街と子供と魔物。
星の海を泳ぎ渡ること数十分。
本来なら数分とかからず山を越え降下を始められるところだったが、空の上の天然プラネタリウムを堪能するべくおじさんはゆったりと翼を動かしていた。
三日月と星々が見下ろす闇夜の中、イチノクニ西より山越えを果たし東に進む。
他に生き物のいない空域から風を切って地面に向けて降下していく。
少女の視界は流れ行く空とおじさんの服や顔で埋められていたため、あまり恐怖心はなかった。急降下の実感はなく、風切り音はあっても温度や気圧の変化は感じられなかった。それらすべてチョコレイト魔法による防護の結果ではあるが、少女がそれを知ることはない。
数分か、数十分か。
降りている時間はそう長くなかったような気もするし、意外とかかったような気もする。地表に近づいた時点で動きを止めたおじさんに聞いてみると、数分しか経っていないとのこと。
日が落ちる前に山の麓から見上げた山脈の威容を思うと、たった数分で上から下まで移動できてしまうなんてちょっと想像がつかなかった。自分が今体験したばかりというのはわかっていても、理解が追いつかない。おじさんの腕の中にいて気づいたら空の上から地面まで戻ってきていたのだ。わかるわけがない。
まだ地面に降り立ったわけではないが、圧倒的に視界は悪くなっているので周囲がひどく暗く感じてしまう。きゅっとおじさんの服にしがみつき、暗闇への怖さを誤魔化す。上空からの急降下よりもよっぽど怖かった。
徐々に地面が近づく。見えにくくても空は晴れているからそれくらいならなんとなくわかった。
ふわり、と。音もなく山を越えた地に足をつける。
おじさんのチョコレイトで作られた翼は音を一切立てていなかった。
「セリーゼ。下ろすぞ。大丈夫か?」
そ、っとおじさんの腕から抜け出し地面に降りて、わたわたしながら手帳を開く。
【大丈夫です。ありがとうございます】
「構わんよ」
ほっと一息。さらりと頭を撫でる手にほんのり笑みが浮かぶ。
改めて地面を踏んでみるが、特にあたたかみもなく靴越しなので冷たくもない。ただ不思議と、なんとも言えない安心感があった。
心のどこかで空を飛ぶことへの不安があったのかも、なんて思う。そんな不安もおじさんのおかげで紛らわされていたのかなと言葉を追加し、とりあえず周りは暗くてよく見えないので傍にあるコートを掴んでおいた。一安心。
「思ったよりも早く着いたな。まだ十九時前だ」
【そんなに時間経ってないんですね】
「みたいだな……」
夜目の効くおじさんは周囲を見渡して何か考えている様子。
視界不良な足元を見て、植物の少ない大地を踏み、山を越える前と後で植生に変化がないと気づく。
サンノクニからニノクニ、イチノクニと北上してきて今さらながら景色が大きく変わっていたと思い返す。植物は減り、全体的に枯れた土の色が多くなった。空気は乾燥し、あまり暖かいとも思わなくなった。それだけ温暖な地方で過ごしていたんだと納得できる。
戻りたいとは一切思わないけれど、寒さに震えず生きられた気候にだけは感謝したい。
「――セリーゼ」
【はい】
「本来なら山脈を越えた東側にあるトンネルの街に寄る予定だっただろう?」
【そうですね】
「予定を変更しようと思う」
【はいどのようにどう変えるのでしょうか?】
「シスイ湖都市手前まで飛ぼうと思う」
シスイ湖シスイ湖……。頭の中で反芻し、朧気な記憶の地図を引っ張り出す。
名前は覚えていないけれど、湖と聞けば答えはすぐに出てくる。この先東に進むとヨンノクニに入る。ヨンノクニは湖の上に首都を作った国で、その湖の名前がシスイと言ったはず。
【ヨンノクニの湖ですか】
「ああ。よく覚えていたな」
褒めてはくれないけど、撫でてはくれた。照れる。嬉しい。
【おじさん。飛ぶというのはまた空を、でしょうか】
「ああ。太陽が昇るまでまだ結構な時間がある。飛行自体初めてだったが思った以上に速度が出せた。これならシスイ湖まで人目のない時間帯に移動できると思うんだが……どうだろう?」
【いいと思います。わたしは全然】
さすがに、"おじさんに連れて行ってもらうだけだから"とは書けなかった。事実がそうだとしても、オブラートに包むべきものは世の中数多く存在するのだ。
「そうか。なら行くか」
こくんと頷く。
というわけで、再びチョコレイトの翼を広げたおじさんにお姫様抱っこされて少女は空を飛ぶことに。
見上げた先は星空一色。
真っ暗な夜を切り裂く一筋の流れ星となって、空を突き抜けていく姿を幻視する。また星々に囲まれた世界を堪能できるのかと思うと、全部おじさんに任せている身ながら心が踊ってしまう。
期待を胸いっぱいに詰め込んで、少女は自分を包み込む温もりに身を委ねるのであった。
☆
雲間から差し込む光をきらきらと反射する建物が見える。
遠目からでもわかる大きさと美しさを併せ持ったクリスタルドーム。虹色に揺らめく円形の建物はガラス張りのようでガラス造りではない。その証拠に、ガラスなら内部を見通せるものが途中で遮られ見えなくなっている。霞がかった透明な壁はマクリル――魔法加工アクリルの特徴だった。
【綺麗な街、です】
「そうだな。国境やトンネルの街とはずいぶんと雰囲気が違う。……湖上都市とはよく言ったものだ」
かきかきと書いて、そっと差し出した文章に返事がくる。
おじさんの言葉にこくりと頷き、改めて街門から先の湖上都市――シスイを見やる。
湖上都市シスイ。
ヨンノクニの首都であり、近隣国家含め最大の湖であるシスイ湖の名を冠した都市である。名前の通りシスイ湖の水上に作られており、都市から東西南北に伸びる橋を渡らなければ街に入ることすらできない。湖が天然の外壁となるため街を囲う壁はなく、四方の橋、街の入口に大きな街門が開かれている程度だ。
空からの侵入は許可がなければ
そのような湖上都市の西側、最近はトンネル崩落により人の行き来が減った橋に二人の人間が立っていた。
似たようなコートに似たような髪色。一見親子のようにも見えるが、瞳の色や顔立ちは似ても似つかない。事実男と少女、おじさんとセリーゼは親子でもなんでもなかった。ただの拾い主と拾われ子である。
イチノクニの山脈をチョコレイトの翼で飛び越え、宇宙に瞬く星々を眺めながらの遊覧飛行を続けて一夜。
途中仮眠や休憩を挟み、晴天の果てに昇る日を眺め、朝日に濡れる湖が見えた時点で地面に降り立った。
日の出からしばらく待ち、湖の
未だ眠気の残る頭でおじさんの後をとぼとぼ付いていく。
コートの裾はしっかり掴んでいるためはぐれることはない。どうせなら手でも引いてくれたらいいのにと思ったり思わなかったり。さすがに我儘かなと自分で自分に苦笑する。
街門を抜け、目が覚めるに従いシスイという街について徐々に興味惹かれていく。
シスイ湖にかかる橋もそうだったが、街中の地面もずいぶんと特徴的だ。
不思議な材質の地面。白に近い茶色で、一枚一枚が細長く大きなタイルを敷き詰めたような形をしている。木ではなく石でもない。隙間は何か樹脂のようなもので埋められ、踏んだ感触は柔らかめ。ふわふわの柔らかさではなく、弾力のある柔らかさを持っている。
建物に目を向けると、建築様式が大きく二種に分けられていた。
一つは見慣れた木造。二階建て三階建てとあるが、そこまで変わったところはない。少なくとも外から見た限り普通の木造建築だった。
もう一つは地面に似た材質で作られた建物。四角い屋根に外壁が白と青を織り交ぜて塗られ綺麗だった。こちらも二階三階とあるが、どれも完全に四角形で屋根が三角になっていなかった。不思議。
どちらの建物も窓が大きく作られ、透明なマクリルが眩しく輝いていた。
街全体が風通し良く、湖の湛える透明な水に見合った雰囲気を感じられる。心なしか空気も澄んでいるような……。深呼吸をすると、甘いチョコレイトの香りに混じって魚介の焼ける美味しい匂いが漂ってきた。くぅ、とお腹が鳴る。
「――宿を取ろうと思っていたが、先に朝食を済ませるか」
「――!」
恥ずかしい。顔が真っ赤になっている気がする。返事はできず、とりあえず頷くだけ頷いておいた。
おじさんの後ろにぴったりくっついて顔を隠す。眠気なんて完全になくなった。いつからこんなお腹ばっかり鳴らせるように――……いつもだったかも。わたし、いつもお腹減ってたから。
一瞬おじさんから美味しいもの食べさせてもらえるようになってからかなと思ったけれど、別にその前から毎日お腹は空かせていた。むしろ空腹じゃない時がいつだか思い出せないくらいなので、昔からだったのかもと諦める。
おじさんもシスイには来たことがないと言っていたので、ぽつぽつ話しながらお店を探す。
朝からやっているお店は少ないんじゃと思っていたら、意外にそんなことはなかった。大きい街なだけあって朝食を提供している店も多い。
それなりに大きく繁盛していそうなお店を探し、一段と香ばしい匂いを流しているお店を発見した。建物の奥側、煙突からもくもくと白い煙が上がっている。
ここでいいか?のアイコンタクトに頷き、おじさんの先導に従ってお店に入る。
"いらっしゃい"の声を耳にしながら空いている席に着く。メニュー表には複雑な説明はなく、ただ料理の名前だけがずらりと縦に書かれていた。〇〇定食が多く、朝でも昼でも出す料理は変わらないらしい。
「……魚料理か」
【おじさんは、魚は苦手ですか?】
「いや、そんなことはない。セリーゼはどうだ?」
【わたしは好きです】
「そうか。好きなの頼んでいいからな」
【はい】
一瞬おじさんの返事に間があったような気もしたが、ひとまずはと注文を済ませる。セリーゼが頼んだのは日替わり焼き魚定食。おじさんが頼んだのはおかゆ定食だった。
胃に優しいおかゆを選んだおじさんの真意は不明である。
数人の客が出ていく、また数人の客が入ってくる。
そんな光景を見ながら運ばれてきた料理を食べ始める。新鮮な魚介類はセリーゼにとって慣れ親しんだものだが、こうして口にするのは久しぶりだった。焼き立ての魚からあふれる脂が口の中に甘く広がる。
泣きはしないが地味に感動しつつ朝食は進む。
お腹の声は嘘をつかず、それなりに量もあった朝食は少女の胃にぺろりと収められた。対しておじさんはゆっくりと匙を動かしている。もう少しだけ時間がかかりそうだ。
待つこと数分。
綺麗に食べ切り"ごちそうさま"と口にするおじさんを見て、むーんと満足する。自分が美味しいご飯を食べられるのも嬉しいが、一緒にいる人がちゃんと食べてくれるのも嬉しい。ご飯は誰かと一緒に食べる方が美味しい。真理である。
食事を済ませ店を後にし街中を進む。目的は宿屋探しと落ち着いて話せる場所探し。時間は有り余っているので急がずのんびりと見て回る。
人工的に整えられた街並みを眺めながら歩く。カツカツ、コツコツ。街外れに行けば行くほど景観も変わる。人々の忙しなさはあまり変わらないが、そこで生活する人々は変わる。見目が変わり、服装が変わり、雰囲気が変わり……瞳に宿る色が変わる。
「……」
「……」
橋と橋の間、シスイから外に通じる道がない場所。
街の外れでも、橋のすぐ近くはとても発展していた。人の行き来が多く、行き交う人と商売する人であふれていた。それがここは違う。人は少なく閑散とした雰囲気がある。住宅街の静けさと言えばそれまでだが、それ以上の、もっと冷めたような……言うなれば貧困の気配。
隣の服をくいくいと引っ張り手帳を見せる。
【おじさん】
「なんだ?」
【今どこに向かっているのでしょうか】
「……わからん」
びっくりした。珍しくおじさんの声に元気がない。
というか普通に迷子になっていたらしい。そっちにもびっくりした。
【街の人に、宿屋の場所聞きますか?】
「そうだな……そうするか」
なんとなく街の雰囲気は少女の見知ったものに近いので、気持ちおじさんの傍に近づく。歩きにくさは上がったが安心度も上がったのでよしとする。むしろプラスである。
誰に聞くかと話しながら歩き、途中で子供の開いている小さな屋台を見つけた。
どうやら知らぬ間に屋台街へ踏み入れてしまっていたらしい。橋近くの食堂街に比べてずいぶん寂れているが、それでも人は入っている。あまり旅人姿の人は見られず、客は地元の人間が中心になっているようだ。
数十ある屋台の中で、一層小さいものが一つ。丁寧に扱われてはいるものの修繕の跡が色濃く残る屋根をしており、大雨でも降ればどこからか破れてしまいそうな具合――有り体に言ってボロ屋、それが子供の開く屋台だった。
「――セリーゼ」
【はい】
「あの店で買い物をしてもいいだろうか」
【子供の、でしょうか】
「ああ」
立ち止まった二人に期待の眼差しを向ける店員の子供三人。
じっと、難しい顔で男は少女を見つめる。
自分を見つめる男の瞳に、なんとなく察するものがある。
少女も何も考えずおじさんと行動してきたわけではない。おじさんのことを見て、聞いて、考えて。どんな人なのか、何を考えているのか。性格や好みを日々考え続けていた。というか景色を見る以外にそれしかやることがなかったので、暇さえあれば考えていた。
そうしてわかったのは、この男、おじさんという人が子供の貧しさによく目を向けているということだった。
国境の街に貧富の差はあまりなかったが、それでも貧しい人はいる。スラム街や貧民街はなくても、日々の生活で精一杯な人はいるに決まっている。人間とはそういう生き物だ。どうしたって上と下が生まれる。それは仕方ないことだと思う。
セリーゼからしてみれば、明日の命さえ危ういような状況にある人がいない、それだけで充分すごいことだった。そんな街があるんだ、とさえ思ったほどだがそれは別の話。
重要なのは、おじさんが貧しい子供を気にかけていること。
子供の掏りを見逃したことも、孤児が開いた露店で綺麗な石を買ったことも、孤児院に行ってお金を渡したことも、こっそり子供にチョコレイトを渡したことも。そして今、貧しい子供の開く屋台で食べ物を買おうとしていることも。
どうしてわたしの時みたいに助けようとしないんだろう、と思う。
わたしの時とは状況が違うから、とも思う。
生き死にがかかった状況じゃなくて、貧しくても生きていける環境で、おじさんが手を貸さなくても平穏に明日を迎えられる街にいて。
それに何より、もうわたしがいる。
おじさんは一人しかいない。
誰も彼も救えるわけじゃない。全員に手を差し伸べられるほど、きっとこの人は強くなくて。大きく見える背中も、あたたかい手だって一つしかない。……手は二つだけど、そういう意味じゃなくて。
とにかくおじさんは、自分の腕の広さをちゃんとわかってる。わたしを助けたことで、たぶんわたしが思っている以上におじさんはもう手一杯になっている。
だから、だからこそ。
【いいと、思います】
少女はおじさんの背中を押す。
この程度で子供たちの何かが変わるとは思えない。ほんの少しのお金の差で変わるものなんて高が知れている。でも、それでもいいと思う。
そもそも少し前までの少女と違って、他の子供たちは毎日ご飯が食べられて、ちゃんと眠れる居場所があるのだ。ほんのちょっとのお金でいいと思う。……それがどれだけ大事なものなのか、少女ほど知っている人は他にいなかった。
「……ありがとう」
小さくお礼を言う男に、首を振って答える。
お礼を言われるようなことじゃない。おじさんのお金だし、おじさんの意思だから。本来なら少女に聞く必要すらないのだ。まあそこを聞くのがおじさんのおじさん故なのだけど。
「――すまない、何を売っているか聞いてもいいだろうか」
「い、いらっしゃいませ。はいっ!ええと――」
そうして、四十人前ほどの小間切れ魚野菜炒めサンドを買って二人は屋台を後にする。
慌ててパンを用意したり調理を始めたりとする子供たちを落ち着かせ、一人の子に宿屋の場所を聞いた。紙とペンを渡し地図まで書いてもらったおじさんはさすがだった。
お礼にチョコレイトを渡したり、小分けした銅貨を渡したりと気遣いたっぷりなのは本当におじさんすごいと思った。
四十人前は頼み過ぎとか、少女の思った"ちょっと"のお金じゃなかったとか、チョコレイト渡し過ぎとか、色々思うところはあったがパンは美味しかったので全部よかったことにする。
無事宿に辿り着き、お金を支払い部屋に入る。
おじさんのコートの陰に隠れるのが当たり前になりすぎて、途中途中歩く人に驚かれたりしたような気もするが気のせいだろう。
地図だ。
胸中で呟く。
ここまでもらった地図をちゃんと見る機会はなかったが、こうして見るとずいぶん小綺麗で丁寧に書かれた地図だった。
貧しい格好をしているとはいえ、やはり自分とは比べ物にならないなと思う。もちろん良い意味で、である。
少女の住んでいた貧民街だと読み書き一つできない子供なんて掃いて捨てるほどいたので、当たり前に地図を描けて文字も書ける子供はなかなかの衝撃だった。
生まれた国の差、過ごした環境の差。
羨ましくもあり、同情心もあり、嫉妬と安堵と優越感に自己嫌悪が混じる。
思考を振り払うようにマグカップへ口をつける。
ホットチョコレイトが頭の中を洗い流して緩めてくれる。……それはそれとして、おじさんと一緒にいるようになって暇さえあれば食べたり飲んだりしているかもと思ったり。一瞬でまあいいかと思った。そういうこともある。
「……どこの街でも、貧しい子供はいるものだな」
【そう、ですね】
そっと、"ここがやどやです!"と丸っこい字で地図に書かれた文字を撫でながら言う。
ちらりと横を見て、少しだけ悲しそうなおじさんに頷く。
【貧富の差はなくなりませんから。けど、少なくともわたしはおじさんのおかげで貧しくなくなりました。それだけは確かですから、忘れないでください】
貧しいの定義なんて人それぞれだし、少女目線この街の人全員貧しくないとさえ思ってしまったりもするけれど……おじさん目線たくさんの子供がきっと貧しく見えているから、そこは何も言わない。
ただ、少女が、セリーゼという少女一人は確実におじさんに助けられ救われ、貧しさなんて忘れてしまうような幸せを手にしている事実だけは忘れないでほしいと思った。どれだけおじさんが悩んで気にしたとしても、そのことだけは絶対の事実なんだから。
おじさんの目を見て、そっと書いた文字列を読んでもらう。
「――ふ、ああ。わかってるよ。ありがとう、セリーゼ」
おじさんは緩く口元を歪めて笑い、お礼の言葉を投げかけてくる。同時にふわりと頭を撫でられた。
あたたかい手に胸の奥がぽかぽかする。もうしばらくこのままでいてほしいと願って――。
「――セリーゼ」
鋭い声に身が固くなる。俯きがちだった顔を上げ、おじさんを見る。
「見えるか?」
何をとは問わず、目の前の男の視線を追う。
向けられていたのはマクリルの窓――の先。遠くに見える黒煙と、上空で弾ける光と沈む影。
「……?」
何が起きているのかわからなくて、真剣な横顔に視線で訴えかける。
「……襲撃だ。魔物が空を飛んでいる」
【魔物ですか】
知っている。頭に浮かぶのは魔物の上位種とも呼ばれる"成り損ない"。死にかけたあの日、途切れ途切れの痛みの記憶に心が軋む。
「――大丈夫。セリーゼ、君は俺が守ろう」
【はい。ありがとうございます】
意思ではなく、ただ事実として告げられた言葉にひたすらな安心感が生まれる。柔らかな布団に包まれているような、不思議な感覚。
「だがセリーゼ。俺の記憶が正しければ、煙の方向は……」
「……ぁ」
「……そうか。やはり、そうか……」
短い言葉からは、たくさんの何かが滲み出ていた。
十秒ほど経ち、おじさんは少女と顔を合わせ瞳に迷いを宿して言う。
「セリーゼ……。もしも俺が行きたいと言ったら君は……どうする?」
言葉なく、少女はただ頷く。
おじさんなら、と思っていた。この人なら言うだろうと事前に予想していた。
こんなに迷うとは思わなかったけれどと内心で呟き、おじさんらしいと微かに笑う。
二人は鞄を拾い上げ、急ぎ足で宿を出る。
向かう先は黒煙の下――屋台の子供たちがいた場所だ。
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