買い物と魔力。
――翌朝。
"おはよう"の挨拶から始まり、顔を洗ったり朝食を食べたりと宿屋のルーティンが続く。
今日の天気は曇り。昨日とは打って変わって灰色の雲が空いっぱいに広がっていた。
【おじさん、今日は何をしますか?】
「――……」
【おじさん?】
「――あぁ、悪い。少し考え事をしていた。……今日何をするか、か?」
【はい】
珍しい。というか初めてかもしれない。
おじさんが少女に反応せず、ぼんやりと考え事に没頭しているなんて。表情が一切変わっていないからわからなかった……。でもやっぱりおかしい。
昨日からそうだったけれど、クリスタルパレスに行ってからのおじさんはどこかおかしい。
じっと座ったまま動かなかったり、ぼーっと遠くを見たまま止まったり、ベッドで死んだように眠って――は前からか。とにかく、昨日からずっと考えてばかりいる。
聞きたい。でも聞けない。そんな簡単に聞けたらこんな悩んだりしない。
「今日はナナノクニに向けての情報を集めるつもりだったが……昨日金が入ったからな。懐にはかなりの余裕ができた。思った以上に早くシスイまで来られたこともある。ここで食料や雑貨、必要なものを買い足しておこう」
【わかりました】
気持ちを切り替え頷き、止めていた手を動かす。今日の朝ご飯は野菜と魚の蒸し焼き定食だった。とても美味しい。
食事を終え、ホットチョコレイトを飲んだり着替えたり歯を磨いたりまったりしたりして、なんだかんだ二時間くらいは経過してしまう。
宿には昨日のうちに二日分の宿泊費を払っておいたので気兼ねなく出入りができる。時間の余った優雅な二人組だ。
「……そろそろ行くか」
【はい】
時刻が時刻だからか昨日より幾分か閑散としている宿街を抜ける。
朝の十時過ぎ。もう一時間もすればお昼が近づく時刻であるため、街中では料理屋が活発に動き始めていた。早いものでは既に店を開き客を招き入れているところもある。少ないが人の出入りはあるので需要はあるようだ。
食べ物を買うか、料理を買うか、食べ物を買うか。
少女の頭の中には食べ物のことしかないので、目移りしながら美味しいものを探す。いや、全部美味しいから美味しくないものなんてないんだけど。
おじさんの持つマジックバッグは超高級品なので内部の時間が止まっている。当然料理も作り立てをそのまま入れられて取り出せる仕様だ。
旅の途中で鞄についての説明を受けた時、毎日美味しい料理が食べられる!と無邪気に喜んだセリーゼである。そのすぐ後に価値を聞いて顔を引きつらせたが、管理するのはおじさんだし、と気にしないことにしている。
そんな便利なマジックバッグがあるのにどうして携帯食料なんて買っているのか、という疑問は生まれなかった。備えあれば患いなし。ご飯は大事。それがすべてだ。
【おじさん、あのパンを買いましょう】
「ああ」
【おじさん、あの串焼きを買いましょう】
「ああ」
【おじさん、あの肉巻きを買いましょう】
「ああ」
【おじさん、あの焼き飯を買いましょう】
「ああ」
ある程度遠慮を取り下げた少女と、ぼんやりロボットのように同じ言葉を繰り返すおじさんと。
食料なら買い溜めしても損はしないと知った少女は料理、食事に関してのみ遠慮することを忘れた。高級品はともかく、手軽なものならすぐに買おうと男に伝える。必要なものを一通り揃い終えた男も男で他に買いたいものはなく、少女の希望は即座に通していく。
隣の男の返事が一言だけなのはいつも通りなので、特段変わったところがないようにも思えるが……やはり少女にとって、今のおじさんはどこかおかしかった。
「……」
屋台街で一切食べない爆買いをして、貧民街ならぬ子供たちの屋台通りで二度目の大量注文を済ませる。
屋台にやってきたおじさんを見て、子供たちが"昨日のおじさん!""おじさん!"ご飯のおじさんだー!"とはしゃいでいたのが印象的で。そんな子供たちにちょっぴり口元を緩めているおじさんがもっと印象的だった。
少女もまた、ふふりと微笑んでしまう。
「どうかしたか?」
【いいえ、なんでもないです】
「そうか」
【はい】
気を張っているような、近寄りがたいような、何とも言えない雰囲気だったおじさんがいつも通りの不器用で優しい人に戻っている。
せかせか動く子供たちをぼーっと見ていた目が少女に向けられ、ついつい嬉しくなってしまった。少しばかり声も弾んでしまう。
でもまあ、今くらいいいかなと――――。
「――セリーゼ」
"はい"と書いてから、厳しい表情をしているおじさんを見て戸惑う。どうしたのかと尋ねようと思って。
「感じるか?」
「――っ」
続けた言葉に改めて何のことなのか聞こうとして、ペンを動かし始めた時に
なんだこれと思う。
肌が粟立つ。寒い。怖い。いきなり冷水を浴びせられたかのような感覚がある。身体が震える。
「大丈夫、大丈夫だ」
「ぁ……」
そ、っと頭に手が置かれる。体温が伝わる。陽だまりみたいなあたたかさが凍りそうな心を包み込んでくれる。身体の震えが止まる。
落ち着いたところで周囲を見て、誰も自分やおじさんのような反応をしていないことに気づく。誰も気づいていない。誰もわかっていない。こんな……こんな、強烈な敵意、殺意のようなものが向けられているというのに、誰一人気づいていない。
【おじさん。これはいったい】
「……一度、屋根の上に行こう」
【は、い】
さらりと抱えられ、とんとんとん、と跳ねて数秒で近場の屋根上に辿り着く。
上に着き、"あっちだ"と指が向けられた方を見る。遠く遠く、曇った空の下遥か遠くに豆粒のようなものが見えた。
【鳥でしょうか】
少女の文章を流し読んだおじさんは、首を振り答える。
「あれは人だ。――おそらくだが、魔人だろう」
「っ」
息を呑む。
――
この時代、今を生きる人間なら誰もが聞いたことのある単語。
人類よりも強大かつ強力であり、種として優れ、そして何より人類と敵対している。人間を下等と見做し、長きに渡り人類と争いを繰り広げてきた種族。
遥か昔は大陸全土を席巻していた人類の生存領域も、時代とともに負け続けた結果、今では大陸の端の方に追いやられ魔人の住まう領域と同等以下の広さとなってしまった。
今でさえようやく人間の進化による拮抗、一部の魔人が歩み寄りの姿勢を見せもし始めたが、あくまで一部でしかない。多くの魔人は変わらず人類と敵対したままだ。
そんな、強力無比な魔人がいると、おじさんはそう言う。
【あの。どうして魔人だってわかるんでしょうか】
おじさんが嘘をついているとは思わないが、先の発言を信じたくない気持ちも大きかった。
それだけ魔人という単語は、本物を見たことのない少女であっても避けたいものだったのだ。
「魔力だよ。……俺たちが感じている魔力。敵意……いや、これは怒りか。怒りの乗った魔力の波がここまで伝わってきているだろう。ただの魔力でこんなことができるのは魔人くらいだ」
【魔力、ですか】
今まで魔力なんて感じられなかったからわからなかった。チョコレイトで進化した影響なのか、あんまり嬉しくない能力だ。
おじさんの服を掴み、遠くの魔人から逃れるように身を寄せる。考えれば考えるほど怖く、寒くなっていく。
「……大丈夫、安心しろ。魔人が人間の上位種なら、俺たちもまた上位種だ。進化の仕方が違うだけで、生物としてなら同じ位置に立っている。それに……」
言葉を止めたおじさんの顔を見上げ――ようとして、頭に手を置かれて顔を見損ねる。どんな顔をしていたのだろうか。ほんの少し見えた表情には、なんとなく暗い影が差しているような……。
「……それに俺は、魔人を殺したことがある」
「ぇ……」
聞き返そうと思って、手帳にペンを立てようとして――。
「――そいつは聞き捨てならねえなぁ、人間」
会話を遮るように、少女の身を凍てつかせる冷たい声が響いた。
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