3◆ワイルドなハチさん
◆3-1
さて、僕のもとにはトラさんとチキっていう猫が二匹いる。
僕が猫カフェをオープンするにあたり募集した猫スタッフだ。トラさんは落ち着いたヨモギのおばあちゃん猫。チキは体こそ大きいけど、まだ子供っぽいノルウェージャンフォレストキャットのオス。
なんでトラさんだけ『さん』なんてつけてるんだって?
いや、呼び捨てできる感じがしなくて。
トラさんは猫スタリーダーだから、店長の僕の次にエライってことで。
トラさんは畳の上で寝そべり、長い尻尾をパタパタと動かしている。チキがそれにじゃれついているんだけど――トラさんは正面を向いたままなのに、どうしてだかトラさんのしっぽはチキの手を完璧にすり抜けている。トラさん、後ろに目があるんじゃないの? やっぱり、猫又手前だ……。
にゃっ、にゃっ、とチキが無邪気にたまを取る声がする。のどかな朝だった。
けれどその時、トラさんの耳がピコン、と動いた。僕はそれを見て来客だって気づいた。
足音はしない。きっとお客さんは猫だ。人間の僕の耳ではなんの音も拾えなかった。
これは、もしかするとまた求猫募集を聞きつけて来てくれたのかもしれない。
僕は先になってアパートの戸を開けた。すると、戸を潜ってすぐのところに眼光の鋭い猫がいた。ホワイト&ブラックのバイカラー。白と黒の比率は見事に一対一のハチワレ猫だ。
でも、どう見ても飼い猫じゃない。人に慣れ親しんだ様子がないんだ。
人間にすると、まるで熟練のスナイパーなんじゃないかって思うほどハードボイルドが似合う感じ?
猫カフェでお客さんに愛想を振り撒く姿が想像できない。
「よ、ようこそ」
僕の方が怖気づいた。
でも、そのハチワレ猫は落ち着いていた。
にゃあ、と低くて渋い声を出す。上がらせてもらうが、いいか? と礼儀正しく言った。
「どうぞ。あの、面接に来た――んだよね?」
すると、ハチワレ猫はふぅ、と息を吐いた。
他になんの用があって来るんだって? はい、スイマセン。
僕は戸を大きく開けた。
「トラさん、チキ、お客さんだよ。今から面接だ」
トラさんは僕がそんなことを言わなくてもすでにわかっている。
チキは、目を輝かせてトラさんの後ろからワクワクドキドキといった顔をしている。ハチワレ猫はトラさんよりも大きく、チキよりも小さい。猫の中では大きい方ではある。尻尾はオス猫らしく短い。
僕はハチワレ猫が部屋に入りきってから戸を閉めた。
その時、なんとなく違和感を覚えたんだけど、その正体がなんなのかまではわからなかった。それを突き詰めて考えている場合じゃない。僕は部屋の定位置に座り、ハチワレ猫にいつもの座布団を差し出した。
「ええと、名前を教えてくれるかな? もし、あればでいいんだけど」
この猫はきっと野良だから、人間が便宜上つけるような名前はないかもしれない。
どこかの文豪の猫よろしく、『名前はまだない』とか言ってくれちゃうのかも。
ハチワレ猫は座布団の上に座った。寝転んだりはせず、いつでも飛び出せる警戒心アリの体勢。まあ、仕方ないけどさ。
にゃあ。
腹に響く声だ。
名前は――たくさんありすぎてどれとも言えない。好きに呼べ、と。
そっちか。たくさんありすぎるのか……。
「それって、いろんなところに行って、いろんな人が勝手に名づけた名前がいっぱいあるってことだよね?」
ハチワレ猫はうなずく。これは相当顔が広いな。
その中のひとつで呼んでもいいんだけど、この猫にとって人間がつけた名前なんて大した価値はないのかもしれないな。
「好きに呼べって……じゃあ、『ハチ』さんでいい?」
ハチワレ猫だし。
安直すぎたか、ハチワレ猫の顔がちょっと険しくなった。
にゃ?
「それは犬の名前じゃないのかって?」
案外細かいな。そこを突っ込まれるとは思わなくて焦った。
「い、犬にもハチっているけど、ほら、ハチ公は銅像になるほど立派な犬だったんだから、猫につけてもいいんじゃないかな?」
ハチワレ猫のハチさんはそれで納得してくれたらしい。
まあいいだろう、と渋さ満点のつぶやきだった。
「ええと、ハチさん。ハチさんは野良猫だったんだよね?」
にゃあ。
「そっか。じゃあ、人に撫でられたり抱っこされるのは苦手かな?」
にゃあ。
抱き上げられるのは好きじゃないが、撫でられるくらいなら構わん。世話になるのなら、それもやぶさかではないそうだ。
今までも人とは上手く折り合いをつけて生きてきたつもりだから、多分やれるとのこと。
ハチさんは人と猫は相容れないっていう孤高の野良猫じゃなく、猫好きな優しい人とはそれなりに仲良くして生きてきたらしい。
「まあ、それなら猫スタッフとして問題なさそうだね。ええと、じゃあここへ来た動機を教えてくれるかい?」
正直に言って、野良で生きてきたハチさんがどうして猫カフェのスタッフになろうと思ったのかが不思議なんだ。だから、単刀直入に訊ねた。
すると、ハチさんはスゥッと目を細めた。……これはまた、何かワケアリっぽいなぁ。
喉から唸るような声を発し、ハチさんは言った。
それを語るには、まず『あの事件』から語った方がいいだろう、と――。
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