第6話 10年前を、もう一度

「……皆さん。本日は私の姪であり我がユスタリアの星、ユシリア皇女の帰還を祝いに集まってくれたこと、感謝申し上げる。今宵はごゆるりと楽しまれよ」


 ルゼハン統皇の挨拶を皮切りに、招待客らはパートナーとともに挨拶に回ったり世間話に花を咲かせたりと、忙しなくしていた。


 ライゼルは途中までユシリアに付き添っていたが、父親のエンズ公爵とともに招待客への挨拶回りをしなければならず、今も慌ただしくしている。


 もちろん、一人になったユシリアの元にも各国の貴族らが押し寄せた。ユスタリア皇族唯一の皇女であるとともに唯一の後継者でもあるユシリアは、必然的に次代の統皇となるからだ。狡猾な貴族は当然ユシリアにすり寄ってくる。


「ユスタリア唯一の星、ユシリア皇女にご挨拶申し上げます」

「ご機嫌よう、本日はお越しいただきありがとうございます」


 挨拶を返しても返しても、次々にやって来る貴族たち。大半が名前と顔を覚えてもらおうと躍起になっている者だったが、幸い、全く異なる角度からユシリアに声をかける者もいた。


「ユスタリア皇国唯一の星、ユシリア皇女殿下にご挨拶申し上げます。イジェルナ・シーザでございます。この度は社交界デビューおめでとうございます」


 イジェルナ・シーザ公爵夫人はその一人である。


 イジェルナ公爵夫人はシーザ公爵家の前公爵の一人娘で、現シーザ公爵はイジェルナ夫人との婚姻時にシーザ公爵家へ婿入りした別貴族家の出身。シーザ公爵家もライゼル・エンズのエンズ公爵家同様、三公爵家の一つである。


 いつもにこやかな彼女は生まれた時から公爵家の女性なだけあって、余裕があり、顔も広い。成人しているユスタリア皇国の貴族女性の中では、指折りの社交性を持っているのも頷けた。


 しかも三公爵家といえば、ユスタリア皇国最高の貴族家。シャオン皇家からの信頼も厚い。


「イジェルナ公爵夫人、ご機嫌よう。宴は楽しんでおられますか?」

「ええ、これほど大がかりな宴は久し振りです。皆、どことなく沈んでおりましたし……このように明るい場には相応しくない話題かとは存じますが、皇女殿下、改めて。この度はご愁傷様でございました……」


 ユシリアは思わず目を丸くした。母・ロイヤルが亡くなったのはたった半年前のことだというのにもかかわらず、すり寄ってくる貴族たちは今まで誰もその死を口にしなかったからだ。


 ――忘れ去られてしまっていたのかと思っていたけれど……。


「ありがとう、イジェルナ公爵夫人。この宴で伝えてくださったこと、むしろ私はとても嬉しく思います」

「それは……。私、ロイヤル皇后陛下のご逝去の報に接した際、足元が崩れ落ちる思いがしましたの。皇女殿下、私に出来ることがございましたら、ぜひ仰ってください。必ずお力になります」


 ――イジェルナ夫人は、どちらのタイプなんだろう。


 ユシリアはイジェルナの言葉に嬉しくなる反面、ある疑いが頭をもたげるのを感じていた。


 本心から言っているのか、他の貴族のように自分に取り入るために言っているのか。初めて社交界に出たユシリアは、貴族のまで見極めるすべを持ち得ていなかった。だからイジェルナを信じることに、どうしても慎重になってしまう。


「あの、イジェルナ公爵夫人。『足元が崩れ落ちる思い』がした、というのは……?」


 亡きロイヤル皇后は、10年前の襲撃事件以来、ユシリアとともに亡命していたため、皇宮で暮らしていた期間はそれほど長くない。ましてやロイヤル皇后は、ユシリアの父、ランドルス統皇――もといラズハン・シャオンとの婚姻後すぐにユシリアを身籠ったため、皇后として公の場に出ることも少なかったらしい。


 いくらイジェルナ公爵夫人が社交的な女性だとはいえ、ロイヤル皇后との接点はほとんどないはずだった。それなのに、ロイヤル皇后の死がイジェルナに『足元が崩れ落ちる』ほどの衝撃を与えたというのは、少々引っかかる。


 ユシリアが放った唐突な問いに、イジェルナは首を傾げた。けれどすぐにイジェルナは悪戯っぽく笑って言った。


「実は私、ささやかながらロイヤル皇后陛下のファンでしたの」

「……ファン……?」


 今度はユシリアが首を傾げる番だった。あまりにも想定外の答えに、頭が追いつかない。


「ええ。皇女殿下はお聞きになったことがありませんか? 『どうしても心が揺らいだ時は、背筋を伸ばして顎を引く』というロイヤル皇后陛下のお言葉を」


 ――よく、知っている。お母様が私にくれた、大切な言葉だ。


「もちろんです……」


 ユシリアが頷くと、イジェルナは嬉しそうに顔を輝かせた。


「本当ですか! このお言葉をいただいたあの時から、ロイヤル皇后陛下は私の心の支えであり、私が真っ直ぐ地に足つけて立つための、確かな地盤だった。だから私は『足元が崩れ落ちる』ような感覚に陥ってしまったのです」

「ああ……そうでしたか……」

「もちろん、ロイヤル皇后陛下は今も、私の心の中に生き続けておりますし、私はこれからも真っ直ぐ立ち続けるために踏ん張りたい。それでもあの方の死は、皇国にとっての損失だったと思うのです。私は……本当に、悔しいです……」


 ――……この人は、大丈夫だ。


 ユシリアは確信を持った。イジェルナ・シーザは「本当」に母・ロイヤル皇后を慕っているのだと。ユシリアの直感がそう告げていた。


「イジェルナ公爵夫人は生前の母と、他に何か話されましたか?」

「そうですねぇ……私はロイヤル皇后と個人的にお会いしたのはあの1回きりでしたから……」

「……ごめんなさい。無理を言って。お気になさらないで」


 口ではそう言ったものの、ユシリアは目に見えて落ち込んでいた。ユシリアが覚えている母は、ほとんど皇宮を出てからのものだったから、家族が揃っていた時代の母に触れてみたかったのだが……。


「あ、そうだわ!」


 何か思い出したのか、突然イジェルナが明るい声を上げた。


「…………?」

「私がアロデリア宮殿統皇宮に伺った折、幼い皇女殿下とロイヤル皇后陛下が庭園で散歩なさっている様子を拝見したことがございます。本当にお幸せそうで……私まで笑顔になるような光景でした。よく覚えております」


 イジェルナは懐かしそうに目を細め、口元を綻ばせて言った。ユシリアは頭を殴られたようだった。


 ――そうだ。思い出した。お母様はよく、引きこもりがちだった私を外に連れ出して、庭園に咲く花の名前を一つひとつ、教えてくれたのだ。



 ――――――……


『ユシリア、これは薔薇ローズっていうお花よ』

『このあかーいお花が、ろーず?』

『そう。棘があるでしょう。触ると怪我をするから、気をつけるのよ』

『きれいねぇ』

『本当ねぇ。花言葉――薔薇ローズのお花が持つ隠された意味、ユシリアは何だと思う?』

『うーん。おっきくってきれいだから……「わたしはうつくしい」とかかなぁ』

『ふふっ、ユシリアらしいわね。あながちそれも間違いではないけれど。正解はね、「あなたを愛しています」なの。……大好きよ、ユシリア』


 ――――――……



 あの頃はもちろんお父様もご健在で、明るく優しく温かな世界が私を取り巻いていた。これからもその平和な世界は在り続けるのだと、信じて疑わなかった――――。


「ユシリア皇女殿下。無礼とは存じますが、あれから色々なことがありましたのに、これほど立派に成長なされたユシリア皇女殿下が、私はとても誇らしい。大好きなロイヤル皇后陛下のご息女ですもの、当然ですけれどね!」

「……ふふっ。イジェルナ公爵夫人、あなたは私の母親分みたいですね。ふふっ」

「えっ! いえいえいえいえいえいえ! そんな、おこがましいことです!」

「あら、お嫌なのですか?」

「いえいえいえいえいえいえ! 光栄なことでございます!」


 ぶんぶんと手を横に振るイジェルナが可笑しくて、ユシリアは口許を押さえながら身を震わせて笑った。


「ふふっ。あははっ! イジェルナ公爵夫人、素敵な時間をありがとう。とても有意義な時間でした」

「いえ、こちらこそ! 皇女殿下の笑顔を拝見出来て、幸せでしたわ」


 イジェルナは満面の笑みを浮かべ、優雅なお辞儀を見せると、ゆっくりと去っていった。


 ――思いがけず、良い方と逢えた……。


 ユシリアはイジェルナと出逢えたことを、本当に幸運に思った。そしてそれは、イジェルナにとっても同じことだっただろう。


 同じ頃。宴会場の対角線上からユシリアの姿を眼で追い続けている者がいた。


 ――ユシリア皇女が……10年前の「リーヤ」?


 シルドレンゼ・ローダンは茫然とユシリアの七色に輝く銀髪を見つめていた。シルドレンゼの茶色の眼には驚きの色が浮かんでいる。


 ――まさか……「リーヤ」は茶髪茶眼だった。対してユシリア皇女は銀髪にエメラルドグリーンの瞳……。でもどうしてだろう、あの毅然とした皇女の姿が、10年前の「リーヤ」の姿と重なってならない――――。

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