都市長。
都市シスイに対する魔物の襲撃事件は、そう大きな被害を出さずに収束した。
いくら平和ボケし気が抜けていたとしても、そこは中原国家の首都。警備隊も衛兵も一定以上の戦闘力を持ち、侵入経路である橋を沈めた段階で対処すべきは空と水中だけになった。
落ち着けば数に押した魔物など容易く、空中の上位種も魔法で撃ち落とし相手を散らすことに成功した。群れの制御個体が落ちれば本能に忠実な魔物は逃げ惑うため、シスイの兵士にとって残りの戦闘はただの作業でしかなかった。
兵士を指揮した者たちは、水中と空中で魔物の種別が大きく異なるため統御個体も別だと判断した。しかし、空中よりも水中の方が先に統率を失ったので、もしやこの場以外で何者かが上位種を倒したのかと思索を巡らしていた。
そこに現れた誰かこそがおじさんである。
水中から顔を出したおじさんを発見したのは都市の兵士長でもある一人の男だった。
流されるままに事情聴取を受け、都市シスイの中心であるクリスタルパレスに招かれることとなった。要するに都市長――ヨンノクニ国家元首との謁見である。
クリスタルパレスとは言うが、建築にガラスは一切用いていない。アクリルを魔法で特殊加工したマクリルを建材として使っている。
魔物討伐を終えてそのまま宮殿に連れてこられたため、当然セリーゼもいる。
というかセリーゼにとっておじさんと離れるという選択肢は存在しなかった。置いてけぼりなど話にもならない。さすがにもう手は離したが、いつでも服や腕を掴める位置にはいる。
「……妙な事態になった」
控え室でふかふかの椅子に腰掛けるおじさんが呟く。
おじさんの隣に座った少女は、どんな返事をしようかと迷い。
【これから、どうなるのでしょうか】
つい本音をこぼす。
流されるままにやってきてしまったので、正直どうして自分がこんな広々とした綺麗な部屋にいるのかよくわからない。
理由はわかる。おじさんが戦いで活躍したから。けど現実感はない。そもそも急な魔物の襲撃の時点で現実感がなかったのだ。こんな宮殿にまでやってきて、気持ちが追いつけるわけがない。
これからどうなるのか。
ちゃんと街を出てナナノクニに行けるのか。魔物は全部いなくなったのか。おじさんと離れ離れにされたりしないか。
不安が重なり、綺麗なところだけどあんまり長居したくはないなと思ってしまう。
部屋の入口を守る衛兵の人が少し怖くて、天井のマクリルが眩しくて。
なんだか目を閉じるのも嫌で、そっと窺いながら横を見る。おじさんは――。
「――まあ、大丈夫だろう」
そっと、あたたかな手のひらが頭に押し付けられる。
きゅぅっと重たくなっていた胸の奥が軽くなっていく。何か心のつかえが取れるような、そんな感覚。
「そう心配しなくても、都市長が民間人を無下にするようなことはないさ」
ほんのり頬を緩ませ、こくりと頷いた。ふわふわと撫でてくれる優しさに甘える。
不安は不安のまま変わらないが、おじさんのおかげで深く考え込まなくて済む。何も考えず、全部相手に任せようと思えてしまう。頼れる人がいるって、こんな感覚なのかな……と思ったり思わなかったり。
少女が身体の力を抜いてぼんやりリラックスしていたら、コンコンと部屋の扉が小さく叩かれる。
衛兵が返事をし、入ってきた綺麗な服を着た人に言われておじさんが立ち上がる。セリーゼもささっと立ち上がった。どうやら都市長の準備が整ったらしい。
端々にマクリルがあしらわれた廊下を歩く。
衛兵に挟まれ、おじさんとはぴったりくっついてできるだけ離れないようにする。当たり前ではあるが、前も後ろも歩いているのは大人だった。おじさんより顔は怖くないけど、雰囲気は怖い。チョコレイトの香りがするコートから離れる勇気は出なかった。
歩くこと数分。衛兵が守る大扉を抜けて明るい部屋に入る。
天井全体がマクリルで作られ、存分に取り込んだ太陽光が部屋の隅々まで明るく照らしている。部屋は入口から左右に広がり、真っ直ぐ正面の先に浅い階段がある。階段の上には大きめの机が置かれ、机上を埋め尽くすように紙の山ができている。奥に見える人は椅子に座り、黙々と書類仕事を進めていた。左右に立つ護衛が厳しい顔つきをしている。
入口から左右奥には今しがた通ってきたものより小さな扉が見える。謁見室に通じる扉は一つだけではないらしい。天井も明るく透明で、ずいぶんと開放感のある部屋だった。空の青が眩しい。
「――シィラ都市長、魔物討伐功労者の方をお連れしました」
少女とおじさんを先導していた人が声をかけ、階段の上で椅子に座っていた人が顔を上げる。
長い紺色の髪と、陽が沈んだ後の夜空のような色の瞳。
その人は、吸い込まれるような美貌を持つ女の人だった。
「――――ふぅーん……なるほどぉ。……なぁユーカリ。本物かい?」
おじさんを見て、少女を見て。
冷たい目をそれぞれに向け、何を思ったのか誰かに問いかける。返事は女の人の隣から聞こえてきた。
「本物、です。ここまでぶんぶん匂ってきてる、ます」
「へー。本当に?」
「はい。本当、です。本当の本当に本物だ、です」
「――へぇ」
衛兵の一人が返事をする。敬語がたどたどしく、よく見ればその衛兵は頭の上から獣っぽい耳を生やし、顔立ちもどことなく鋭角的で尖っていた。どう見てもただの人間ではない。
ユーカリの言葉を聞いて興味を持ったのか、都市長シィラの目が二人に向けられる。
じっとりとした眼差しを受け、少女はどこか居心地悪くなって身じろぎする。
誰かからの視線を受けるだけでそわそわするのに、こうも強い目線を受けると逃げたくなってしまう。おじさんの隣に立っている今の状況じゃ、隠れようにも隠れられない。
横を見て、こっそりおじさんのコートをつまんでおく。ちらりとこちらに視線を投げて頷いてくれた。ほっとする。
「ユーカリ。どっち?」
「男の方が、です」
「ふぅーん……」
視線が逸れ、代わりにおじさんを上から下まで値踏みするかのように見つめる。
少女なら顔ごと逸らしていただろうに、おじさんは一切動じた様子がなかった。頼もしい。さすがおじさん。
「まあ、それは後で聞くとしようか。――よし、君らが魔物の上位種を討伐してくれたんだろう?まずは都市の長として礼を言おう。感謝する、ありがとう」
先ほどまでの会話は何だったのか。全部なかったかのように話しかけてくる。当然少女は受け答えなんてできないので、おじさんに任せてきゅぅっと縮こまっておいた。
感謝と褒賞と。
おじさんと都市長の会話はそう長いものでもなく、端的に魔物討伐における功労者であるおじさんへの褒賞についてだった。助かったから何かあげるけど、何が欲しい?というような質問に金品、と答えたおじさんは不思議と手慣れているように見えた。
都市長が側近(二人を先導してきた人)に声をかけ、金品の準備へと向かわせる。
横から話を聞いていただけだが、先の魔物襲撃はなかなかに状況が悪かったためそれなりの額のお金をもらえるそう。元々おじさんは結構お金を持っていたので、これでまた懐が潤うことになる。
あんなたくさんの金貨や
「――それじゃあ最後に一つ聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「はい。なんでしょうか」
「ありがとう。君、オジくんと言ったね。オジくん、君はチョコレイトを知っているかい?」
空気が張り詰める。
錯覚だろうか。他所に向いていた意識を話し合う二人に向ける。
おじさんの横顔も、都市長の顔もあまり変わったところはない。無表情と微笑と、和やかな雰囲気のまま。
気のせいだったのかなとほんの少し首を傾げる。それにしても……オジくんという呼び方はいったい何なんだろう。おじさんだからオジくん……。都市長も変わった人なのかも、そんなことを頭の隅で思う。
「チョコレイトとは、何のことでしょうか?」
えっ、とおじさんを見た。しれっと嘘をついていてびっくりしてしまった。
「ふむ?そちらの少女は知っているようだが……君、チョコレイトは知っているね?」
「……ぅ」
再び驚く。急に話しかけられた。さらに身を縮こまらせ、まごまごと視線を彷徨わせる。
「申し訳ありませんが、この子は言葉を話せません」
「あぁうん。知っているよ。今聞いたのは確認のようなものさ。人は声に出さずとも、仕草、視線、表情だけで物を語れるものだろう?言葉を交わさず生活している君たちなら既にわかっていることだとは思うがね」
「……そうでしたか。はい。身をもって学んでおります」
「うんうん。さて……オジくん。私が見た限り、その少女はチョコレイトを知っている反応だったんだけれどね……。それでも君は知らないと言うのかい?」
「――――」
音が止まる。
ちらりと、逡巡するようにおじさんの瞳が少女に向けられた。迷いを宿した瞳にセリーゼが映ったのは一瞬、すぐさま前に向き直る。
今の瞳の意味を考えようにも、考える前に会話の続きが始まってしまった。
「――都市長。先ほどは失礼しました。腹芸はやめましょう。私はチョコレイトを知っています。都市長もまた、私のことをご存知だったでしょう」
「ふふふ、そうだね。つまらない話は抜きにしようか。あぁそうだ。私は君を知っている。――いや、知って
「私
「いいや、
「そうですか……。どこまでご存知で?」
「詳しくは知らないよ。ここは海から遠いからね。チョコレイトの生産と、魔法使いがいるって話くらいさ」
「なるほど。……私が
「あぁ。察しがいいね。うん。彼は半分人外でね。鼻がよく利くんだ。――ああ、危険はないよ。よく私に仕えてくれている立派な近衛兵さ」
「そうですか……」
とんとんと話が進むせいで頭が追い付かない。
曖昧な言葉が多く、イマイチ二人が何を話しているのかわからなかった。とりあえず獣耳の生えた人が原因でおじさんがチョコレイトの魔法使いだとばれたってことだけはわかった。
表には出さないが、内心ではうんうんと頷く。だっておじさん、すごく甘い匂い漂わせているんだもん。
「――都市長、私を呼んだ目的はなんでしょうか?」
「君、シスイでチョコレイトを作らないかい?」
「お断りします」
「ふふふ、即答か。そう言われると思っていたけど、フラれるのは辛いものだね。ユーカリ、彼は私がお気に召さないらしいよ」
「残念、です。おれはチョコレイト、あとでもらいに行く、ます」
「結構なことを言うじゃないか……。――しかし、オジくん。どうして断るんだい?」
都市長の問いに少女もこっそり同意する。
最初はちょっと不安になった。もしもここでおじさんが"はい"と言ってヨンノクニに住むことになったらどうしようって。おじさんみたいに不思議な魔法が使えるわけでもないわたしはきっとどこかへ捨てられる。……悲しくなりかけて、すぐに聞こえた否定の声に元気を取り戻した。
そうだった。すぐに落ち込んでしまうけれど、おじさんはわたしを見捨ててどこかへ行くような人じゃなかった。一緒にナナノクニに行って家に住むって約束をした。けど……それは別にたぶんヨンノクニでも変わらない。どうしてヨンノクニじゃだめなんだろうと思って、もしかして"この子も一緒なら構わない"と言う前の交渉術――。
「私は……俺はもう国に使われて生きるのは御免だ」
全然違った。変に深読みしすぎてばかみたい。恥ずかしい。
「ほう……」
「褒賞の件、ありがたくいただく。だが俺がヨンノクニでチョコレイトを作り広めることはない。無論個人的な注文なら受け付けるがな。――セリーゼ、行くぞ」
「え、は、はい……」
少女が動くまで待ってくれるおじさんはやっぱり優しい人だった。
急に丁寧語を止めて帰ろうとするおじさんを止める人はいない。緊張する身体を動かして振り返り、部屋に入ってきた時使った扉を目指す。
「――待ちたまえ」
びくりと肩が跳ねる。
何か掴まるものを探し、おじさんの手を見つけて迷って――そっと指を捕まえた。顔を上げると目が合う。何も言わずに頷いてくれた。ほっと一息。
「まだ何か」
「あぁ、そうだね。オジくん、君の意思はわかった。気を変えるつもりはないのかい?」
「ああ。ない」
「そうか……。でも、君がここを出ていくのは私の話を聞いてからにした方がいいと思うよ」
「何を言われても俺が意見を変えることはない」
「そうかそうか。構わないよ。私はただ伝えるだけだからね」
さっきより少し都市長に遠く、入口に近い場所で再び向き直る。
階段の上では満足そうに笑う都市長がいて、横に立つおじさんは口を一文字に引き結んでいた。
少女は先ほどよりもリラックスしている。おじさんとの距離が近くなり、指も繋いでいるからだ。安心感が段違いである。
「――オジくん、君は"不幸の星"というものを知っているかい」
そうして足を止めた二人に――正確にはおじさん一人に語り始めた都市長の第一声からは、どうにも不吉な響きを感じてしまうのだった。
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