19.『トラウマイベント』

「うごご……身体中が痛い……」


 俺は無事に異世界での二日目を迎えることができていた。

 現実の法則と重なった部分があったのか、きっちりと筋肉痛というものまで再現している異世界に不平不満を漏らしながら、大きく伸びをする。


「……しっかし、本当にゲームの世界に来たのか」


 宿屋の部屋に置いてある謎の果物を手に取った。

 現実世界には存在しないカラフルな配色とうねうねした外見。絶望的なほどに食欲は湧いてこないが、どの宿屋にも同じ果物が置いてあったような気がする。


 となれば、この果物を置くのがこの世界の常識なのだろう。ゲームではテクスチャコピーの産物だったが、都合のいいように世界側が解釈してくれているようだった。


「……あむ」


 一口かじる。

 炭酸が弾けるような感覚に、みずみずしい甘さが口の中に広がっていく。


「うめぇええ!」


 VRマシンでは再現できないリアルな『食べている感覚』に、思わず感動してしまう。


 窓を開けて、思いっきり朝一番の空気を堪能していると、コンコンと小さな音が扉から響いた。

 ノックをして入ってきたのは、この宿屋の店主のおっさん……の一人娘、宿屋ちゃんだ。


「おはようございます、おにーさん!」


 朗らかに挨拶してくれる姿を見て、思わず頬が緩んでしまう。

 店主の一人娘、通称『宿屋ちゃん』。

 両親の経営する宿に誇りを持っており、将来の夢は両親の跡を継いで宿屋の店主になるという立派なものだ。


 素晴らしい。ニート一歩手前の俺には輝かしい後光を帯びて見えてくる。


 ちなみにどの街にもなぜか同じ外見の『宿屋ちゃん』がいる。シオシオ考察勢の間からは『宿屋ちゃん実は姉妹がいっぱいいる説』、『宿屋ちゃんクローン人間説』、『宿屋ちゃんモンスターが化けている説』、『宿屋ちゃん王国が開発した量産型アンドロイド説』、『開発の怠慢によるテクスチャコピー説』がある。

 真相は謎だ。


「おにーさんっ!」


 小走りでこちらに駆け寄ってくる彼女。亜麻色の癖っ毛が揺れる。


 シオシオ人気NPCランキングで、ただの宿屋のNPCであるにも関わらず、その愛くるしい容姿と言動から数多のヒロインを押しのけてのトップ10に食い込んでくる彼女だ。

 もし学校にいれば『クラスの中で俺だけはあいつの可愛さに気づいてる』とかクラス全員の男子が思ってそう。


 そのまま満面の笑みで、彼女は言った。


「一泊の宿代は100Gですが、今回は初めてなのでサービス料として100G追加して、さらにコール王国の宿屋税を合わせて……300G、一時間以内に耳をそろえて払ってください!」


「……」


 俺は冒険カバンから財布を取り出した。

 ……所持金は6Gだった。


 頭の中の商人ライトバークがサムズアップをして、良い顔をしていた。


「どうしましたっ、おにーさんっ?」


 固まった俺に対して、笑顔を崩さないまま宿屋ちゃんは声色を少しだけ低くする。

 こころなしか、目が笑っていないような気がする。


「いや、その……お金が」


「何か言いました、おにーさんっ?」


 おもむろにポケットから刃渡り30センチナイフ(目測)を取り出してぐるんぐるんと回し始めた。


「払えない場合は、片腕と片目……どっちかと交換することもできますが」


 目がマジだった。


「わ、分かった! 分かったから! 一時間以内に払うから、その物騒なものをしまってくれ!」


「そうですか」


 一転して笑みを収めると、つまらなさそうにナイフを部屋のテーブルに置いてあった果物に投擲する。


 果物は木っ端微塵に爆砕して、壁に刺さったナイフがびぃいんと揺れていた。

 一体彼女のレベルはいくつなのだろうか。


「またね、おにーさんっ!」


 バタンと、扉が閉まった。


 俺は一瞬呆けたあと、全速力で窓から飛び降りて駆け出した。


(いや、怖すぎだろっっっ!?)


 ゲームでは、宿屋に支払えるだけのお金がない状態で泊まると一定の確率で暗転した後、身ぐるみは剥がされHPが1の状態で、フィールドに放置されることがある。


 つまりは、そういうことだったのだ。

 あの宿屋ちゃんが、ヤクザも真っ青な手口でプレイヤーの金品を接収して行ったに違いない!


 彼女の裏の顔が、この世界に来て明らかになったのだ!


 ……いや、前々から宿屋ちゃんの言動や行動に陰を感じるとして、一部の考察勢では『宿屋の剥ぎ取り』に彼女が関わっているのではと噂されたこともあったけれども。

 

「まさかこんなに早くに、金策するはめになるなんてな……!」


 この世界は『ゲルド』=『G』という魔力通貨が流通している。

 財布から『所持金が湧き出す』というマジカルな通貨である。

 硬貨などを必要以上に持たなくても良いようにするための、電子マネー的な設定だろうか。


 モンスターを倒すとお金が手に入るというのも、撃破したモンスターからゲルドが流れ込んでいるという設定らしい。


「……くそっ、どうする……どうするべきだ……?」


 この世界でお金を手に入れる、いわゆる『金策』には様々なものがある。

 代表的なものと言えば、


 1.モンスターを倒す。


 2.クエストをクリアする。


 だろう。


 しかし、1は論外だ。

 例のゴブリンシャーマンのように、ゲームとは違うこの世界にはイレギュラーが起こり得る。確実に勝つには入念な準備が必要だが、それには時間が足りない。

 宿屋ちゃんに半殺しにされる前にわざわざ死地に出るなど正気の沙汰ではないだろう。


 2のクエストをクリアするというのも厳しい。シオシオのクエストには、報酬としてお金を貰えるものもあるが、シャードで発生する金策イベントはどれも『お使い系』か『モンスター討伐系』である。


 お使い系は、一時間以内というタイムリミットに間に合わない可能性が高い。


 シオシオは『隣の家の回覧板を回収してくれないか』という家が隣同士のおじいさんとおばあさんのイベントでさえ、戦地に旅立った息子を心配する親心と一人残された寂しさ、老齢になった自分自身への絶望、孤独──そういった深いテーマ性に沿ったストーリーが展開され、おじいさんとおばあさんの大恋愛を見届ける結末に繋がるのだ。


 なお、プレイヤーはひたすら回覧板を渡すために隣同士の家を三日間往復するだけである。

 もちろんそんな時間はない。


 かくなる上は──


「ちくしょう、これだけはしたくなかったのに……!」


「……どうしよう、もうすぐ試験なのに──きゃっ!?」


 そんなことを考えながら街を走っていると、誰かと肩がぶつかってしまった。

 衝撃でその人物は転んでしまったようだった。

 流石の俺でも足を止めて慌てて駆け寄る。


「っ、すいません、大丈夫ですか!?」


「え、ええ……」


 相手は暗い色のフードで顔をすっぽりと覆った人物だった。

 そんな外見からは予想外な可憐な声に少し驚く。


 少女は肩を抑えてふらふらと立ち上がる。

 粗末な外套に全身を包んでいるが、その下から見えるのは街のNPCとは一線を画した豪奢なドレスだ。

 フードから覗く髪色は銀色で──


 あれ、このNPCは……。


 その時、視界の端に映った宿屋の窓から宿屋ちゃんが満面の笑みで手を振ってきた。

 心臓が止まるかと思った。

 

「あの、あなたは外から来た旅人で──」


「すいません、急いでるんで!!」


 見覚えのあるクエストNPCだった気がしたが、そんなことは関係ない。

 発生しそうになったクエストをキャンセルして、全速力で走り抜けていく。


 時間が迫る。


「っ、間に合え……!」


 そして、俺はある扉の前に立っていた。

 心臓が強く拍動している。汗が冷たく冷えている。

 

 何度も途中でこれだけは止めようと思っていた。


 だが、お金が必要なのだ。

 人には、たとえどんなに低俗であろうとも堕ちる覚悟が必要なときもある。


「ごめんな……お前には、もっと相応しい場所があるのにっ!」


 だから、俺はこの扉を開ける!!


「すいません、これ買い取ってください!!」


 俺は近くのアイテム屋に入って、冒険カバンの中から金塊を取り出した。


 途端に溢れ出す輝き。店中の客が俺の取り出した金塊に目を奪われる。──天空城で獲得したアイテムだ。


 他の客は目を丸くして俺たちを見守っている。

 化け物に追われているかのような様相で駆け込んできた俺に、アイテム屋のお姉さんは蠱惑的に笑って、


「……ふふっ、いいわよ」


 こうして、『どんなアイテムも適正価格の六割で買い取ってくれる』という良く考えるとますます良く分からなくなるアイテム屋で、金塊をお金に変換した俺は、


「アイテム屋とかぼったくりだろ! なんだよ、定価の六割って! これだからアイテム屋で換金するやつはカモだってネット民から言われてんだ!!」 


 大金を手にしたのだった。


 6G → 890006G



───


※お前=金塊


シャードにはないが、『質屋』にいけば適正価格で取引できるぞ!

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