魔人。
「あぁ別に同族を殺されたことに苛ついているとかじゃねぇんだ。なぁ、わかるだろ?お前ら人間にも落ちこぼれ劣等はいるんだからよ。オレら魔人にも劣等無能役立たずはいるんだ。だから別に、オレはお前が魔人を殺したことなんてどうだっていいんだよ。劣等同士殺し合ったらそりゃ人間が勝つこともあるさ。まあだからそこはどうでもいい。けど、けどな?お前、魔人を殺したって言うのはやめようぜ?なぁ。魔人じゃなくて、劣等魔人にしとけって。お前みたいな粋がった雑魚が魔人を殺したなんて嘯いてりゃ、オレじゃなくたって誰でも苛つくだろうよ。――――だよなぁ。人間?」
ぺらぺらとよく回る舌で喋る魔人の男。
いつの間にこんな近くまでやってきたのか。さっきまで豆粒くらいにしか見えなかったはずなのに、気がついたら目前の上空に立ち浮かんでいた。
見た目は人間とそう変わらず、足場のない空に浮かんでいることを除けば普通の人に見えなくもない。ただ魔人は漏れ出る雰囲気に加え、妙な……妙な目を持っていた。
「……魔人、何しにこの街へ来た」
人間で言う瞳孔に当たる部分が真っ白に染められ、虹彩はくすんだ紫色。白目の部分は瞳孔とは逆に薄く色付けされたように紫が滲んでいた。
魔人と向き合いながらも、おじさんはこちらへ来るようにと合図してくるので傍に寄る。一歩、離れていた距離を詰め魔人の視線から逃れた。コート越しに背中を掴む。詰まっていた息を吐く。なんとも言えない息苦しさが減った気がする。
「ハッ、オレの話一切聞いてねぇじゃねぇかよ。さすがは下等種。まともに話も聞けねぇか。だがオレは寛大だからな。お前の舐めた質問にも答えてやる。鬱陶しい街を滅ぼしに来たんだ、よ!」
ぱ、っと景色が切り替わる。同時に身体に加わる圧力。風と、熱と、甘い香りと。
一拍遅れて耳に破砕音が届き、ぱちぱちと瞬きを繰り返してようやく現状を理解する。同時。
「避けるかよ。まぁいいがな。死ね」
再びの切り替え。
今度は意識を集中していたからよくわかった。魔人の言葉もそうだが、どうやら攻撃を受けているらしい。おじさんの肩越しに線状の光が幾筋も伸びてきていた。
どんな魔法なのか、おじさんが動く先々に線が伸びている。
当たったら危ないのかな、考えてすぐ自分の体勢を思い出して"さすがおじさん"と胸の内で呟いた。
少女を横抱きにせず抱きしめるように前で抱え上げたのは、魔人の射線から逃れ的を小さくするためだった。
チョコレイトの翼を広げ、急旋回し、直角の方向転換や急上昇急降下も混ぜて空中戦を繰り広げる。
魔人の魔法は素早い光線だけじゃなく、高速機動を続けるおじさんを追尾する光の玉もあった。玉の種類は豊富で、火や水、氷に土と統一性はない。大きさも様々であり、拳大のものから人の頭より大きいものまで、強い魔力の込められた魔法の玉だった。今のところ全部チョコレイトで撃墜されているけれど。
飛んで避けて逃げて、正確無比なチョコレイトが魔力の玉を撃ち落としていく。行路を塞ぐ光線にはチョコレイトを置くことで道を作り、抜け落ちるチョコの羽を風に乗せて反撃までしていた。
「チッ、お前のチョコレイトは知ってるんだよ。食い物のフリした毒物が」
羽は魔人の魔法で消し飛ばされ、チョコレイトの塊も同様に消し飛ばされる。
万が一にも身体に付着しないよう、魔人の魔力放出は大げさなほど強かった。
空中での魔法戦は続く。
おじさんの攻撃方法は固体液体問わずチョコレイトをぶつけること。あまり追尾性はないが狙いは正確なので、宙を舞う甘味は正しく魔人の下に届いていた。今のところすべて迎撃されているけれど。
対して魔人の攻撃は光線の魔法と光玉の魔法の二つ。
どちらもチョコレイトで防げるけど、光線は気づいた瞬間こちらに伸びてきているので簡単には防げない。どんな感知能力なのか、おじさんは後ろも見ないで光線に気づいて避けている。
積極的な攻勢に出ている魔人の方が有利に見えるが、おじさんのチョコレイトはたぶん当たったら一撃で相手を倒せるので勝負は五分五分といったところ。
「羽虫みてぇに飛び回りやがって。だがそれもここまでだ。――周りをよく見てみろよぉ、人間」
攻撃魔法が止み、おじさんも警戒しながら動きを止める。魔人の発言を聞いて周囲を見渡すと。
「……糸か」
翼を揺らすおじさんと少女を囲うように張り巡らされた光の線――糸。
光線がどんな現象の魔法なのかわからないが、触れたチョコレイトが溶けて崩れて消え去るのを見るに強力な光と熱、いわゆるレーザーに近い性質を持つと判断できる。
当然人体は貫通するため身体の一部でも触れるわけにはいかない。おじさんの翼は別だ。チョコレイトで作られているため削れても再生するのである。
おじさんの顔は見えないが、声からは動揺を感じない。予期していたのか、それとも対処できるから冷静なのか……もしくは冷静であろうと努めているのか。
少女はおじさんを信じている。信じているから、ただぎゅっと身体を預けるまま離れないようしがみつき直した。
「ハッハァ、オレの
嘲笑う魔人の声を無視し、少女は上下左右包み込むように広がる糸を見る。
蜘蛛の巣。
そんな言葉が浮かんだ。直線でしか伸びないと思っていた光の線はぐねぐねと曲がり、円を描いておじさんと少女を包囲している。隙間なく、網目状の光糸はキラキラピカピカと眩しく輝いている。綺麗だが……その輝きが人を殺すものだと知っていると、途端に背筋が震えてしまいそうになる。
深く息を吸い込み、チョコレイトの香りに満ちた空気で臓腑を満たす。
気を落ち着け、徐々に迫ってくる光の鳥籠を見つめた。
「そのまま閉ざされ消え失せろ――死ね」
おじさんは動かない。
冷酷な声に返事はせず、ただ翼を羽ばたかせて――――。
「――――知っていた」
視界を過るふわふわとした羽。焦げ茶色の、チョコレイト色の羽。
「――お前たち魔人が単純な魔法使いではないと知っていた」
おじさんの声は誰かに伝えるようではなく、独白として宙に言葉を溶かしているように聞こえた。
「――魔人がどうして魔人と呼ばれるのか。それは人間よりも超越的に魔法の扱いに優れているからだ。人間では到底真似できない魔法の自由度。豊富な魔力。呪文も陣も必要としない魔力操作精度」
舞い踊る羽は瞬きのたびにその数を増していく。
「――挙げれば切りはなく、故にお前たちは魔人と呼ばれる。だからこそ、俺にはわかっていた。お前がただの光線を飛ばす程度の魔法を使うわけがないと」
羽が降る。チョコレイトが舞う。甘い香りが世界に広がる。
「ハッ、それがなんだ。お前が閉じ込められたことに変わりはねぇよ人間。戯言もほどほどにしておくんだな。もういい、早く死ね」
光糸により消え去る羽よりも、翼の揺らめきにより増える羽の方が多い。
急速に縮まる光の檻に触れ、どんどんとチョコレイトの羽が消えていく。消えて消えて消えて…………。
「……お前、何をしやがった」
魔人の声から余裕が消えていた。
「――お前に説明する義理はないが……セリーゼ、気になるか?」
「っ……――ぁ」
急に聞かれたので、つい普通に頷いてしまった。
おじさんの声は平常なまま。何が起きたのか、少女の目にはいきなり光の糸がチョコレイト色に染まって溶け落ちたように見えた。
「そうか。――魔人、お前が俺のチョコレイトを溶かし続けて何キロになったと思う?」
「あ?知らねぇよ。それよりお前――けほ」
急に咳き込んだ魔人に、少女は顔を上げて前を見る。
上空に立つ魔人。視線を落とし、不思議そうに、信じられないような顔をして自身の手を見つめている。よく見ると、その口元からは赤い色が――血の色がこぼれ出していた。
「ざっと人間百人分はあるだろう。溶かしたチョコレイトの分だけ、この場所、この空間はチョコレイトの粒子で満ちている」
「……おい、これはどうなっていやがる」
おじさんは魔人を無視し、あくまで少女への説明として話を続ける。
「魔法と言えど、それはエネルギーの塊だ。術者の手を離れた魔法は、そこに使われるエネルギーの分を別の物で満たしてやれば制御が利かなくなる。光は一見強力に思えるが、物質的エネルギーは少ない。チョコレイトで覆い、チョコレイトで満たしてやれば俺が制御するのも容易い」
「……人間、お前、何をしやがった――げほ」
"一瞬で光糸をチョコレイトで埋めないといけないから手間だったが"と付け加えるおじさんに、少女はチョコレイト魔法の異常性を強く感じ取った。
誰かの魔法を塗り替えるなんて聞いたことがない。
魔法とは、普通の、人の法から外れたものだから魔法。魔の法と呼ばれるのだ。それを簡単に奪い取るなどと言うおじさんは異常だった。
少女の持つ常識はありえないと言っているが、おじさんのチョコレイト魔法はすごいと知っているので素直に受け入れてしまう。それに、別にどんな魔法でもチョコレイトはとっても美味しいからいいかな、とも思ってしまう。チョコレイトの魅力にどっぷり浸かってしまっているセリーゼである。
「がは……くそ、これはお前――――毒かよ」
「……少し遅かったな」
げほげほと咳をし、そのたびに空から落ちていく赤の雫。
おじさんは少女を離し、そっと翼で支えて魔人に向き直る。睨みつける魔人の目に力はなく、今もまた激しく血を吐き出していた。
「俺のチョコレイトが毒になると知っていたようだが、どうして揮発したチョコレイトに毒性がないと思っていたんだ?」
「……ハッ、そんな素振り一切見せなかっただろうが、お前」
「ああ。お前たち魔人は人間を舐めているが、危険を感じれば即座に本気を出すからな。こちらは最初から本気でやらせてもらった」
「ケッ――げほごほ……いいぜ、
血を流しながらくつくつと笑う魔人はどこか不気味で、すぐに死んでしまうと言うのに何故か余裕が見える。
隣を見て、自分と同じように怪訝な顔をしているのを確認する。といっても眉間に皺を寄せている程度だが。
「だがなぁ、
言って、高く笑いながら――。
「セリーゼ」
「――!」
――瞬間、光が奔った。
急な閃光はおじさんが庇ってくれたおかげで一瞬しか見えず、それでも目が慣れるまで少々の時間を要した。
抱擁を解き、チョコレイトの翼から顔を出して前を見る。
「……」
空にはもう、何もなかった。
「……魔力を暴走させて自爆したようだ」
目の前の空間はぽっかりと開け、不気味な魔力もなければ魔人の見下しきった声も聞こえない。血の跡一つ残さず魔人は完全に消滅していた。
気になることがあって、周囲に危険がないことだけを確認し手帳を取り出す。
【あの、おじさん】
「なんだ?」
【魔人は、本当に死んでしまったのでしょうか】
あの言葉は。
とても嘘を言っているようには思えなくて。
「……わからん」
見上げ、チョコレイト色の瞳を微塵も揺らがせないおじさんと目を合わせる。
「だが安心しろ。次があろうと俺が勝つ。まだ手札はあるさ」
【はい】
頭に手を乗せ、やんわりと撫でてくれるおじさんに心が解れていく。
不安が薄れ、ついでと渡されたチョコレイトの甘みに頬が緩む。
魔人の行方はわからないが、ひとまず急な戦いは終わりを迎えた。
おじさんに怪我はなく、少女にも怪我はなく。
地上に降りて通りを進んで。
「――失礼、宮殿までご同行を願えますか?」
話しかけてきた衛兵の人に、あ、と小さく掠れた音を漏らす。
考えてみれば当たり前の話だが、街の上空であれだけ激しく光の攻防を繰り広げていれば人の目にも付く。当然魔力も伝わり、チョコレイトの色も見えたことだろう。
「……」
またあの都市長と会うのかと思うと、結構な憂鬱さだった。
顔を上げておじさんを見ると、何も言わず頭を撫でてくれた。少しだけ気が楽になる。
ただまあ……どうやら今日の魔人騒動は、まだもうちょっとだけ続くらしい。
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