緩やかな旅とお願い事。



 ☆

 

 

 国境の街に休みはない。

 というより、中原国家以北の人類領域に明確な休日はなかった。これは別にこの世界の人類が勤勉というわけではなく、そうでなければ生きていくのが難しいから、ただそれだけである。


 ニノクニ西部、連合国と接する国境の街でもそれは変わらず、街から街へ移動する人、国境の街で商いを営む人、他街、他国と商売を行う人。それら商人を護衛する人や治安維持の魔物狩り、警備兵に加え、武具の手入れを行う鍛治師から販売人まで。多種多様な人間が集まって忙しなく動き回っていた。


 少女、セリーゼが旅の準備を終えおじさんと共に宿を後にしてすぐ。


 二人は各々がマジックバッグを持ち、似たような衣服を纏い歩いていた。瞳の色や肌の色に差異はあれど、近しい髪色だけを切り取ってみれば親子に見えなくもない。


 少女は男のコートを掴み、大きな背に隠れるようにして歩いていく。


 向かう場所は街の北部。

 この街に街壁という概念はないため、遠目に大きな壁が見えることはない。おじさんの後ろからこっそり覗き見てもあまり景色は変わらず、しいて言うなら人の行き来が減った程度だろう。


 街の中心部に集中している宿屋の一つで寝泊まりしたため、相応に宿の周囲も賑やかだった。それが街外れまでくると、歩いているのは外から入ってきた人かこれから出ていく人かの二種類だけになる。旅装を纏った人が増え、気軽な格好をしている人はあまり見られない。少女やおじさんのように長いコートを着ている人が多い。


 どこまで行くのかと思いつつも、今日もまた昨日と同じように周囲を見回し歩く。

 同じ街中であってもすべてを見て回れたわけではない。今歩いているところは大きなお店が少なく、簡易的な露店や携行用品を取り扱っている店が多い。その場で買ってその場で飲み食いできるような屋台もちらほらと見えた。


 あまり繁盛しているようには見えないが、人は入っているので見た目より物は売れているのかもしれない。サッと買ってパッと歩き出せる、そんな人のための場所なのだろう。旅人向けだ。


 セリーゼたちは昨日のうちに完璧な準備を済ませてしまったので、これ以上何かを買い足すことはない。彼女がおじさんに頼めば買ってくれるかもしれないが、そもそもからして買いたいものなどなかった。


 歩き続けることしばし。

 セリーゼの目に見たことのないものが飛び込んでくる。ちょこんとつまんだ服を引っ張り、手帳を見せる。


【おじさん。あれが魔動車、でしょうか】

「だろうな。……意外に大きいか?」


 近づいていくと、徐々にその大きさがわかってくる。

 見た目は長方形の黒い箱。横に長く、高さは少女三人分といったところ。四つの車輪を備え、格子付きの窓から座席が見える。ざっくり八から十人ほど座れそうな広さだ。


 大きさや色に違いはあれど、基本構造(長方形と四輪)は変わらない魔動車が一か所にまとまって並んでいた。


【いっぱいあります】

「そうだな」

【おじさん、魔動車に付いている黒い車輪はなんでしょうか】

「あれはタイヤだ。ゴムを利用した強度と弾力を兼ね備えた車輪をタイヤと言う。主に魔動車で使われていると聞いていたが……魔動車自体も大きいからタイヤも大きいのか」

【タイヤ】


 メモっぽく端っこに書いておき、歩き出したおじさんに付いて進む。

 おじさんが向かったのは魔動車エリアの近くにある大きめの建物だった。周囲に他の建物はなく、そこだけわざわざ避けて作られたかのようだった。通り過ぎた看板や建物の入口上に"魔動車バス停留所"と書かれている。


「――ありがとうございました。それでは」


 停留所に入り、おじさんの話し姿を斜め後ろからぼんやり見ていたら、いつの間にか受付の人に感謝と別れを告げていた。背を向けて"行くぞ"と言うおじさんに付いて建物を出ていく。


 どこに向かうのか、停留所を離れてあまり人気ひとけのないお店に入る。外観とは裏腹に店内は明るめで、"いらっしゃいませ"の声が柔らかかった。


 少女とおじさん以外の客は一人客が数人程度で、今のところ大人数の客は見られなかった。

 店員から好きな席にと言われ、男が選んだのは窓際向かい合わせの椅子だった。入口に近い方はおじさんが座ったので、少女は奥側に座る。


 おじさんに付いてきたため何気なくお店に入ってしまったが、こうして真っ当なお店に入り椅子に座るのは初めてで少女はそわそわしっぱなしだった。

 少女の両親が健在な頃は親子三人で軽食屋、茶店、カフェに入ったこともあるが、一人になってからはカフェどころか外食すらする機会がなかったのだ。


 外でお店に入ることと、見知らぬ土地の見知らぬ店に入ることと。

 二つの意味でとくりとくりと心臓の鼓動が速くなる。


「セリーゼ」

【はい】

「手を出してくれるか?」


 緊張しながら手を差し出す。なんだろう、手を繋いでくれるのかななんて思っていたら。


「内緒だぞ」


 小声と共に、そっと手のひらに固形物が押し付けられる。見慣れた色合いだが、初めての感触な微妙に温かいチョコレイトだった。

 口元を歪ませて笑うおじさんは強面で、笑顔だとわかっていてもちょっぴり怖い。でも、その表情が笑顔だと知っているから。だから少女は目の前の怖い顔を見て安心できた。


 頷き微笑み、渡されたチョコレイトをこっそり口に入れる。お店の中で食べるチョコレイトはほどよい甘さと気分が落ち着く温かさを持っていて、滑らかな舌触りはすぐに溶けて喉を通っていった。


 手のひらを見つめ、一切付着していないチョコレイトに小首を傾げる。

 温かく口の中ですぐ溶けたのだから、そのまま渡された手にもチョコレイトが付いているはずなのに……やっぱりおじさんのチョコレイトは不思議な魔法だった。


「セリーゼ。疑問は色々あるだろうがまずは注文を済ませよう」

【はい】


 机の上に立て置かれていた厚紙を手に取り、少女が見やすいようにと横にしてくれるおじさんへ感謝を送る。遠慮がちに覗き込むと、紙には読みやすく丁寧な文字が並んでいた。


 あまりお腹は空いていないので、頼むのは値の張らないお茶を一杯。聞けばおじさんも同じものを注文するようだった。はにかみ、お店の人を呼んで注文を済ませる。店員とのやり取りはおじさんがやってくれた。緊張の糸が解ける。


 どうにも、相手がお店の人だとか自分がお客さんだとか、そういう立場があったとしてもまだまだ他人を相手にすると身体が固くなってしまう。


 おじさんが相手で大丈夫なのはきっと……きっと、わたしのために言葉を尽くして心を開いてくれた事実があるから。

 改めて信頼の眼差しをおじさんに向けると、ぴたりと目が合ってすぐ逸らすはめになった。信頼してても無理なものは無理。これに関してはもう少し……まだ結構時間がかかりそうだった。


「……何から話すか。セリーゼ、俺とバス停の人との話は聞いていたか?」

【ごめんなさい。あんまり聞き取れませんでした】

「そうか。なら順番に話そう」


 素直に伝えると、順を追って話を進めてくれる。


 朝話した今後の流れ、魔動車でイチノクニに行ってから山脈を越えてニノクニ、その先のナナノクニまで行こうという部分は変わらなかった。


 ただ停留所――バス停で聞いた話によれば、現在イチノクニ西部と東部を繋ぐトンネルは封鎖されているらしい。


 魔法の痕跡はなく、直前に地震が起こっていたため地割れや岩盤崩れが原因と予想されている。結構な崩れ具合だったようで、どうせなら老朽化も調査して一通り直そう、ということで大々的にトンネル改築を行っているとか。


 そのような状況であるため、イチノクニ東部に行くには山の上を通るかフコクまで迂回して低地を通るか、もしくはトンネル開通を待つかの三択となっている。

 飛行魔法の使い手も結構いるので、お金を払えばそう手間をかけずに東部まで行けるとのこと。


 全体図としての話はここで終わり、ちょうどよくお店の人が注文したお茶を持ってきてくれた。


 小さく会釈し、ガラスのコップに氷が浮かんだお茶を口に運ぶ。

 コップはひんやり冷たく、もちろんお茶も冷たく。少しだけ口に含んだ液体がほんのり甘くて飲みやすかった。


「セリーゼ、ここまで大丈夫か?」

【はい。大丈夫です】


 説明は続く。

 全体の流れが終わったので、今度は細かい部分。今これからについてだ。


 これからバスに乗りイチノクニ西部を目指し北上するわけだが、直通でトンネルの街(トンネル近くの街のこと)まで行くバスは存在しない。


 バス停に止まっていたバスの多くは連合国に向かうもので、イチノクニ行きはそもそもの本数が少なかった。国境沿いに魔動車用の道路は整備されているものの、魔動車を使うなら途中の街で乗り換えて進むしか方法はない。


 現在地である"国境の街"から北に進むと、イチノクニとニノクニの境に別の国境の街がある。さらに北上すると、イチノクニと連合国の間にまた国境の街がある。そこから東へ進んだところ、イチノクニからサンノクニにかけて長く伸びる山脈の麓にトンネルの街がある。


 つまり、ニノクニを基準としただけでも国境の街は西(現在地)、北、そして南と三つあるのだ。それがイチノクニでも同じようにあるので、経由地としてはニノクニ西、ニノクニ北(イチノクニ南)、イチノクニ西、トンネルの街と順に進まなければならない。


 問題なのはタイミングだ。

 バスの本数が少なく、移動する人が少ないといっても一定数は人で埋まる。むしろ移動手段が他に徒歩しかないので、イチノクニに向かう人の多くがバスを利用しようとする。そのため、乗車券を買ってバスに乗るまで数時間は空きができてしまう。


 おじさんがバス停で買った乗車券に時間が刻印されており、見せてもらったら"12時"と書かれてあった。

 同時に首から吊り下げた時計を見せてもらうと、そちらは十時過ぎを示していた。


「――バスは一時間に一本あるらしい。十時は既に出発直前で空きはなく、十一時は予約で埋まっているそうだ」

【だから乗れるのは十二時ですか】

「ああ」


 続けるぞ、と言う男に少女はこくりと頷く。


「一通り話したが、もう一つ聞いたことがある」


 おじさんが言うのは、ここからトンネルの街までの距離についてだった。


 北に別の街があるとわかり、そこまでの距離が大体五十キロ。さらに北の街までも五十キロ。トンネルの街までも同じくらいだと聞いたから、徒歩で行けないこともない距離だった。だからこそバスの本数は少なく、歩きで別の街まで行く人もいるわけだ。


 中原国家のニノクニやイチノクニなら街の外でも比較的安全であり、整備された道路の近くなら魔物が出ることもめったにない。


 バスの乗車時間は二時間もないそうなので、場合によっては徒歩を選択肢に入れてもいいと言っていた。


「……」


 話を聞いて、とりあえず少女としては五十キロってどれくらいなんだろうと疑問が浮かぶ。歩いてどれくらいかかるのかもわからないし、バスの二時間がどれくらい速いのかもわからない。自分が五十キロ歩けるかもわからないので、正直わからないことだらけだった。

 難しい顔で悩んでいたら、頭の上に温かなものが触れる。


「そう悩むな。徒歩は少し考えてみただけだ。元よりトンネルの街まで三日以上かかる予定だったんだから、途中の街で寝泊まりしながら進めばいいだろう」

【はい】

「ゆっくり行こう。そう急ぐ旅でもないんだ」

【はい!】


 ぽかぽかの手に撫でられ、心がふわふわする。

 考えていたことは全部どこかへ飛んでいってしまった。おじさんの言う通り、何も考えずバスに乗っていこう。時間ならいくらでもある。ゆっくり時間をかけて、のんびり行けばいい。


 もう手は離れてしまっているけれど、まだ髪に温もりが残っている気がする。

 ちょこっと自分の頭に手を伸ばし、先ほどまで撫でられていた部分に触ってみる。自分で触れても温もりは感じられず、少しの落胆が――前を見て、おじさんがわたしを見ていることに気づいて急に恥ずかしくなった。


 ぱっと頬に桜を散らし、ささっと目を逸らす。

 隠れようにも隠れられる場所などなく、しょうがなくガラス窓の先の青空に浮かぶ白雲を見つめることにした。


「セリーゼ」

「――っ」


 急に名前を呼ばれてびっくりして、熱い頬を無視して強引に前を見よ――うとちらちら目線だけ送る。顔は俯きがちだ。さすがにこれはしょうがない。許してほしいと思う。ちょっぴり俯きがちに、ご用件はと頷きながら目で尋ねる。


「君は撫でられるのが好きなのか?」

「ぅ……」


 なんて返せばいいのか。急なこと過ぎて心が追いつかない。

 言葉で返すのでさえ難しそうなのに、それを文字にするなんてもっと難しい。

 嫌いとか、嫌とか、嘘をつくのはそれこそ嫌だ。けど、正直に好きとか、安心できるとか言うのも恥ずかしい。

 悶々と悩み、結局ちょこんと頷くだけの意思表示で済ませた。


「そうか……」


 頷くおじさんに、より顔が熱くなったことを感じてしまう。

 おじさんの言葉が直球過ぎて、否定することなんてできるはずもなくて、より恥ずかしい目に遭わされた。


 別におじさんは一切悪くないけど、もうちょっとこう……もうちょっと、伝えるための準備がしたかった。まあ、準備なんてできたら絶対言わない、というか言えないから意味ないんだけど。


 頭の中がぐるぐる回って、恥ずかしくて顔も熱い。けど、でも不思議と嫌な気分じゃなくて。なんなのこれと思っていたら。


「セリーゼ」

【はい】


 また、名前を呼ばれて。


「……好きな時に言ってくれ。頭を撫でるくらい、いつでもしてやるから」


 十秒ほど時間を置いて。


【はい】


 と返事をした。

 

 なんだかすごく嬉しいことを言われてしまったので、普通に落ち着くまで時間がかかってしまった。いや、今でも落ち着いてはいないけれど。

 そわそわしているし、二文字なのに結構線が歪んで震えちゃっているし。どうしていきなりこんなことを言ってきたのかなと、ついおじさんを見てしまう。


 見つめているといつも通りの無表情の中に……少しだけ戸惑いと照れのようなものが見えて、急速に羞恥が薄れていく。


 おじさんも……そうなんだ。そうだった。

 わたしがあんまりこうして人と向き合って一緒に過ごすことを知らないように、おじさんだってこうして誰かと向き合って一緒に過ごすことを知らない。……たぶん。少なくとも、わたしみたいな子供とはないはず。


 それなら戸惑いはするし、意識して人を撫でることに照れだってする。

 そう思うと。立場は違ってもおじさんもわたしと同じだと思うと。


 ついついほっぺたが緩くなってしまって。


「……」


 にへらと笑ってしまう。我慢しようにも笑みが抑えられない。


「セリーゼ?どうかしたか?」

【なんでも、ないでう】


 急いで書いて見せて、自分で再確認したらひどい誤字で恥ずかしくなった。けど、今はなんとなくそれ以上にお願いしてみたいことができたから、羞恥心は頑張って無視して新しい文字列を作る。


【おじさん。一個お願いがあります】

「ああ。なんでも言ってくれ」


 一秒、二秒とだけ手を止めて、すぐに書き出す。今さらだ。躊躇う理由も、言わない理由もない。


【わたしの頭、撫でてくれませんか】

「……あぁ。構わんよ」


 そうして伝えたお願いは簡単に叶えてもらえて。より、笑みが深くなってしまう。顔は俯けてるけど。

 相手側に軽く傾けた頭の上に温かな手が乗せられ、優しく優しくと繊細に撫でられる。

 ぽかぽかと心地良い手からは、壊れないように丁寧に優しくしようという気持ちが伝わってきた。


「……」


 おじさんに見えないよう下向きにした顔がだらしなくとろける。


 ――数分後。

 ほんの数分前まで気分良く幸せそうな顔をしていた少女が、顔を俯け耳まで真っ赤にして羞恥に身悶えしている姿があったとかなかったとか……。真実は、少女とおじさんだけが知る。

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