第13話 悪女、誕生

 リンザルド統皇の口角がわずかに持ち上がったのが分かって、ユシリアの胸の内には沸々と湧き上がるものがあったが、ここはぐっと堪えた。


 言い方はともかく、統皇が亡くなった今、ユスタリア皇国のまつりごとをどうするのか、それは喫緊の課題。必要な協議ではあった。成人した後継者がいない以上、ユシリアが成人するまで――18歳になるまでは、誰かがユシリアと共同で政務を執る必要がある。


「我々も皇女殿下をお支え致しますよ。まずは殿下にもお世継ぎが必要でしょうからね。為政はエンズ公爵にでもお任せするといい」


 と、シアテ統皇が口を挟んだ。ユスタリア皇国の政治はエンズ公爵家に任せれば安泰だ、と笑う。ユスタリア皇国を永らく司るシャオン皇家に対して、そして後継である皇女ユシリアに対して、暗に「無能」だと侮辱しているのだ。


「やめないか、シアテ統皇!」

「シャオン皇家を何だと思っている!」

「皇女はルゼハン統皇の姪御ですよ……!?」


 三公爵やイビラメ大公がすぐさま反論したのを、ユシリアは手で制した。


 ――宴では揉み手して私にすり寄ってきたくせに、後ろ盾叔父様が斃れた途端、手の平を返すのね。皇太子の自慢を今後聞かされずに済みそうで何よりだけれど。


「お二方とも、ご心配くださりありがとうございます」


 ユシリアは渾身の美しい笑みを浮かべた。綺麗なシンメトリーでありながら何か凄みがある笑みだ。


「ですが、皆様の手を煩わせるわけには参りませんわ。為政の議論に関してはユスタリア皇国の三公爵らを中心に進めたいと思っております。ユスタリア皇国の問題ですもの、私たちでけじめをつけなければ、皆様に合わせる顔がございません」


 ――他国の人間が首を突っ込むな、自国の問題に集中しろ。


 暗にユシリアはそう言っていた。


「もちろん、エンズ公爵を頼る場面も多く出てくることでしょう。その際はシアテ統皇陛下、あなた様をにさせていただきますね」


 ユシリアは上目遣いにシアテ統皇を見た。シアテ統皇は顔を赤黒く染めていた。眼孔は膨らみ、恥辱に耐えられないと言わんばかりにユシリアを睨みつけている。


 ユシリアはしてやったりと内心拳を高々と掲げた。計算通りである。


 シアテ統皇が最も触れられたくないこと――それはシアテ皇国内の権力均衡の異常だった。


 本来皇国の長は統皇であり、皇家が圧倒的権力を誇る。しかしシアテ皇室はシアテ皇国の一大公爵家・レンサム公爵家に実質上の権力を奪われている状態であった。軍備はもちろん、財力、人望、皇民からの支持。全てにおいて劣っているのだ。シアテ皇国の最近の政策はおしなべてレンサム公爵が提案したものであることからも、その権力の逆転具合がよく分かる。


 ユシリアはシアテ皇国内の為政が事実上レンサム公爵によって行われていることを皮肉ったのだった。


 ――せっかく気を遣って口を閉ざしておいたのに……自業自得ね。もう一押し、してみようかしら。


「……それに、シアテ統皇陛下はご子息の伴侶をお探しとか。お礼と申し上げるのも何ですけれど、宜しければ私がお手伝いいたしましょうか?」


 最早シアテ統皇は顔を真っ青にして俯くばかりだった。ご法度に違背したことを暗に詳らかにされてしまったからだ。


 暗黙の了解として、家主側が相手の娘や息子に直接見合いの申し入れをするのは貴族間であろうと皇族間であろうと、ご法度だ。ユシリアに直接見合い話を持ちかけていたことが露呈してしまったシアテ統皇に、それ以上反論の余地はなかった。他の皇公らもシアテ統皇のあまりのはしたなさに思わず閉口してしまっている。


 真っ先に保身に走ったのはリンザルド統皇だった。


「こ、皇女殿下、落ち着かれてくださいな……シアテ統皇は殿下を心配して……」


 あくまで自分はユシリアの味方、とでも言わんばかりにへらへらと笑っている。空気は読んでも従わない主義なのだろうか、その度胸にはユシリアも感服した。そしてもう一人、リンザルド統皇の情けなさに思わずかぶりを振った者がいる。


 ――統皇としての矜持はどこに置いてきたんだよ……。


 シルドレンゼ・ローダンはそっと溜め息を吐いた。リンザルド統皇は自分に火の粉が飛ばないように細心の注意を払いながら、自分の欲を通せないものかと機を窺っているのだ。心底狡猾な公爵だとシルドレンゼは思った。やはりこのリンザルド統皇と渡り合えるのは、ローダン公爵家の誇る賭博狂の伯父しかいないとも。


 ユシリアは全く意に介していないかのように、リンザルド統皇に笑い返した。


「ええ、もちろん分かっておりますわ。ですからこうして感謝申し上げているのではありませんか」


 ――まだ何か?


 16歳の少女とは到底思えない圧迫感。リンザルド統皇もまた、言葉を呑み込んで俯いてしまった。今度は顔を青くして。


「そろそろ、お開きと致しましょうか」


 イビラメ大公が朗らかに言ったのは、ユシリアが笑みを薄めてすぐのことだった。


「そ、そうですな」

「では、ユシリア皇女殿下、我々は失礼させていただきます」


 リンザルド、シアテの両統皇が水を得た魚の如く我先にと退場したのは、後の世の笑い話である。


「負け犬ほどよく吠える、というのはあながちただの例え話ではないようですねぇ」


 イビラメ大公は気持ち良さげに笑うと、ユシリアの手を握った。


「次は、ルゼハンの葬儀で」


 ユシリアは無言で頷き、この明朗快活でありながら聡明で思いやりに溢れた大公に心からの謝意を表した。


 次々と最後の客が帰っていく中、一人の男がユシリアを見つめていた。


「……ダウテシアン公爵? 何か御用でしょうか」


 エンズ公爵、シーザ公爵と並ぶユスタリア皇国の三公爵の一人、ダウテシアン公爵だった。ユスタリア皇国内ではシャオン皇家に次ぐ軍事力を持つ公爵家の当主で、シャオン皇家に絶対的忠誠を誓っているが、明るい噂は聞かないダウテシアン公爵家の中でも特に敬遠されている男だ。少し、あのゼロラント・サヘルと雰囲気が似ているかもしれない。


「皇女殿下、この度はご愁傷様でございました」


 ダウテシアン公爵はユシリアに短く頭を下げると、少し躊躇った後、声を低めて言った。背筋が凍るほどの低音に、ユシリアは脳みそを鷲掴みにされたのかと錯覚した。


「妻からの伝言です……」



 ――――――……



 どこから話が伝わったのか、翌日には【フェリオ・ド・ネロス世界中】にこの夜の話が広まっていた。


 ユスタリア皇国の「英雄」ルゼハン統皇は死んだ。そして、ようやく皇女ユシリアが帰ってきた、と。


 そしてもう一つ。数ヵ月後に起きたある出来事を境に、世間のユシリアへの見方が180度変わることになる。家族を喪った “可哀そうな皇女” から心が凍りついた “冷酷な悪女” 、へと。



 ***



 ――――叔父が亡くなってから、母が亡くなったときから、ずっと考えていた。


 なぜ、【フェリオ・ド・ネロスこの世界】はこれほどまでに冷酷で、不条理なのだろうと。


 なぜ私ばかりがこんな目に遭わなければならない? なぜ家族を奪われなければならない?


 私はこの不条理がどうしても許せない。


 誰が、何が私の運命を定めたのか、そんなことは私には分からない。分からなくていい。私はこの不条理を許さない。


 私は必ず、家族の死の意味を暴く。暴いた意味がどのような結果を生もうとも、私は【フェリオ・ド・ネロスこの世界】の不条理を壊す。そのために、つよくなる。どのようなつよさであろうと構わない。


 叔父が護ったこの命、使い切ってみせよう。


 たとえそのつよさが「悪女」と呼ばれようとも。

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