第1話 伊藤下宿の住人たち④


 駅前に近付くにつれ、人通りもまばらに増えてきた。

 道すがら聞こえてくる流行りのアイドルのヒットソングをBGMに、ジーパンにチェックシャツをインする男と上下スウェット姿の眉毛の薄い金髪女のカップル。果てはコンビニの前で爆音を鳴らしてバイクに跨がる髭面の男など、人種はバラエティーに富んでいる。

 そんな中でも、小綺麗な格好をしながら飾り気もなくはしゃぐ美珠姉妹は一際目立っていた。


「──でね、その友達のお父さんにトラクター見せてもらったら、キャビンからいきなり猟銃と日本刀取り出してきてさ」


「日本刀⁉」


「そう、日本刀。理由を聞いたら『これで羊泥棒共をぶっ殺すんだ!』とか言い出してもうビックリしたよ。ニュージーってみんなそうなのかなって思ったら、単純にそのお父さんが変わってる人だったんだけどね」


「すごいね、友達のお父さん。装備が完全に津山三十人殺しのそれだよ……」


「でもそのお父さん娘のこと大好きでさ、家族みんなとも仲良いの。私、それ見てちょっとホームシックになったもん」


「そうだ、ホームシックといえばね、ハチみたいに集団性のない虫にも帰巣本能はあるのかっていう疑問がドイツの奇虫学会の議題になったんだけど……」


「あ、その話はパス!」


「えー⁉ 私の話も聞いてよー!」


「やだー! お姉ちゃん隙あらばキモい虫の話に持ってこうとするんだもん!」


「オタクの性(サガ)なんだから仕方ないでしょー!」


 めちゃくちゃイチャイチャするな、この姉妹。

 駅前まで向かう道中、俺達四人(というより九割は美珠姉妹)は取り留めのない世間話で盛り上がっていた。

 話によると、美珠家はやはり裕福で寛容な家庭らしく、先輩の奇虫の趣味も潤花の海外留学も、ご両親が娘のしたいことは自由にさせてあげたいという理解ある教育方針の所以らしい。

 羨ましい家庭だ。二人の大気圏まで届きそうな自己肯定感も、そういった家庭環境のおかげだろう。


「あんなに仲良い姉妹、珍しいな」


 前を歩く美珠姉妹の後ろ姿を眺めながら、隣の小早川に話しかける。小早川は口数が少ないわりには二人の話を興味深そうに聞いており、少なくとも退屈はしていない様子だった。買い物に行く時でさえ例のクソダサ芋ジャージ姿だったのは若干の抵抗感はあったが、それは気にしないように努めた。


「そう……ですね」


「俺は姉ちゃんがいてわりと仲良い方だけど、さすがにあの二人ほどじゃないな。小早川は兄弟いる?」


「い……弟と、妹……です」


「へぇ、小早川が一番上なんだな。三人とも仲良い?」


「弟とは良いんですけど、妹とは……」


「微妙か」


「はい、正直……」


「そうだよなー。家族っていっても他人だし、相性はあるもんな。俺も、親父が昔っから姉ちゃんばっかり可愛いがっててさ。姉ちゃんは美人で完璧超人だから仕方ないんだけど、それでも贔屓されてムカつくことあるよ」


「わ、わかります……!」


「え、わかる?」


「はい……!」


 今までリアクションの乏しかった小早川が、初めて感情をあらわにして俺の方を見た。

 気のせいだろうか、一瞬ドキッとするくらい可愛く見えた。目が隠れるくらい前髪長くて瓶底眼鏡かけてるのに。


「私の両親も、妹のことばっかり気にして……妹の方が明るくて可愛いっていうのはわかるんですけど……妹のワガママは聞くのに、私の頼み事は相手にされなかったり……」


「あーわかる! 同じようなこと言ってるはずなのに全然態度違うんだよな」


「そう、そうなの……!」


「あと、何か問題あったら真っ先にこっちを疑ってきたりもない? 『それ姉ちゃんが犯人じゃなかったら絶対俺を怒ってただろ』っていうようなこと」


「あります……! それと、妹が不機嫌な時だけご機嫌とって、私の時は『そんなことで』ってないがしろにされたり……」


「あるある! いやー、なんかここまで共感できるやつ初めて会ったから嬉しいな」


「私も……き……こ、古賀くんが初めてです」


「いや、衣彦で良いよ」


「す、すいません。みんな、名前で呼んでたから……」


「っていうか、敬語も使わなくて良いよ。俺達同級生だし、『じゃない方の兄姉』の仲間だしさ」


「うん……ありがとう。『じゃない方の兄姉』って……良いね、衣彦くん」


 あ……笑った。

 何だろう、この達成感。地味で大人しい子がちょっと心を開いてくれたっていうだけなのに、純粋に嬉しい。

 しかし改めて見ると髪はサラサラで枝毛一つ見当たらないほど綺麗だ。もしかして眼鏡を外したらとんでもない美少女なのでは? と期待してしまうのは、漫画の読み過ぎか。


「ねーねー二人とも、みーちゃんのお土産何が良いと思うー?」


 前を歩いていた潤花が振り返って聞いてきた。振り向きざまに見る潤花の整った顔はやはり美人で身構えてしまう。


「えっと、何でしょうか……」


「もー、真由。私達に敬語いらないって言ったでしょ? 真由の好きなので良いから何か食べたいのあったら言ってごらん?」


「プリンとかで良いんじゃないか? みずほ姉ちゃん甘いの好きだし」


「プリン良いね。真由ちゃんは大丈夫?」


「はい……あ、うん。好き……」


「うん! オッケー! じゃあ第一候補はどら焼き!」


「プリンは⁉」


「冗談冗談、プリンが第一候補でカステラが第二候補ね」


「え、あ、えっと……ど、どら焼きは……?」


「よくあることだから二人とも気にしないでいいよー」


「ちなみに先輩は何か食べたいのはないんですか?」


「唐揚げ食べたいけどみーちゃんが今日作るって言ってたから、私もプリンで良いかな」


 良かった。アリの粉末入りプロテインとか言い出さなくて本当に良かった。


「あ! 古賀くん今『昆虫入りのお菓子とか言い出さなくて良かった』って思ったでしょ!」


「へ⁉ いや! そんなことは!」


「嘘だ〜! 顔に描いてたもん!」


「いえ、俺はただ『こうして平穏な日々を過ごせるのも先人たちのたゆまぬ努力のおかげだな』って思いを馳せてただけで……!」


「プリンの話で⁉」


 先輩の驚きを皮切りに、潤花と小早川も同時に笑った。口から出任せで言った言葉だったが、こんな風に何の憂いもなくみんなで笑える世の中であることは、本当に良い時代──いやあるわ、憂い。

 小早川との話が盛り上がって衣彦独立計画を忘れるところだった。これでもう何回目だ。和気あいあいとしてる場合じゃない。


「あの、俺そこの銀行寄らないといけないんで先に買い物しててください」


「でもみーちゃんから預かったお金、古賀くんが持ってるんでしょ?」


「おっふ」


 変な声が出た。先輩の言う通りだった。


「待ってるから行ってきなー。大した時間かからないでしょ? お姉ちゃんは待ち合わせの時間大丈夫?」


「あー……うん、こっちは大丈夫。古賀くん、気にしなくていいよ」


「わ、私も……衣彦くんと一緒に行く。お金、下ろさないと……」


「じゃあ私、ちょっとコンビニ行ってくる。お姉ちゃんナンパされないように気を付けてね」


「大丈夫。せいぜい怪しい宗教の勧誘くらいだよ」


「それ全然大丈夫じゃないから! 変なやつに声かけられたら、そいつぶっ殺すからねー!」


 白昼堂々と物騒な言葉を叫びながら、潤花は颯爽とコンビニへ向かった。

 何か……今日は全然思い通りにいかないな。

 不毛な独り相撲に嘆息を漏らしていると、さっき見かけた不似合いなカップルが腕を組みながら銀行へ入っていった。あいつらが利用するATM爆発しねぇかな。胸中でそんな悪態をついている横で、原付に乗ったガラの悪い男が先に行った二人を凝視していたことに気付く。痴情のもつれか、同じ嫉妬民族か。いずれにせよその男に妙な気配を感じた。


「はぁ……行くか、小早川」


ともあれ、どうせ杞憂だろう。何せ今日は思うようにならないことばかりだ。そう思うことにして俺は歩き出す。


「うん……優希ちゃん、行ってきます」


「ニッポンニ帰ッテモ、私達ズットトモダチダヨー!」


もう突っ込まない。



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