誑かされた男

『マスベル様! 今宵は宴ですぞ! ささっ、主役はこちらに!』

『い、いえ、明日も早くに出ますから…お気持ちだけで』

『何をおっしゃいますやら! 貴方様のお陰で魔物を退けることが出来たのです!』

『そうですよ、遠慮なさらずに!』

『いえ、本当に、お酒もあまり得意ではないので…』

『マスベル様! 是非こちらも!』

『あの、ですから』

『マスベル様!』

『マスベル様!』

『マスベル様!』










「つかれた」

 鎧を脱いでベッドへ倒れ込むと、柔らかな布団が俺の身体を包み込んだ。

 用意されているベッドは上等な代物で、自分に対する待遇が伺える。少し前まで、考えられなかったことである。

 街を出て、それなりの時間が経った。分からない事ばかりで、何度も帰りたいと思った。魔物との戦いも、教会の訓練は殆ど通用せず、自分が如何に慢心していたのかを知ることになった。

 それでも、見送ってくれた両親の事を思い出せば、歯を食いしばることが出来た。

『ああ、マスベル。行ってしまうのね』

『つらかったらいつでも連絡するんだぞ。父さんも母さんも、教会のみんなも、お前の味方だからな』

 涙を浮かべる母さんの肩を抱きながら、父さんは真剣な眼差しを向けていた。

 ろくに恩返しも出来ないまま旅に出る事が堪らなく口惜しかったが、それでもテスロス教徒の代表として、胸を張らねばならない。俺は選ばれたのだ。たとえそれが、人間の尊厳を凌辱する呪われた剣だとしても。

 責任を果たす為、必死に魔物を殺した。初めは手こずってはいたものの、今は木っ端の魔物なら苦なく対処できるようになった。

 いつしか俺の存在も有名になってきて、今では名乗るだけでマスベル様マスベル様と歓迎してくれるほどである。

 だが、悩みもあった。

 歓迎と評してよく宴会が始まるのだ。当然、飲み食いを勧められるし、兜を脱ぐように言われる。俺にとって、それは限りない苦痛だった。

 寝返りをうち、天井を見ながら頭に手を伸ばせば、ぺちんと張りのある音が響く。すでに生え際は頭頂部へ達していた。

 剣を手にした時の声に偽りは無かった。魔物を殺す度に、頭部に不自然な感触を覚える。そして兜を外すと、はらはらと自分の一部だったものが落ちてくるのだ。何とも無情である。

 故に俺は、人前では頑なに兜を外さず、飲み食いも兜の上から行っていた。兜を外す様に言ってくる者には、傷があると言って誤魔化し続けている。この誤魔化しが、地味にしんどかった。

「ふう」

 視線を横へとずらす。部屋の時計はもう深夜を指していた。

「……着替えるか」

 起き上がり、すぐそばのトランクバッグを開く。着替えとタオルを取り出して、洗面所へと体を向けた。

 その時である。

 こんこん。

「げ」

 ノックする音に顔が歪む。漏らしてしまった嫌悪の声が、相手に聞こえていないか不安になった。

 こんこん。

 兜たちへ飛びつき、身に付ける。大きな音が鳴らない様に注意した。

 こんこん。

「はい、はい」

 一体誰だろうか。宿の従業員か、それともまだ宴会を続けている人たちか。

 ドアノブを捻り、押す。

 向こう側にいたのは、若い女性だった。

 ぱちん。

「………うん?」

「あら、どうされました?」

「え、ああ、今何か音が…」

「音? そんなのしなかったけれど」

「あれ、そうですかね。まあ、いいですが」

「ふふ、きっとお疲れなのね。ごめんなさい、こんな遅くに」

 尋ねてきた女性は、俺は対して柔らかく微笑みを浮かべながら謝罪を口にした。彼女は露出の少なくないドレスを纏っていて、つい目を逸らしてしまう。その様子に気が付いたのか、ふふふと艶っぽい声が聞こえた。

 俺は取り繕う様に向き直る。

「い、え、大丈夫ですよ。何かありましたか」

「わたくし、先日この部屋に泊まった者なのだけど、ブレスレットを忘れてきてしまったようなの。申し訳ないけれど、探させてもらえないかしら」

「あ、ああ、構いませんよ」

 そう言って、俺は彼女を招き入れる。彼女はお礼を言い、部屋に入ると一直線にベッドの方へ向かった。

 さっきまで自分が寝転んでいたところに女性が近づいて行くのは、なんだがソワソワする。俺は誤魔化す様に扉を閉めた。

 振り返ると、女性はベッドの上に四つん這いで乗り、枕や布団を持ち上げて探していた。

「うーん、うーん?」

 妙に色気のある声を聞かせてくる背中に、また俺は目を逸らす。耳が熱い。こんな事なら、いっそ廊下に出てしまった方が良かった。

 というか、なぜ従業員も彼女を通したのか。前の利用者を部屋へと案内するなど、非常識極まりない。

「……うん?」

 そこまで考えて、違和感を覚える。

 そんな非常識にやって来た人物を、なぜ俺は疑いなく部屋に上げたんだ?

「ねえ、少しいい?」

 考えていると声を掛けられ、反射的にそちらを向く。紫色の瞳と目が合った。

「何でしょう」

「あなたも一緒に探してくれないかしら。どうにも見つからなくて」

「ああ、いいですよ」

 俺はベッドへと歩み寄り、側面からヘッドボードの隙間をのぞき込む。もしもブレスレットが落ちてしまうとすれば、この辺りだろう。

 しかし、見る限りその類の物は見当たらない。手甲を外して隙間へ手を入れてみるが、やはり硬い感触は見つからない。

 どうしたものか。手を引き抜こうとした時だった。

 体に僅かな重みと拘束がかかる。見てみれば、女性が俺の体に枝垂れかかってきていた。

「あの」

「ん〜?」

「な、んでしょうか」

「ラニア」

「は?」

「ラニア、名前で呼んで?」

「え、あ、はい、ラニアさん」

「ふふ、緊張してる?」

 近づいて来たラニアさんは、鎧に手を添えると、人差し指で表面をゆっくりとなぞった。

「脱がないの?」

「え?」

「ゆっくり出来るのに、そう身構えてばかりでは肩が凝ってしまうわよ?」

「そういう、ものですかね」

「ほら、脱いで脱いで」

「はあ」

 促されるまま、鎧を脱ぐ。ベッドの脇に置くと、ラニアさんはまた体を絡めて来た。

「あの、ちょっと近」

「ねえ、兜は外さないの?」

「えっ、と、これは」

「わたくし、あなたの顔が見たいわ」

「…」

「ああ、一体どんな顔をしてるのかしら」

 そう言うと身を寄せたまま、頬に手を当て目を瞑る。彼女が小さく息を吐くと、兜の隙間から流れ込んだそれから熱が薄く伝わって来た。

「精悍な顔立ちかしら? 眉はきっと細くて濃い感じで、目元はどちらかと言うと垂れ目気味」

「ラニアさん…」

「わたくし、そんな殿方がタイプなの」

 じっくりと見つめられ、視界が何故だか微睡んでいく。ラニアさんの言葉が張り付く様に頭の中に響いていた。

「ラニアさん、俺…」

「ねえ、わたくし、貴方の事を気に入っちゃった」

 彼女の声がとても心地よい。

「その責任から逃げない精神の強さも、魔物を殺してきた高い戦闘力も」

 ああ、なんだか、眠たく。

「その鍛えられた体躯も、個性的な髪型も、全て愛しくなってしまったの」

「は?」

 なんつったこいつ。

「だから、あなギャ!」

 女の手を取り、ベットからぶん投げる。床に転がる首に手をかけ、そのまま壁へと押し付けた。

「が、ぐっ、かあ」

「お? おお、頭スッキリだ」

 取り押さえた途端、先程までの思考はさっぱりと立ち消える。どうやらこの女が何かを仕掛けていたらしい。

 女の表情が酷く歪み、目を合わせようと睨め付けてくる。俺は親指を使い、顎を押し上げた。

 ぱちん。

「ん?」

「うぅん、ん…やめて、痛いわ…」

 何かの音、同時にまた女が艶のある声で話しかけてくる。

 その声を聞き、俺は間をおいてから彼女の手のひらに手を絡めた。

「ふふふ、ねえ、離して? 何か誤解してるわ」

 ぎゅう。力一杯握りしめる。

「あ!? った! 〜〜〜〜っ!!」

「同じ手を喰う訳ないだろ」

 最初に部屋へ来た時の音も、指を弾く音で催眠をかけたのだろう。だが、タネが割れていれば気にする事はない。

 さて、どうするか。憲兵に突き出すか。それともこの街の教会へと連れて行くか。どうするのが楽だろうか。

「ぬう、ぐぐぐく……ガアッ!」

「あっっつ!」

 考えを巡らせていると、突如熱を感じる。その高温に、つい手を放してしまった。

 逃れた女は滑るように窓枠へと移動して行く。

「全く、噂より厄介ね」

 気が付くとその姿は人型の異形へと変化していた。のっぺらぼうの顔から聞こえた声は、先程までとは別ものだった。

「なんだ、魔物だったのか」

「はっ! なにそれ、今気づいたの? ……まあいいわ、今回は見逃してあげる」

「え、それはこっちの台詞じゃないのか?」

「でも貴方、気づいてる? こんな身近に私たちはいるのよ?」

「会話下手か? ちゃんと相手の言った事聞いて話せよ」

「もう貴方は誰にも頼れない。ふふ、精々震えるといいわ」

「会話しろって」

「じゃあね、惨めな英雄さん」

 そう言うと、魔物は大きな蝙蝠のような羽を広げ、窓を大きく開け放つと外へと飛び去る。

 俺はすぐに窓枠に両足を乗せ、目一杯しゃがみ込む。下ではまだ喧騒が残っていた。その声を気にしないように努めながら、指先までピンと伸ばして飛び跳ねる。夜の冷たい風に吹かれながら、大きく腕を広げ、その背中にしがみついた。

「がはっ、は? てっめ」

 背中を取られた魔物は、こちらを目の端で睨む。その目を合わせないように視線を上に向ける。その動きを助走にして、頭を羽の付け根へと振り落とした。

 ごっ。

「ぐがっ!!」

 推進力を失い、重力に従ってがっくりと降下していく。魔物は必死に体を捩っているが、逃げることは許さない。こいつは見逃してやると言っていたが、俺は見逃すつもりは無い。

「離せ! この、離れろ!!!」

 叫び声を聞いた住民の戸惑う姿が見える。何人かは空から落ちてくる何かに気が付いれたらしく、慌てて空を指しながら距離を取ってくれた。

 住民が退いた道に、俺と魔物は一直線に落ちていく。昔、教会の訓練で屋根から飛び降りたことを思い出した。

「がああああ!!」

 着地の瞬間に拘束を解き、設置面を魔物のみにする。衝撃を無くすことは出来ないが、幾らかマシだろう。

 風を切る音を聞きながら呟く。

「いつもこうやって殺せるのなら、あの剣を使わなくても良いのにな」










「マスベル様! 楽しんでおられますかな! ささ、どうぞどうぞ!」

「そうは言われましても、私お酒は本当に…」

「ドロトーさんの言うとおりですよ。マスベル様はまだ若いんですから」

「いやお酒の強さに年齢はあんまり関係な」

「それにしてもマスベル様は流石だ! 街の危険を察知して、魔物を退治しちまうんだからな!」

「ほんとほんと! マスベル様、あんたはこの街の英雄だよ!」

「いやあ、そ、うですかね」

「よーし、今夜は日が昇るまで飲み明かすぞ!」

「は! そりゃいいな! よーし、店の酒全部持ってこい!」

「こんな楽しい日はいつぶりかねえ」

「ほら、マスベル様も飲んで飲んで!」

「は、はははっ………はぁ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る