち並んでいる風景は里藤が以前訪れたフランスの農村を思い出させる。


「フランス積み……か。割とありふれた積み方だ、現在地の特定なんざできないな」


 里藤はボソリと呟いて手近にあった住居らしき建物の外壁をなぞる。フランス積みとは一つの段の中に長辺と小口を交互に積むレンガ建築の技法であり、全ての段に長辺と小口が互い違いに並び見た目が美しく仕上がることが特徴だ。日本では明治時代に建築された世界遺産である富岡製糸場もこの技法が使用されている。

 閑話休題、フランス積みは世界でも広く知られている。故にこれ一つで場所の特定などできようこともなく、里藤は無意識のうちにレンガを擦っていた手を止めて辺りを見渡す。朝も早いからか人通り自体は少なかったが、それでも最低限の往来がある通りを見つけることができた里藤はそちらへ向けて進もうとした。


「待ちなさい。君が通報にあった妙な身なりの旅人だね?」


 しかし、背後から威勢の良い声で話しかけられ、足を止めた。

 出鼻をくじくように里藤とその通りへ向かう道の間に簡易的な紺の皮鎧を装備した大男が立ちふさがる。その男は青色の瞳で里藤を貫いてくる美形で、金糸の髪を頭部に張り付けたいわゆるオールバックの髪型をした偉丈夫だった。背中には身の丈より少しばかり短い槍を装備していて、ロールプレイングのデジタルゲームで衛兵と言えば、このような成りだろうと里藤はどこか遠くで納得してしまった。

 それはともかく、里藤にとってこれは渡りに船といったところか、目の前の男があきらかに日本語を話していることなどどうでもいいとばかりに一歩踏み出し男との間を詰めて、訊く。


「お兄さん、ここはどこか教えてもらってもいいかい?」


 今、一番聞きたいことを里藤は普段より一回り大きな声で尋ねる。男性は里藤が起こした突然の行動にたじろぎながらも答える。


「ここはリースムガル帝国ファヘハット辺境伯領都であるモトルだが……その出で立ちといい、なにか事情があるようだね。往来で話すのはなんだ、警備兵の詰所までご一緒願えるかね」


 と、いって里藤の右手を取って歩きだす。丸太のような腕で強く手首を引っ張られた里藤は、体勢を少し崩しながらも大人しく彼に付き従うほかなかった。


「それで、気づいたら別の場所にいたと」

「傍目に聞いたら何言ってるんだって思うだろうけど事実なんだなこれが」


 ボールドと名のった男と共に詰め所にてリュックサックの中身を広げた里藤は、調書を取るかたわらにボールドが提供してくれた灰色に濁りきったドリンクを啜りながら軽口を叩く。


「身に着けた衣服はまったくもって見たことのないものだ。だからといってなにかおかしなところがあるってわけでもない、所持品も不審なものはない……一つを除いてだが」


 そういってボールドが視線を向けるのは、布巻のナイフスリーブに包まれた里藤自前の包丁たち。料理人にとって自身の命ともいえるそれらだが、警備兵たるボールドとしては妙な身なりの男が刃物を複数所持しているというだけで看過できるものではない。里藤も重々そのことを承知しているため強く食って掛かることはしない。


「君は料理人といったが……料理人とはこれほどまでに多くのナイフをそろえる必要があるのかい?」


 ジロジロと包丁を一本一本手に取って見つめるボールドに里藤はニヒルな笑みを浮かべながら答える。


「当然さ。肉、魚、野菜、それぞれによって使い分けるのがプロだからな」


 そういってナイフスリーブから三徳包丁を取り出してボールドに手渡す。

 ボールドは三徳包丁を舐めまわすように観察し、丁寧な所作で里藤に返却する。


「すまないが料理に関してはてんで素人でね。これらのナイフには何か違いがあるのか?」

「もちろん。この三徳だけでも俺は両刃と片刃を揃えている、刃先の方から見てくれ、微妙に形が違うだろう」


 ボールドは再び差し出された包丁をよく見比べると確かに微細な違いがあることを確認できた。この微妙な差が料理人にとって大切なことなのだろうと彼は納得して頷く。


「なるほど、これだけのナイフを揃える意味は理解できたよ」

「そいつはなにより……まぁ、だからといってすぐさま解放ってわけじゃないんだろ?」

「さもありなん。残念だが不法入国者かつ、料理人とはいえ刃物を複数所持していた君をお疲れさまでしたさようならとはいかん。とはいえ、処分は即断即決とはいかないのでな。すまないが、今日一日は牢に入っていてくれ。刃物はともかく身分証明がないものを辺境伯領都で歩き回らせるわけにはいかない」

「……わかった。ただ、牢屋に入る前になにか食わせちゃくれないか? 思えば昨日の夜からなにも食ってないんだ」


 ボールドは腹を押さえて空腹をアピールする里藤に苦笑する。そして、鋭い目つきに戻して言った。


「すまんが食事は牢の中で取ってもらうことになる。なに、大してうまくはないが空腹でいるよりはマシさ」



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