第7話 10年前を、もう一度(2)

 イジェルナと別れたユシリアは、ようやく挨拶回りが落ち着いたライゼル・エンズと合流した。招待客らの歓談する様子を遠目に、デザートをつまむ。そろそろダンスタイムが始まりそうだ。


「エンズ公爵家の次期公爵様は大変ねぇ」


 ユシリアは真っ赤なマカロンを口に入れ、小悪人顔で言った。ライゼルは疲弊した様子で笑う。


「揶揄うなよ、ユシリア。君の方が招待客たちに囲まれていたじゃないか」

「それがね、ライゼル。息子と結婚させたがる王侯貴族は、来なくていい!」


 ユシリアは我慢ならない様子で、語気を強める。けれどライゼルは対照的に不安げだ。


「……見合いの申し入れがあったのか?」

「大アリよ!」


 ユシリアは口を尖らせた。


「シアテ皇国の統皇陛下がしつこいのよ。さっき私の所にいらしてね? ご挨拶したら、ご子息のネイロエ皇太子のご自慢が止まらなかったわ」

「ユシリアは気になるか? ネイロエ皇太子が」

「いいえ全く! 今日初めて会った人に好感持つことないでしょう、惚れ性でもあるまいし。ましてやあのシアテ統皇が義父になるなんて、絶対に嫌」

「あははっ! あの父子が聞いたら泣いてしまうだろうな」


 と、ライゼルが気持ちよさそうに笑った時。


「――ユスタリア皇国唯一の星、ユシリア皇女殿下にご挨拶申し上げます」


 背後から涼やかな青年の声が聞こえた。


「シルドレンゼ・ローダンと申します」


 ユシリアとライゼルが振り返ると、そこには明るい茶髪に茶眼の美しい青年が立っていた。身長はライゼルに負けず劣らず高い。ライゼルはこの青年に見覚えがあったし、「シルドレンゼ・ローダン」という名は有名だった。


 だから思わずライゼルは口に出してしまった。


「ローダン公子……?」


 シルドレンゼ・ローダンはユシリアのことしか見えていなかった。たった今気付いたとでも言わんばかりの表情を浮かべ、ライゼルに対しても小さく頭を下げる。


「ああ、ライゼル・エンズ公子。お会い出来て光栄です」

「こちらこそ光栄です、ローダン公子……」


 ライゼルが戸惑うのも当然だった。シルドレンゼ・ローダンが声をかけてきてから、明らかにユシリアの様子がおかしい。瞬き一つせず、固まっているのだ。


 宴会場に入場する前、緊張しきっていたのとは全く違う理由で立ち竦んでいるのは分かった。けれどなぜ、面識がないはずのシルドレンゼ・ローダンに反応するのか、ライゼルには分からなかった。


 嫌な予感を抱えながら、ライゼルはユシリアの顔を覗き込んだ。


「どうした? ユシリア」

「ユシリア皇女殿下?」


 シルドレンゼも、ユシリアに呼びかける。


 宮殿のバルコニーに近い場所だからだろうか、開け放たれた窓から秋らしい風が吹き込んだ。そこで初めて、ユシリアは我に返った。


「…………あ……」


 辛うじて絞り出した、頼りない小さな声で、ユシリアはシルドレンゼ・ローダンに応える。


「……何でしょう? ローダン公子」


 シルドレンゼは悪戯っぽく微笑みながら、ユシリアに手を差し出して言った。


「ユシリア皇女殿下。私に、皇女殿下と最初のダンスを踊る名誉をくださいませんか?」


 ――……え?


 衝撃の発言に、ユシリアはまたもや硬直してしまった。ライゼルに至っては身を乗り出している。


「公子! それはあまりにも!」


 ライゼルが憤慨するのも仕方がない。このパーティーはユシリアの社交界デビューを飾る大事な日デビュタント


 デビュタントのダンスのお相手は普通恋人や婚約者だが、まだユシリアにはそんな相手はいない。必然的に、ユスタリア皇国で最も身分の高い未成年男性であるライゼルがお相手となるはずだった。


 しかしライゼルとシルドレンゼは、国は違えど同じくらいの身分。この場での決定権は、ユスタリアこの国の皇女であるユシリアにあった。


「お許しいただけますか? 殿下」


 シルドレンゼ・ローダンは少し身を屈め、上目遣いにユシリアの顔を覗き込むと、悪戯っぽく茶色の瞳を輝かせて問うた。気恥ずかしさからか、胸がいっぱいになったユシリアは、思わず反射的に答えた。頬を真っ赤にして。


「……はい」


 ライゼルの呆然とした表情かおに後ろ髪を引かれつつ、ユシリアはシルドレンゼ・ローダンの手を取り、大広間の中央に出た。この意外な組み合わせは、当然ながら周囲からの注目を集めた。


「今日、皇女のパートナーはエンズ公子では?」

「急遽変更されたのか?」

「まあ、でも……とてもお似合いね」

「ライゼル公子と皇女の組み合わせも素敵だったけれど……ねえ?」


 気付けばユシリアとシルドレンゼ・ローダンの二人は、大広間の中央のさらに中央、大勢の招待客のペアたちに囲まれるように、彼らの中心に立っていた。


 ――踊りは一応、この半年で叩き込んでいただいたけれど、私、今日がデビュタント初お披露目なのだけど……!?


 眼を白黒させるユシリアの姿にくすりと笑いながら、シルドレンゼは滑らかな仕草でお辞儀をした。ユシリアも慌てて足を折る。地面にしゃがみ込むように、上半身を低く落とすのが女性のお辞儀。ユシリアはこの半年の間に舞踏の先生から教わったことを思い返した。


 ――ドレスの中に、沈み込むように……そう、そして立ち上が……っ!!


「…………?」


 ダンス前の礼をしたまま、中々立ち上がらないユシリアをシルドレンゼは不思議そうに見ていた。


 ――……どうしよう。足、った……っ!


「ご、ごめんなさ――」


 ユシリアが涙目になるのを堪えようと、強く眼を瞑った瞬間。シルドレンゼ・ローダンはいかにも演出であるかのように自然な仕草で、ユシリアを引っ張り上げた。


「――大丈夫。私が付いていますから」


 示し合わせたかのように楽者らの演奏が始まった。一曲目、カドリール――のはずが、宮廷楽者たちが奏で始めたのは、他でもない、ワルツだった。令嬢令息たちに特に高い人気を誇るのは、やはり二人きりで踊ることが出来る、ワルツだろう。案の定、若い男女のペアなどは嬉しそうにしている。


 ――直前に曲が変更された……そんなことができるのは……。


 ユシリアが統皇の玉座の方へ振り返ると、ルゼハン統皇が小さく片目を瞑ったのが見えた。


 ――叔父様ったら……!


「お、統皇陛下の粋なお取り計らいでしょうか」


 シルドレンゼも一層瞳を輝かせている。


 何はともあれ、ゆっくりと二人はステップを踏み始めた。叔父の悪戯のお陰か、足の痺れは和らいでいる。一瞬、ユシリアとシルドレンゼの視線が交差した――が、ユシリアはすぐに目を逸らしてしまった。


 母の言葉はどこへやら、ユシリアは俯きがちだった。ライゼルへの罪悪感でいっぱいになっていたのもそうだが、それだけではない。そんなユシリアを見かねてか、シルドレンゼ・ローダンは労わるように微笑んだ。


「……エンズ公子を気にされていますか?」


 図星だった。


「そんなこと……」


 ユシリアはすぐさま否定の言葉を挟む。けれどシルドレンゼ・ローダンは一枚上手だった。


「……じゃあ、俺に気付いてびっくりした?」


 驚きつつも、シルドレンゼの懐かしい口調にユシリアはつい頷いてしまう。悪戯っぽく笑うシルドレンゼは、やはりユシリアの記憶の中にあるの面影を残していた。


 ――やっぱり…………。


「やはり、ローダン公子は……」


 ユシリアは珍しく言葉を濁した。どうにも気まずいのだ。それを見て、シルドレンゼは曖昧だった気付きが確信に変わったのを感じた。


「そうだ。10年前、君たち母娘と暮らしていたのは僕だよ、『リーヤ』」

「…………っ!」


 ユシリアが生まれ育ったユスタリア皇国の隣国・リンザルド皇国。シルドレンゼ・ローダンはそのリンザルド皇国の最高位貴族・ローダン公爵家の次期公爵である、公子だ。


 そもそも公爵家の令息は公子、令嬢は公女と呼ばれ、正式に後継者となれば「小公爵」と呼ばれるようになるが、ローダン公爵家の場合、現公爵・ブラドには後継がない。


 よって唯一のローダン公爵家直系血族であるシルドレンゼ・ローダンが次期ローダン公爵であるというのは、暗黙の了解である。


「『リーヤ』って……久し振りに呼ばれたわ。懐かしい響きね。本当に、懐かしい……」


 ローダン公爵家は10年前、ユスタリア皇国ネデヴィー宮殿秋の宮殿襲撃事件後に、ユシリアと母・ロイヤルがリンザルド皇国に亡命した際、彼女たちを匿った家だった。



 ――――――……


 

 今、目の前に「リーヤ」がいる。「リーヤ」が消えてから6年、今ようやく彼女と目を合わせている。シルドレンゼには訊ねたいことが山ほどあった。


 シルドレンゼとユシリアの出会いは10年前。


 ある日、ローダン公爵邸の正門の前に、汚れてはいるが身なりの良い母娘が現れた。そこで何が話されたのか、門衛が執事に話を通し、執事が執事長に話伝え、瞬く間に伯父のブラド・ローダン公爵に判断が委ねられた。


 彼女たち、正確には「母親」の方が、「今こそを返して欲しい」、と言ったとか何とか。


 その母娘が屋敷に足を踏み入れるなり、伯父は初めて見る青ざめた顔で彼女らを出迎えた。何やら深刻そうな顔で大人二人が長いこと話し込んでいたのを、シルドレンゼはよく覚えている。


 母親は「ロン」、娘は「リーヤ」と名乗った。


 チョコレートが溶け込んだような茶色の髪に茶色の瞳。シルドレンゼの茶髪茶眼よりも深く滑らかな茶色。リーヤはリンザルドの貴族令嬢とは比べようもないほど可愛らしかった。


 当時シルドレンゼが9歳で、リーヤは6歳。妹ができたようでとても嬉しかった。


 彼女たち母娘が我が家に住むことになった理由はついぞ教えてもらえなかったけれど、凄惨な状況に身を置いたことがあったのだろうと、まだ子どもだったシルドレンゼが容易に推測できるほど、来たばかりの頃のリーヤは憔悴しきっていた。


 リーヤの母も伯父も、もちろんシルドレンゼも、彼女のその姿ばかりが気がかりだった。朝食から夕食後の間食までリーヤの好物で整えられ、毎朝毎晩決まった時間に庭園を散歩した。


 そんな努力が実ったのは1年後のこと。リーヤの目に喜びの色が映るようになり、以前よりはよく笑う女の子に成長していった。


 そして6年前、母娘はローダン邸から忽然と姿を消した。

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