- 春之助 vs 鬼
「ふんふーん♪」
同僚三人と別れ、機嫌よさげに自宅への道を歩く春之助。
今日はいい日だった。部長にインネンをつけられたものの、キッチリやり返した。おまけに居酒屋では後輩にタカろうとした結果、代わりに同僚の夏彦がおごってくれたという。結果で見ればとてもラッキーな一日であった。
静かな夜の住宅街を歩く。そうしてしばし進むと、自宅が見えてきた。
二階建ての一軒家。家族はまだ起きているようで、カーテンの隙間から光が漏れている。
「ただいまー!」
笑顔で帰宅を知らせる春之助。瞬間――
「へぶっ!?」
飛んできたナニカ。たわしであった。顔面にぶち当たり、春之助は痛そうに顔を抑える。
「遅い」
その彼の前に現れたのは一人の女性。
パーマをかけた茶髪の頭に、エプロン姿。年は五十台くらいだろうか。年齢相応のシワが顔にはあり、今はそのシワをさらに深めて仁王立ちをしていた。
「テ、テメー! 何すんだババア!」
「誰がババアだい! 今日は早く帰ってこいって言ったでしょ。どこほっつき歩いてたんだい!」
じんじんと痛む顔面を抑えつつ怒る春之助。同じく怒る女性。彼女の名は木原
春子の言葉に「そういえばそんな事を言っていた気がする」なんて思い出す春之助。思い出しつつも怒りに顔をしかめたまま革靴を脱ぎ捨てる。
「うるせーな。リーマンには付き合いってモンがあるんだよ。仕方ねーだろ」
「どーせいつものメンツで集まっただけでしょ。自分勝手やるなら出ていきな。ここはアタシの家だよ」
腕を組み、どーんとした態度を崩さない春子。春之助はうっと少しだけ引いてしまう。一人暮らしできるだけの金は十分に稼いでいるが、家賃が勿体ないのだ。せめて結婚するまでは実家暮らしをしたい。
「はーっ、全く。アンタが就職してようやく落ち着いたかと思いきや、チンタラ遊び歩いて約束も守らない。家は出ていかないし彼女もいない。アタシは情けないよ」
「うっ。だから付き合いだっつってんだろ。それに彼女はいないんじゃなくて作ってないだけ」
「嘘つきな。アンタに女っ気ないのはこのカーチャンがよーく知ってるよ。悔しかったら女の一人でも連れてきな」
流石は母親というべきだろうか。春之助の弱みをよく知っており、的確にダメージを与えてくる。言い返す事ができず、たじたじとなる春之助。
女っ気がない。思春期以来、春之助をずっと悩ませている現象である。女性との付き合いが皆無という訳ではないが、何故かお付き合いに至ることがないのだ。顔は整っているし、平均的サラリーマンくらいの稼ぎはあるし、結婚の為の行動だってそれなりにしているのに。……ワガママな性格のせいという自覚は本人には一切ないのだ。
「そ、それよりかーちゃん。用って何だよ。帰ってこいって事は何かあるんだろ」
という訳でこれ以上突っ込んでほしくない春之助は話をそらした。すると春子は「そうだった」と手を鳴らし、キッチンの方へ歩き、ダイニングテーブルの椅子に座る。春子に倣い、春之助はその対面に座る。
「で、何だよ」
テーブルに頬杖をつき、ぶっきらぼうに問いかける春之助。正直あまり興味はないのだ。どうせ大した用事ではあるまい。
そんな彼の態度とは反対に、機嫌よさそうな笑顔になっている春子。気味ワリーなと思いつつも春之助が耳を傾けていると……。
「ウフフ、実はね。お母さん、再婚しようと思うの」
「へぇ。再婚…………再婚!?」
驚きのあまり頬杖が外れ、ガクンと態勢を崩してしまう春之助。
父親が死に、二十年近く浮いた話がなかった母。なのに今更結婚するという。もう五十過ぎだというのにだ。いや、五十で再婚するカップルもいるにはいるだろうが、少なくとも春之助の近くにはいなかった。なのにまさか自分の身内がそうなるとは。
「マジかよ……。まあ好きにすりゃいいんじゃねーの。つーかチャレンジャーだなソイツ」
「何がチャレンジャーだってぇ!?」
バシイッと頭をはたかれる春之助。「ぽんぽん叩くんじゃねーよ!」と抗議するが、「失礼な事言うアンタが悪い」とぶった切られる。
「全く。で、続きなんだけど、結婚後はウチに住むことになると思うの。
「――は?」
その発言を聞き、目を見開く春之助。
母子二人で暮らすには広い家である。故に春之助は二階の部屋一つを自室として使い、隣のもう一部屋を趣味の部屋として使っている。
そのうちの一つを空けた? どういう事かと考える春之助。しかしすぐさまその理由を思いつき、ガタッと立ち上があると、ドタバタと足音を立てて二階へと駆け上がる。そして勢いよく趣味の部屋のドアを開けた。
「無い、無い、無い……! 俺のガンダムが無い!!!!」
がらーんと空っぽになった部屋。
壁一面に飾ってあった完成品。時間をかけて作り上げた力作のプラモデル。それらが棚ごときれいさっぱりなくなっていた。いつか作ろうと隅に置いていた箱たちもだ。春之助は呆然とした表情になり、ガクンと膝をつく。
「だから早く帰ってこいっつったでしょ。全部かーちゃんが捨てちまったよ。いるのといらないのが分からなかったから。ま、どーせ何の役にも立ちゃしないし、女受けも悪いし、これを機にやめちまいな」
「バ、ババアアアアアアアア!!!!」
立ち上がり、修羅のような顔つきで春子を睨む春之助。自分の物を勝手に捨てられた上に侮辱までされたのである。当然の反応であった。
そんな激怒する彼を気にした様子もなく、母親は続ける。
「いいかい? アンタはこれからクラシック鑑賞と美術館巡りが趣味の高尚な男になるの。
理人。先ほども聞いた名前である。察するに結婚相手の名前だろう。
しかし言っている意味が分からない。なぜ意味不明な感じに息子を変えようとするのだ。怒りと困惑が春之助の中を駆け巡る。
「テ、テメー! 何を言ってやがる! 返せ!! 俺のシャイニングガンダムとF91とグレートゼオ――」
「そうでもしないとつり合いが取れないからね。いい年こいてプラモデルが趣味の不良息子とか、理人さんが良くても向こうさんのご家族にどう思われるか。幸いアンタ、ひいおじいちゃんに似て顔はいいし、ギリギリ誤魔化せるでしょ」
どうやら男にいい顔する為にというか、結婚するためにそうしているようだった。
自らの結婚のために息子の物を捨てる。息子を偽ろうとする。まごうこと無きクソババアであった。もはや許してはおけん。当然のごとく春之助は激高し――
「な、何がクラシックだ!! そんな耳が寝ちまいそーなモン聞いてられるか!! いいから俺のプラモ――」
――ヒュン。
瞬間、顔の横を通り過ぎたモノ。ちょっぴりかすってしまい、春之助の頬からつつーっと血が流れる。
一体何が起こったと振り向けば――そこには、壁にピーンと刺さっている出刃包丁。
「テッ、テメッ、可愛い息子に向かって……」
さぁーっと顔を青くする春之助。素手ならまだどうにかなるが刃物はまずい。切られたらとても痛いし、当たりどころが悪ければ最悪死ぬ。
青い顔のまま母親の方へ顔を向ける。すると、春子は少しだけうつむいており……
「いいかい春之助。これはチャンスなんだよ。かーちゃんの、最後のね。とーちゃんが死んでから、かーちゃんがどれだけ苦労したか。かーちゃんだってそろそろ幸せになりたいんだよ。それを邪魔するってんならね……
――アンタだって、タダじゃおかないよ」
そこには、鬼がいた。
恐ろしい刃物を持った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます