不幸の星。

 不幸の星。

 それは別に、そういった名前の惑星があるわけではない。

 それは別に、不幸な人間全員を指す言葉ではない。

 それは別に、著しく不幸な人間個人を指す言葉でもない。


「――歴史を紐解くと、到底普通の魔法とは思えないような、文字通り真の"魔法"が多く見られる。オジくんのチョコレイト魔法もその一つさ」


 ならば不幸の星とは何なのか。

 それは、ある種の力を持った人間を指す。


「魔法、と言うのもおかしいか。魔力を元に現象を引き起こすから魔法なんだ。なら、君のチョコレイトはいったい何だい?チョコレイトは何を元にして生まれているのだろうね」


 淡々と話していく都市長は自慢するでも糾弾するでもなく、ただ事実を述べるかのように話を続ける。


「答えは簡単、何も・・、だ。そう、元なんてものは存在しない。人が手足を持って生まれるように、それ・・を使える人間は生まれた時から自分自身の一部として扱える。元なんてあるわけない」


 他に話す人がいない大広間に、都市長の声だけが朗々と響き渡る。


「これを書物では祝福――古代文明語に倣ってギフトと示してあった。遥か昔、天の彼方より飛来し魔力を拡散させた不可思議な隕石のように、前触れなく世界のどこかに現れるギフト持ち。オジくん、君もその一人だろう?」


 明確な問いが投げられる。

 少女はじっと、窺うように隣の男を見る。おじさんは無言のままだった。だがその無言こそが、遠く階段の上に立つ都市長にとっての答えだったらしい。


「ふふふ、私の言った通りのようだね。まあ、前置きはここまでにしておこうか。大事なのはここからだ」


 都市長の話も気になるが、それよりおじさんの様子の方が気になる。いつもより表情が暗いように感じる。


「先ほど私は、ギフトを使うのに元となる力はないと言ったね。あれは正しいが、正しくない。ギフト保持者はね、歴史上皆短命なのさ。だから最初、私は彼らが生命力――つまるところの寿命を代償にしてギフトを使っているのだと考えた」


 ちら、と階段の方を見る。都市長は"最初は"、と言った。なら……。


「だが違った。多くの書を読み解いた結果、どうもギフト保持者と思われる人は誰しもが大きな災害に巻き込まれて死んでいる。人災、天災問わずにね」


 やっぱり。おじさんのチョコレイトが寿命を代償にしているなんて考えたくもなかった。よかったと安堵する。でも……災害は嫌だなと思う。


「短命な彼らと違い、オジくん、君は生きている。私はチョコレイトの流通が止まった時、君が死んだと思っていた。望み薄でユーカリに頼んではいたが、まさか本当に見つかるとはね。……何故君は生きている?」


 嫌な問いかけだった。むっとして前を見て、ただただ真っ直ぐとおじさんを見つめる瞳に気圧される。都市長の目に、少女の存在は一欠片も入り込んでいなかった。


「答えは単純、君が死ぬこと以上に不幸・・な目に遭っていたからだ」

「……」

「その様子だと当たりか……。ふふ、私の推理も捨てたものじゃないだろう?おっと失礼。続けようか」


 おじさんは何も言わず、少女は何も言えない。話し手はずっと都市長だけ。それでも話は終わらない。


「ギフト保持者は生まれつき不幸体質を持っている。それこそが不幸の星さ」


 都市長は笑って、矢継ぎ早に言葉を繰る。


「オジくん、自分を不幸だと思わなかったかい?」

「自分だけとんでもなく不幸だっただろう?」

「数えるのも嫌になるほど不幸な目に遭っただろう?」

「どうしてと思ったかな?」

「理由を考えただろうね」

「チョコレイトが原因だと言われなかったかい?」

「君も思っただろう?」

「自分が原因じゃないのかと」

「一欠片も思わなかったのかい?」

「この不幸が自分のせいじゃないのかと」


 おじさんの身体に力が入っているのを感じる。表情は変わっていないけれど、悲しい顔をしているってわかる。


 もし自分がこんなことを言われたら辛いと思う。両親が死んだことも、家がなくなったことも、毎日お腹減ってて苦しかったことも、足が食べられて痛かったことも。声が出せなくなったことも。

 全部自分のせいだなんて言われたら、すごく辛いってわかる。だから。


「――その不幸はね。オジくん、君がギフトを持って生まれたからこそ存在するものなのだよ」


 だから、わたしは。


「――――」


 何もできない、何も言えなくても。それでも、おじさんのために何かしたいと思ったから。


「……ふむ、何かな」


 顔を上げて、前を見て。

 ただ大きな背中に隠れて怯えているだけじゃない。ちゃんと自分の足で立って、一歩二歩と歩いて両手を広げる


「――――っ!」


 声は出せないけれど、目は見えるから。

 この都市長が言っていたように、言葉じゃなくても表情や視線だけでも話はできるから。

 少女のことを見ていなかった都市長の目を見て、精一杯心を踏ん張らせて訴える。

 勇気を振り絞って、ただ一心に伝える。


 これ以上、おじさんを悪く言わないほしい。

 おじさんは不幸なだけの人なんかじゃない。わたしを救ってくれた。チョコレイトをくれた。おじさんはすごく優しい、幸福をくれるチョコレイトの魔法使いなんだから。


「……」


 返事はなく、身体が震えそうになる。気を正して前を見据えた。


「…………」


 数秒か、数十秒か。

 静かに時間が過ぎて、その間ずっと少女と都市長は見合っていた。


「――……ふ、ふふ……はぁ、やれやれまったく。これでは私が悪者のようではないか。まあ子供に聞かせるような話じゃあなかったかもしれないね。オジくん、悪いことをした。彼女を連れて帰りたまえ。褒賞は君の泊まる宿に送るよう手配しておこう」


 ふ、っと目を逸らした都市長が笑って二人に退室を促す。

 ふらりと倒れそうになる少女の手をおじさんが引っ張り、ゆっくりと、されど足早に謁見の間を後にする。直前。


「あぁオジくん、最後に忠告だ。君の不幸は、君に一生付いて回るものだよ。まあこれ――」


 ばたりと扉が閉じて声が聞こえなくなる。

 都市長の声も途中で切れ、残るのは来た道を戻るおじさんと少女の足音だけ。案内人は少し先を行く一人の衛兵だった。


「……」

「……」


 場を沈黙が支配する。

 マクリルを透過する太陽光は眩しいのに、クリスタルパレスの空気は暗く淀んでいるようだ。


 既にセリーゼは足のふらつきもなく真っ直ぐ歩けるようになっている。おじさんとは手を繋いだままだが、普通に離すつもりはなかった。なんとなく、手を離すと心まで離れ離れになってしまう気がして。


「……セリーゼ」


 少女の耳が声を拾う。

 ちらと横を見て、小さく頷く。


 おじさんは前を向いたままだった。目が合うことはない。気楽な気もするが、寂しい気もする。心の中でずいぶんと絆されてしまった自分に苦笑する。


「さっきは助かった。……ありがとう」


 ふるふると首を振った。

 お礼を言われるようなことではない。ただ少女が言いたかったから言っただけのことなのだ。


「そう、か」


 頷き、それきり会話は途絶える。

 訪れた沈黙に不快さはなく、穏やかな気持ちで身を預けられた。

 こつりこつりと、長い廊下に足音が響く。


 色々……色々と、考えることがあった。

 チョコレイト魔法の正体とか、おじさんの過去とか、不幸とか不運とか、褒賞とかお金とか。思うことはあって、けどどれも一人で考えても答えなんて得られないとわかっていた。


 曖昧な疑問は捨てて、原点に帰ろうと思う。

 結局、シィラ都市長は何をしたくておじさんを宮殿に呼んだのか。


 いくらセリーゼが子供だからって、彼女にも褒賞の件がついでだったことくらいわかる。

 謁見の間で見た都市長は、歴史のことを語っている時が一番生き生きとしていた。ヨンノクニの都市長についてなんてほとんど知らないが、姿を見て話を聞いていればわかることもある。


 きっと都市長の目的は、おじさんを、チョコレイト魔法というギフトを使えるおじさんを街に留めること。ギフトに興味があるからなのか、それともチョコレイトが食べたいからなのか理由は定かではないが、おじさんを引き留めようとしているのは間違いなかった。


 対しておじさんは……。


「……」


 少女に合わせてゆっくり歩いてくれる優しい男の人。

 この人は、あんまり乗り気じゃないらしい。


 その理由は当人が言ってたからはっきりしてるけど……。冷静に考えてみたら、わたし、おじさんのこと全然知らなかった。

 一緒に旅を始めてまだ一週間も経っていないんだし、知らないことが多いのは当たり前と言えば当たり前ではあるんだけどと、そう割り切れれば楽だった。


 少女自身あまり自分のことを深く話していないのだから仕方なくはある。本当は同じ家で暮らし始めてお互いのことを知っていければいいと思っていた。……でも、旅の途中でこんなことが起こったら気にもなっちゃう。


 全部あの都市長のせいだ。心で小さく文句を言って溜め息を吐く。


 悩み考え、気疲れしながら建物の外へ。

 クリスタルパレスは陽の光を存分に取り込む建築をしていたため、内と外であまり眩しさは変わらない。野外に出た感覚はなく、衛兵に見送られる部分だけは宮殿の厳粛な雰囲気が少々残っていた。


 宿に向かう――前に一度子供たちのいた屋台通りに寄る。

 地図を頼りに辿り着いたが、屋根上からこっそり様子を見てすぐ宿に戻った。


 おじさん曰く、無事ならそれでいい、とのことだった。


 夕方には早く、昼食には遅い。そんな中途半端な時間に宿に戻ることとなったが、特にお腹は空いていない。四十人前分もの魚野菜炒めサンドがマジックバッグの中に収められているのだ。一つ二つも摘まめばお腹はいっぱいだ。


 夕食の時間はまだまだ先だが、セリーゼにこれ以上外を出歩く元気はなかった。外出はおじさんと一緒じゃないとまだできないので、宿に戻ったばかりで再度外に付いてきてもらうのも申し訳ない。

 それに。


「……」


 おじさんには変わった様子などないように思えるが、どことなく疲れて何かを考え込んでいるようにも見えた。

 頭を振り思考を放り投げ、ベッドに倒れ潜り込む。柔らかな布団は微妙な寒気をもたらす外気から全身を守り包み込んでくれる。


 うとうとと。うつらうつらと。


 仮眠を取り、褒賞を受け取り、起きてご飯を食べ、寝支度を整え、ぽつぽつおじさんと会話し、部屋の電気を消してベッドに入る。


 セリーゼ自身が思っていたよりも疲れていたのか、仮眠を取ったにしてはすぐ眠りに落ちてしまった。

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