第7話 家を出て向かった先 3

   ◇


 美代子おばさんは、なんというか、自由な人だった。

 だからだろうか、私のこともすんなり受け入れてくれた。


 かといって、私のためになにか母親めいたことをすることもなかった。

 料理をすることもない。一緒に食事をしたのも数えるほどだ。洗濯物は各自で近くのコインランドリーを使うように指示された。洗濯機は洗面所に置いてあったが、使っていない様子だった。掃除だって少し気を抜くと部屋中散らかってしまっている有様で。

 学校のことも訊いてこない。友だちと遊んで少し遅くなっても、なにも口出ししない。ピアスをしていようが派手な服を着ていようが、なにひとつ文句は口にしなかった。


 美代子おばさんの部屋に転がり込んだ翌々日のことだ。美代子おばさんは、ポイと机の上になにか小さなノートのようなものと、カードを一枚投げる。

 通帳とキャッシュカードだった。


「最初じゃけえ多めに入れとるけど、それでいろいろ買いんさいね。無駄遣いしんさんなよ」


 通帳を開いてみると、二十万円、の記載があった。


「え、こんなに」

「最初はいろいろ物入りじゃろ? ほいじゃけ来月からは五万にするけえね。バイトもしよるんじゃけ、大丈夫じゃろ。あ、言うとくけど、食費とか電車代とかも入っとるんよ」

「あ、ありがと。もしかして、お母さんからも……?」


 私がおずおずとそう問うと、美代子おばさんはハッと鼻で笑った。


「まさか。姉さんがそんなんするわけないわ」

「ほうよね……」


 私にお金が掛かり過ぎる、と追い出されたようなものなのだ。もう私に余計なお金を使う気はないのかもしれない。


 親戚なだけの美代子おばさんがサラッとこんな大金を渡してくれるなんてにわかには信じられなくて、母が援助したのかと思ったけれど、どうやら見当違いのようだ。


「でもまあ、高校の授業料は払ういうて言いよったけえ、そこは安心しんさい」

「そうなんだ」


 先日、お母さんと電話で話をしたときに、そのあたりの打ち合わせは済ませたのだろう。

 私はほっと胸を撫で下ろす。学費も払わない、となったら私は高校に行けなくなる。遊び回ってはいたけれど、友だちもいるし、学校に通うこと自体は好きなのだ。

 よかった。高校だけは卒業できそうだ。


「グダグダ言いよるけえ、面倒じゃったわ。はあもうたいぎゅうて面倒でやれんやっていられない


 美代子おばさんは頭を掻きながら、そんなことを愚痴る。

 ということは、学費を出すと決まったのは、美代子おばさんのおかげなのだろうか。

 母は渋ったけれど、美代子おばさんが説得したのだろうか。


「あ、あの、ありが……」

「とにかくウチは面倒なことは嫌いじゃけえ。それは覚えといて」


 礼を述べる暇もなく、美代子おばさんは私をビシッと指差しながら、ぴしゃりと告げた。


「ここに住むけえいうて、ウチのご飯作ったりとかせんでもええけえね。ウチのことは放っといて」

「え、でも」

「ええ、ええ。面倒くさい。ウチは仕事に全振りしとるけえ、家じゃ抜け殻なんよ」


 ひらひらと手を振りながら、そんなことを話す。

 でも、ここにこれから暮らすというのに、お世話になりっぱなし、というのはいかがなものだろうか。やっぱり家事くらいはするべきなのではないだろうか。


 もしかしたら、私に気を使ってそう言ってくれたのだろうかと最初は考えたのだけれど、すぐにそれは違うとわかった。

 バイトはそのまま続けたけれど、やっぱりいつどこでお金が掛かるかもわからないし、慣れないながらも自炊しよう、とお米を買ってきたり、調味料を買ったりした。そういったものが、美代子おばさんの家にはなかったからだ。


 そうしてなんとか作ったご飯を指して、「食べる?」と声を掛けると、ちらりと見たあと、


「ウチのことは放っといて言うたじゃろ?」


 と不機嫌そうに返された。そして、ぷい、と自分の部屋に入ってしまった。


 その割に、残ったおかずがいつの間にか少なくなっていたり、味噌汁を飲んだあとなのであろうお椀がシンクに投げ出されていたりはときどきしていたので、まったく食べたくない、というわけでもないらしかった。

 ちなみに、そうして使った食器は、一度も洗われていたことはなかった。


 洗濯も、せっかく洗濯機があるのだからと洗剤を買ってきて日曜日に回したら、


「うるさいわ。あと、洗濯機使うんじゃったらウチにも訊きんさいや。ついでに洗ってくれてもええじゃろ」


 と文句を言われたので、次に訊いたら、


「ウチのことは放っといて」


 とまた突き放された。

 いったいどうしろと、と口ごもっていると、


「言いたいことがあるんなら、はっきり言いんさいや。ウジウジするんは嫌いよ」


 と怒られた。


 そうして暮らしているうちに、なんとなく接し方がわかってきて、三ヶ月もすると扱えるようになってきた。


 とにかく面倒なことが嫌い、というのはまさにその通りらしかった。

 初日に見かけた、ノーメイクに黒縁メガネに上下のスウェット、ぐしゃぐしゃの髪を無造作に後ろでひとつに束ねている、というのはいつものスタイルで、部屋の中でそれ以外の格好を見たことがないくらいだった。


 時間を決めて食事をするのは嫌。食べたいときにたまたまあるのは嬉しい。掃除は嫌い。でも勝手に綺麗になっていると嬉しい。言われて嫌なことはすぐに言い返せ。裏でこそこそと不満を溜め込んでいるのはムカつく。


 そんなことが徐々にわかってきて、私は文句もすぐに言ったし、言い返されたし、勝手にしたし、勝手にされた。

 同じ部屋に住んでいるのに生活サイクルはまったく違っていて、まるで二世帯住宅みたいだな、と思うことも多かったが、ときどきは重なり合って、話をする。


「おばさん、なんでトイレットペーパーなくなったら入れ替えてくれんのん」

「無いなったら替えよるじゃろ」

「五センチ残すん、やめんさいや」

「あーうるさいうるさい。それくらいやっときんさいや」

「それくらい、言うんなら、できるじゃろ?」

「あーもう、たいぎい面倒くさいわ」


 そんなくだらないことを口論したりもした。

 ブツクサと文句を口にしつつも、次からはちゃんと替えるようになったので、一応、私の話は聞いてくれているようだった。


 美代子おばさんは、嫌な気持ちを次の日に引きずらない。

 それがわかってからは、私は伸び伸びと生活できていたと思う。

 自由で。気難しくて。マイペースを絵に描いたような人で。

 『勘当』されたのも、どうしてなのかなんとなくわかるような気がする。

 けれど私は、美代子おばさんの部屋が心地良かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る