第14話 太陽の神殿
ユシリアはルゼハン統皇の亡骸が収められた白い棺が神殿に送られるのを見送った後、あらかたの事務仕事をこなすと、小さな溜め息とともに寝台へと滑り込んだ。
もう東の空が白み始めていた。
キンジーが半年前のように寝室までついて来ようとしたので、強く休むよう言い、他の侍女に引き戻させてあった。念のため部屋の扉は施錠している。
ユシリアは瞼を閉じ、寝返りを打った。ダウテシアン公爵の「伝言」が脳裏に蘇る。
『……
――
ユシリアは微睡みの中、白い棺を見たような気がした。もう、叔父が自分に笑いかけてくれない。両親の想い出話をしてくれる唯一の人はもういないのだ……。
***
ルゼハン統皇が崩御なさってから早三日が過ぎた。あれからユシリアは崩れぬ鉄面皮を纏い、人が変わったようにきびきびと貴族らに指示を飛ばし続けていた。
「……エンズ公爵、貴族たちへ葬儀日程の触れを出してください。シーザ公爵は葬儀の段取りを、ダウテシアン公爵には警備の再編成をお願いします」
ルゼハン統皇の葬儀を三ヶ月後に執り行うことが昨日決定したばかり。宮殿の者は皆、喪に服し、静かながら不穏な日々が続いていた。
あのルゼハン統皇暗殺事件は、虚飾に満ちた生活を送っていた貴族たちにとって良い意味での
ただ、ルゼハン統皇の崩御はユシリアの首を絞める形にも動いていた。
ユスタリア皇国の貴族間に生じた
ユシリアが成人するまでの為政の補佐を誰が務めるかという問題を始め、統皇が亡くならなければ生じ得なかった問題が数多く浮上した。紆余曲折を経て、ひとまず要職は基本エンズ公爵、シーザ公爵、ダウテシアン公爵の三公爵が務めることとなった。
ユシリアの鶴の一声で争論は一見丸く収まったかのように思われたが、やはり侯爵家連合などの反三公爵派の貴族たちの不満は
その結果、三公爵派の貴族たちと侯爵家連合派の貴族たちの間に大きな溝が生まれてしまった、というのが事のあらましである。葬儀の場で衝突が起きてしまうのは、もはや避けられない事態となってしまったのだ。
そこでライゼル・エンズは二分された勢力の取り次ぎ役を申し出た。エンズ公爵家の跡継ぎ、公子という立場であるライゼルならば、まだ侯爵らも話を聞いてくれるだろうというのだ。
しかし、ユシリアはこの申し出を良しとしなかった。不平不満を垂らし続ける侯爵たちに自ら鉄槌を下すことを選んだのだ。
「恐らく殿下は、今のうちにシャオン皇家の威厳を示しておこうとなさっているんだろう」
そうエンズ公爵は言っていたが、ライゼルは納得がいかない。優しく利発な皇女の姿こそ、ライゼルの知るユシリア・シャオンだったのだから。
ライゼルが現実と認識のずれに四苦八苦している頃、諸貴族らも薄々気づき始めていた。
「皇女は只者ではない」
ということに。
しかしうら若い皇女をどこか見下していた貴族らは、やはりそれが受け入れられずにいた。そういう人々はユシリア皇女をこう噂していた。
「最後の肉親の死が皇女をおかしくしてしまった。今や冷徹すぎる彼女は『悪女』そのものだ」
***
ルゼハン統皇の葬儀当日。
「この度はご愁傷様でございます……」
「…………」
このようなやり取りを繰り返すこと数百回。ようやく最後の弔問客を宮殿内に見送ると、ユシリアはほうと息をついた。
もうすっかり冬支度が終わった木々が寒々とした青空に伸びている。椿と
今年の冬は、越冬のために
これでシャオン皇家の有する別宮は、丸1年使われないことになる。何せもう一つの別宮・
皇族の避暑のために建てられた
『謎』。
ふとユシリアの脳裏にあのダウテシアン公爵の言葉が蘇る。
『……今ある謎が少しは
「10年前……なぜ私たちは襲撃されたの?」
父が亡くなったのも母が永眠したのも叔父が刺されたのも、全てはあの襲撃事件から始まった。あの襲撃には良く良く考えるとおかしなことがいくつかあった。
ユスタリア皇国の首長の座を狙う簒奪者による襲撃だったのであれば、ルゼハンが即位する前にクーデター紛いのことはやるべきだが、それはなかった。第一、10年前に父・ラズハンを弑逆したのなら、なぜ弱者である
「その理由が……
【
なるほど、歴史あるこの神殿ならば、何か手がかりとなるものが眠っているかもしれない。
その晩、
***
三日後。ユシリア一行の姿は
四つある精気の根源の一つ、
「うわあ、大きいですね!」
初めて来ました、とキンジーが歓声をあげた。キンジーは仕草の端々に品があって、とても平民出とは思えない時があるような大人びた子だが、そんなキンジーさえも高揚させてしまうのだから、
「……お待ちしておりました、皇女殿下」
神殿の入口から神官服を身に纏った、涼やかな青髪の男が出てきた。金の腕輪に金の足輪を身に着けているところからして―――。
「第二大神官殿、ですね?」
「装飾の意味までよくご存知で。
セドレイ・ルストス第二大神官。史上4人目の男性大神官である。新たな命を世に送り出せるのが女性だけである関係から、神官の卵である「清女」になれるのは女性のみ。ましてや神官以上となると、男性はなかなかなれるものではない。
セドレイ第二大神官は、いわゆる実力派だ。第一大神官が生まれながらにして天性の才能とセンスを持ち、第三大神官が稀有な特性を開花させたことで、セドレイ大神官は注目されることこそ少なかった。しかし彼は努力によって、彼女らと並ぶまでにのし上がった。また彼は
「神官服を着ることが許されるのは神官以上、金装飾を纏うことが許されるのが大神官。そうでしょう? 叔父様が教えてくださったわ」
「……そうでしたか……この度はご愁傷様でございました。心よりお悔やみ申し上げます……」
暫し無言のまま廊下を歩き続け、神殿のホールに出た時、セドレイ大神官が口を開いた。
「……ではこれからユスタリア皇族方の霊廟に向かいたく存じます。霊廟は―――」
「いいえ、私は書庫に行きたいわ。先祖方には最後にご挨拶致します」
「…………?」
大神官がぽかんと口を開けて硬直してしまった。それほど想定外の発言だったのだろうか。
「大神官?」
「……はっ、失礼致しました。書庫ですね、少し遠くなりますが……」
「構わないわ」
「かしこまりました。ご案内致します」
セドレイ大神官は来た道を戻るのではなく、更に神殿の奥へと進んでいった。途中、いくつかの渡り廊下に出て、神殿の庭園を楽しむことが出来た。紅葉、楓、タリスの葉がほんのり色づいており、元の葉の色との濃淡の移り変わりが名状しがたい美しさであった。
「こちらでございます」
セドレイ大神官が指した扉は大変古びていてかなり重厚感のあるものだった。この扉の先が書庫のようだ。
とうとう、10年前の真相に近づける。ユシリアは胸が高鳴るのを感じた。
「あの、一つお伺いしても宜しいでしょうか」
セドレイ第二神官が遠慮がちに訊ねた。
「ええ。何でしょう」
「この書庫のことは……どちらでお聞きになったので?」
不思議なことを聞くと思った。神殿に書庫があることなど周知の事実である。しかし今日神殿を訪れたきっかけについて聞いているのであれば、とユシリアは答えた。
「……バルトザック・ダウテシアン公爵よ」
「ああ、そうでございましたか。なるほど」
セドレイ大神官は急に腑に落ちた
「3時間後には出てきてくださいますよう、お願い致します」
侍女は入れません、とキンジーを引き留めて、セドレイ大神官はドアを閉めた。
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