第4話 賭博狂の猿

 ユスタリア皇国リフィディー宮殿春の宮殿で開かれる、【フェリオ・ド・ネロス世界中】の王侯貴族が招待された大規模な宴。まさに、大国ユスタリア皇国の復活を知らしめる宴。そして皇国唯一の皇女、ユシリア・シャオンの帰還を祝うための宴。


 シルドレンゼ・ローダンもまた、この宴に招かれた要人の一人だった。


 ユスタリア皇国の隣国・リンザルド皇国の一大公爵家、ローダン公爵家の次期公爵であるシルドレンゼは、本来、ローダン公爵である伯父のブラド・ローダンとともに宴に参加するはずだった。しかしその伯父ブラド公爵の姿は、ユスタリア皇国にない。


「はあ……伯父上のことは一生理解できない」


 ブラド・ローダンの姿は今、リンザルド皇国のとある賭博場カジノにあるからだ。


 今朝、シルドレンゼは確かに伯父を引き留めた。一か月前にシャオン皇家から招待状が届いた時からずっと、説得を続けていた。


「……伯父上! この宴は【フェリオ・ド・ネロス世界中】の王侯貴族が一同に会する宴でもあるんです。今日ばかりは一緒に来てもらわねばなりません!」

「止めるなシルゼン。俺は今日こそ、あのチンピラを負かしてやるんだ」

「止めますよ! 当然でしょう! あなたがチンピラと呼ぶあの平民に、何度負けてるんですか! これ以上財をドブに捨てるような真似はお止めください!」

「……負けていない」

「世間では、ゲームが終わった時に賭け金が相手に渡ることを『負け』と呼ぶんです。そして伯父上が負けて帰ってくる度、さめざめと泣く執事長を慰めているのは甥である俺なんです!」


 日頃、シルドレンゼ・ローダンはこの奔放な伯父に手を焼いていた。ブラド公爵は高慢で自尊心が高く、頑固、それでいて芯がない。とにかく危なっかしいのだ。


 昔は、ブラド・ローダンも賭博に熱を上げるような男ではなかった。


 ――あの方が亡くなられてからだ。あれからずっと、伯父上はお寂しいのだ。


 ブラド公爵がユスタリア皇国の宴に行きたがらない理由に、シルドレンゼは気付いていた。自尊心の高いブラドは決して口には出さないが、本当は分かっていた。


 


 それは彼らへの嫌悪でも畏怖でもなく、ただ、敬遠だった。


 シルドレンゼはユスタリア皇国北西部、今晩の宴の会場であるリフィディー宮殿春の宮殿へと向かう、ローダン公爵家の馬車の中で、ぼんやりとこの今朝の出来事を思い返していた。


「伯父上……いずれは向き合わざるを得ませんよ……」


 シルドレンゼの小さな独り言は、向かいに座っている執事長の耳には届いていない。けれど、執事長も同じ考えに違いなかった。


 ちょうど、リフィディー宮殿春の宮殿に到着したのもこの時だった。


 窓の外の景色に意識を戻したシルドレンゼの目に、ある見慣れた紋章を掲げた空っぽの馬車が映った。リンザルド皇室の紋章だった。


 既に皇家の人々は会場入りしているようだ。


 ――まずいな……リンザルド統皇にいびられる。


 ローダン公爵家はリンザルド皇国の一大公爵家。もちろん皇家の臣下である。


 


 リンザルド皇国は強大な軍事力を誇るが、その軍事力の半分以上はローダン公爵家の私兵だった。リンザルド皇室よりも富んでいるのもローダン公爵家であり、実質上のリンザルド皇国の主はローダン公爵だとも言われるほどだ。


 それでも、狡猾なリンザルド統皇は他の公爵家や有力な貴族家と姻戚関係を結び、その権威をかろうじて維持してきた。


 だから必然的に、代々リンザルド皇国とローダン公爵家は犬猿の仲なのである。


 そう、分かっていた。【フェリオ・ド・ネロス世界中】の王侯貴族が招待されているんだ、あの統皇一家ももちろん来る。分かっていたことだ、が。


 ――ああ、嫌だ。あいつらねちっこい上、会話の内容が猿以下なんだ。皇家には伯父上をぶつけたかったが……こっちのさ……伯父上は賭博狂ときたもんだ。


「はあぁぁぁ……」

「公子様、お声が漏れ出ております」


 シルドレンゼの溜め息は、今度こそ向かいの執事長にも聞こえていた。


「……すまない、執事長」

「いえ……ご心労お察し致します」


 気付けば馬車はリフィディー宮殿春の宮殿の敷地奥にまで入り込んでおり、会場ホールのある本殿が眼前に立ちはだかっていた。


 10年前の悲劇が起きたネデヴィー宮殿秋の宮殿とはついの造りになっているこのリフィディー宮殿春の宮殿が、今回の宴会場に指定されたことに、シルドレンゼはユスタリアルゼハン統皇の意図をひしひしと感じられてならなかった。


 ユシリア皇女は6歳の誕生日にあの痛ましい惨劇を経験したと聞く。10年前のネデヴィー宮殿秋の宮殿で当時の統皇が亡くなったことは有名だが、あの日から、皇女は帰る家をも失ったのだ。


 普通ならば、傷を負ったユシリア皇女に、しかも愛する姪に、辛い出来事を思い起こさせるような場所で、わざわざ宴など催さないだろう。そこを敢えて、平然とやってのけるルゼハン統皇、やはり「英雄」と呼ばれるだけはある。


 ルゼハン統皇は統皇に即位するにあたり、通例通りであればユスタリア統皇が名乗るはずの「皇名おうな」を授かることを拒んだ。


 ユシリア皇女の父、ラズハン・シャオンが「ランドルス」統皇と名乗っていたように、当代ユスタリア統皇は、【フェリオ・ド・ネロス自然界】との強い繋がりを持つ人々の中から選ばれた、さらに特別な人間、通称「皇名人おうなびと」から統皇としての名を授かり、在位中は公式にはこの皇名おうなのみを記すことになる。


 しかしルゼハン統皇は、自分は姪のユシリア・シャオンが皇位を継承するまでの臨時を務める「つなぎ」であるからと、皇名おうなの拝受を突っぱねたのだった。


 シルドレンゼはローダン公爵家の後継者教育を本格的に受け始めるようになってから間もなく、この話を聞かされた。当時のシルドレンゼは、ルゼハン統皇はなんともったいないことをしたのだろうと、統皇の行動が心底不思議に思っていた。


 何せ、皇名おうなはユスタリア統皇の象徴ともいうべき、ユスタリア皇国の古い慣習であり、皇名おうなを冠するということはユスタリア皇国の統皇にのみ許された特権なのだ。


 でも今は、実に聡明な判断だったと解る。


 ルゼハン統皇はシャオン皇家の人間が全くいない中、たった一人で傷付いたユスタリア皇国を背負い、一から立て直した。この比類なき功績は、皇名おうなを持たない統皇「ルゼハン統皇」の名を見事歴史に残したのだ。


 つまりルゼハン統皇は、「臨時」の統皇を認めない勢力が反発するための名分理由を与えぬまま、自らの地位を盤石なものにしてしまった。そこに来たのが「ユシリア・シャオン皇女帰還」の報である。ルゼハン統皇は着々と姪への土産を練り込んでいたというわけだ。


 伯父、ブラド・ローダンにもルゼハン統皇のような「理性」があったなら、どれだけ良かったことだろう。シルドレンゼはそう思わずにはいられなかった。


 ――分かっている。あのリンザルド皇室猿どもと対等以上に渡り合ってきたのは、間違いなくあの伯父上だ。分かっている。今の俺にはまだ、奴らと互角の舌戦を為せる力があるかも怪しい。分かっている……が。


「はあぁぁぁ……」

「公子様、お声が」


 馬車を降り、リフィディー宮殿春の宮殿本殿内の階段を上りながら、またしてもシルドレンゼは盛大な溜め息を漏らしていた。


「すまない。つい伯父上のことを考えてしまった」

「いえ、お気になさらないでください」


 執事長はくたびれたように笑った。


「私も今日、脳内の公爵閣下の阿呆顔に何度バツを描いたか分かりませんから」

「……そう、そうか……いや……すまない」

「いえいえ、公子様がお気になさる必要はございませんよ」


 執事長は背筋の凍るような笑みを貼り付けたまま、右手を振った。日頃の執事長の苦労がよく伝わってくる。


「そう、そうか……?」

「ええ。さあ、参りましょう」


 そう言って、執事長は顔の前で振っていた右手を前方の扉に向けた。扉の先は宴の会場、大ホールだ。

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