第2話 始動、ハニカム計画⑪


 期待のスイーツを食べに行くという当初の計画は、諸般の事情により築四十九年の下宿で素麺をすするという実にアットホームなイベントに変更となった。

 あれから、息も絶え絶えに電車に乗り込んだ俺たちはお通夜状態の空気で帰路についた。

 疲労の問題だけではない。潤花は騒ぎを起こした自責の念で火が消えたように落ち込み、小早川は自分が軽率なことをしたせいでみんなの楽しみを奪ってしまったと肩を落とし、みずほ姉ちゃんにいたっては例の少女の一件からずっと口数が少ないまま。そんな三人を、優希先輩はいつもと変わらない軽口で励ましつつ、俺も下宿に着くまで先輩の話に適当な相槌を打ちながら重苦しい空気を中和する役目を担った。

 そして帰宅後、初めて来たときから終始賑やかだった伊藤下宿の食卓は、初めて味気のない静かな空間となった。


「……何でこうなるんだよ」


 うんざりだと思っていた。

 これから毎日こんなやかましい女たちと食卓を囲むのかと、最初はそう思っていた。

 だが、望んでいたはずの静けさは俺が思っていたものとは違っていて。

 うるさかったとき以上に、居心地が悪かった。

 

「ただ、遊びに出かけただけだぞ……」


 そんなモヤモヤした気持ちを抱えながら食堂を後にした俺は、自室のベッドに寝転がりながら、ぼんやりと天井を眺めていた。

 どいつもこいつも……あんな、虚構と脚色にまみれたドラマを、まるで宝石箱でも眺めるような目で、見ていたからだ。

 あんなの、憧れるものなんかじゃない。

 あいつらが望みさえすれば、あの作り話なんかよりもよっぽどキラキラして、飾り気なくて、どこにでもいる普通の高校生らしい、等身大の幸せを手に入れられるはずなのに。

 どうしてそれに気付かない。

 それが、どうしても納得いかなかった。

 おかげで、そんな衝動に駆られてらしくもない誘いをした結果が、この有様だ。

 俺があいつらを外に連れ出さなければ、こんなことにならなかったのだろうか。

 街を歩けば怪しい女に、迷惑なナンパ。

 先日の引ったくり犯たちだってそうだ。

 やることなすことがすべて裏目。

 よかれと思った行動はいつも期待とは逆の結果を招く。

 嫌でも思い知らされる。

 つくづく自分が、持っていない側の人種であることを。

 

 ──ピッピピ、ピッピピ


「……はぁ」

 

 枕元に置いたスマホのアラームを止めて、ベッドから身体を起こす。

 ふて寝を決め込むつもりが、一睡もできなかった。

 気だるい気持ちを奮い立たせ、出掛ける支度をする。

 無視をするという選択肢もあった。

 だが、その選択を一度選ぼうものなら、俺はこの先何度もその道を選んでしまうような気がして、選ぶことができなかった。

 未だにあの女に振り回されるのは癪で仕方がないが、今日をもってケジメを付けさえすれば、この憂鬱からも解放されるだろう。

 ひとつひとつ、片付けていかなければならない。

このままじゃ、考えなければならないことがあまりにも多い。


「あれ、もしかしてお出かけ?」


 部屋を出ると、優希先輩と鉢合わせた。


「まぁ……ちょっと」


「どれくらいちょっと?」


「一、二時間……くらいですかね」


「そっかー、残念。今日の夕飯、みんなで商店街に行こうって誘ってたんだよね」


「……すいません、悪いんですけど俺はパスで」


「わかった。また今度誘うよ」

 

 心なしか語気に力がない気がする。

 それもそうかもしれない。俺を含めて全員が塞ぎがちな空気の中、この人だけはいつも通りの笑顔を絶やさなかったのだ。疲れていたとしても、当然だった。


「そうだ、あとね古賀くん。あの子から連絡が来たの。今、新幹線乗ってるところだって」


「早いですね。もう返事来たんですか」


「あれからずっとやりとりしてたからね」


 ナーバスに陥った俺たちに気を遣いながら、リスク管理までしていたとは。

 実はこの人、ものすごく仕事ができるのかもしれない。


「まぁ、財布に戻ってくるまでは油断できないんで……いざとなったら俺が取り立てに行きますよ。借金取りとして」


「あはは、じゃあ、そのときは古賀くんにお願いしようかな。あの子には気の毒だけど、さすがに何でも許すわけにはいかないもんね」


 人畜無害そうな顔立ちのわりに、意外ときっちりしている。


「結局、何であんなことになったのか理由は聞けたんですか?」


「うん。逃げられちゃったんだって」


「逃げられた?」


「ネットで仲良くなった男の人とデートしてる最中に、財布を盗まれて逃げられたらしいよ。警察や家族の人に、それを言いたくなかったんだってさ」


「……そうなんですね」


「信じて良かったよ。あの子が困ってたのは本当だったみたい」


「それはそうですけど……それならもっと早く話して欲しかったっていうのは、求め過ぎですかね?」


「古賀くんの言い分もわかるけどね。でも、心に深い傷を負ってすぐ、気持ちが不安定な状態からすぐに本当のことを喋れる子ってそんなに多くないから、私はその気持ちに理解を示してあげたいかな」


 まるで当事者かのような口ぶりだ。

 俺にしてみれば、無知で浅はかな世間知らずの自業自得、それ以外の何ものでもない。

 だが、だからと言って、信じた側が傷つけられていい道理はない。

 悪いのは騙した方だ。

 内心でその男に天罰が下ることを祈る。


「でも、古賀くんが親切だったおかげで、可哀想な女の子がまた一人救われたね。世の中まだ捨てたものじゃないって、あの子もきっと思ってくれるよ」


「そんな可能性はまずないですね。言うことがいちいち大げさじゃないですか?」


「そんなことないと思うけどな~。古賀くん、こんなに親切なのに」


「俺の親切なんて全部仲良い人たちの真似事なんで。偽物ですよ、偽物」


 口にしてから、昼間話した動機と変わっていることに気付き内心焦るが、先輩は何も言わなかった。

 気付いているのかいないのか、その表情からは読み取れない。


「ねぇ古賀くん」


 少し声のトーンを落として、先輩は言った。


「今朝、もし私が『行きたい』って言ってなくても、古賀くんは私たちのこと誘ってくれてた?」


「……どうでしょうね。思いつきだったもんで。そのときの気分なんて覚えてないですよ」


「そっか。私はてっきり、古賀くんが私たちに気を遣ってくれたのかなーって思ってた」


「それは勘違いですよ」


「忘れたわりにははっきりと断言するんだ」


「偶然そこだけ、ピンポイントで憶えてました」


「あはははっ、それはずるいっ」


 先輩は手のひらで口元を覆いながらおかしそうに笑った。

 含みのない、無邪気な笑顔のように見える。 


「潤花も真由ちゃんも、みんなで遊べて楽しかったって言ってた」


「……俺がうまく収められなかったせいで、最後はあんなことになっちゃいましたけどね」


「ううん。私のときよりも全然、古賀くんはよくやってくれたよ。怒った潤花が言うことを聞いたのは、私以外で古賀くんが初めてもん」


「……? そうなんですか?」


「本当だよ。先生や大人が何言っても、潤花は止まらなかった」


「…………」


「勘違いしないで欲しいのは、潤花は本当に優しい子なの。怒るのは大事な人に危害が加わりそうなときだけで、自分から問題を起こすような子じゃない。本人もそんな自分の性格を気にしてるみたいなんたけど……簡単には治らなくて、悩んでる」


 俺の胸中を察したのか否か、先輩は何か思い出したように両手をぽんと合わせた。


「ごめん、話長くなっちゃったね。時間は大丈夫?」


「あ……そろそろ」


「引き留めてごめんね。出かけるところだったのに」


「いえ……大丈夫です」


「デート?」


「いや……むしろケンカしに行くというか、なんというか……」


「わかった、例の元カノだ」


「…………違イマスケド」


「ふーん?」


 先輩は上目遣いで俺の顔を覗きこんで、何やら満足そうに頷く。この含みのある表情がやたら癪(しゃく)に障(さわ)るが、その物知り顔がめちゃくちゃ可愛いおかげで心から憎めないのがずるい。

 同時に、もしかしたらという仮説が浮かぶ。


「ま、いいや。何か困ったことがあったら言ってね。古賀くんが私たちのことを助けてくれたみたいに、私たちも古賀くんがピンチになったら駆けつけるから」

 

 最後に先輩はそう言って、シュッシュッと二回拳を俺に突き出した。

 あまりにも不格好なシャドーで、思わず笑いそうになってしまう。


「気持ちだけ受け取っておきます」


 にやけた顔を見られないように先輩に背を向け、手をひらひらと振った。


「いってらっしゃい」


「……いってきます」


 短い挨拶を最後に、俺は階段を降りる。

 トン、トン、と一歩ずつ。 

 これはあくまで俺の邪推でしかないが……おそらくあの美珠姉妹、今日のように街中で異性に声をかけられるのは、今まで何回もあったんじゃないだろうか。

 この下宿に来てからあの姉妹のいろんな表情を見てきたが、いかなるときも笑顔を絶やさない愛嬌、そして誰もが振り返るようなあの美しい顔立ちが一瞬でも醜く崩れたことはない。食事のときや寝起きのときでさえ、自然体でありながら目を引いてしまう美貌だった。

 だからこそ目を付けられやすいだろう。

 他人の好意にも、悪意にも。


「…………」


 背中から視線を感じるが、振り返らない。

 今振り返ったとしても、どんな顔をして先輩と向き合っていいのかわからない。

外に出るたびに、他人の視線を警戒して。

 見ず知らずの異性から話しかけられ、そのたびに望まないコミュニケーションを強いられる。

 この下宿に来るまで、彼女たちが一体どれだけそんな出来事にあってきたのか、俺の知る由はない。

 だが、もしそんな生き方をこれからも歩んでいかなければならなかったら。

そんな日常が彼女たちにとっての『普通』だとしたら。

 あまりにも、重い枷(かせ)だ。




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