沖に浮かぶ鬼ヶ島に大鬼あり。


 桃太郎は犬、猿、雉をお供に連れ、鬼ヶ島で切った張ったの大立ち回り。

 戦いの末、鬼の頭を打ち取った。


 儂が鬼ヶ島から戻った後、村の老人がそんな話を語り聞かせていた。

 事実とは異なるが、その元となる出来事があったのは半年と少し前。儂は鬼ヶ島に向かい、近隣の村を荒らして回る鬼を退治した。


 しかし、実際はそんな武勇伝のようなものではなかった。


 そもそも、儂は一介の百姓にすぎない。

 人より力があろうと、鋼のような体を持っていようと、命をして戦ったことなどない。

 それに、聞くところによると鬼たちは儂と同様に怪力を持つというではないか。そんな相手に刀など碌に振ったこともない百姓が勝てるわけがない。


 何度そう説明しても、村の者たちはやって来た。


 大名が集めた兵たちが鬼ヶ島に攻め込んで返り討ちにあったのだ。

奴らと戦えるのはお前しかいない。鬼共と戦ってくれ、奴らを倒してくれと、頼みに来る村人が途絶えることはなかった。

 

 そしてある時、鬼に息子夫婦を殺されたのだと、かたきを取ってくれと、手を握って涙ながらに頼み込む老婆を前に、とうとう頷いてしまった。


 逃げるわけにはゆかなくなった。


 それからの日々、村々から貢物の様に届く食料。このあたりを預かる大名にも話が届いたようで、何やら由緒のある刀剣やお守りとして闇夜で光る石など貴重な品々が届いた。


 勝たぬわけにはゆかなくなった。



 だから、一計を案じた。


 御伽草子では、大鬼に酒を飲ませ酔っぱらったところを退治したという。

 

 同じことをすれば、儂にも勝機があるかもしれぬ。

 まず、鬼ヶ島に向かうための供を募った。

 戦意を持てぬ村の者に頼むわけにはゆかぬ。母にきび団子をつくってもらい、森にすむ動物たちを集めた。集まった内、中でも犬、猿、雉は特に頭がよく、儂の言うことによく従ったため、この3匹を供とした。


 まず、猿が鬼ヶ島に忍び込み鬼たちが飲む酒に眠り薬を混ぜる。

 鬼共が酒宴を終えた後、雉が空から島の様子を伺い、鬼共が寝付いているようであれば、儂と犬が上陸する。上陸した後は灯りを付けず、首に蛍石を掛けた犬が臭いを頼りに鬼の居場所を探り、儂はその灯りを頼りに寝付いている鬼の首を切って回る。

 そういう手筈であった。


 決行の夜、なるたけ闇に紛れるよう身に着けたのは黒い装束に黒い口布。日が沈んだのち、鬼ヶ島の裏手に小舟をつけ、猿を送り出してからは息をひそめるようにして身を潜めて酒宴が終わるのを待った。

 島の広場でどんちゃん騒ぎが聞こえ始め、二刻もすると笑い声は途絶え始め、そこからさらに一刻程で島中の明かりが消えた。

 鬼が寝付いたのを確認した雉が戻ってくるのを待って、まずは酒宴が行われていた広場に向かった。

 犬は音を立てずに歩き、広場の奥で足を止めた。

 青白い光の先にぼんやりと人影が見えた。がっしりとした影形から相当大柄な男であろう。


 広場にはその大男一人だったように思う。

 最後まで居残って飲んでいたのか、もしかすると見張りも兼ねていたのかもしれないが、大いびきをかいて寝ているのだから警戒もなにもあったものではない。

 ちょうど光は男の後頭部から首筋にかけてを照らしている。


 そっと近づき、砂利を踏みしめ、闇の中で刀を振るう。波音に紛れて首の落ちるトサリ、という音が聞こえてくる。

 低いいびきが聞こえなくなって、波の音と儂の心の臓の音が響くようになった。


 ゆらゆらと動く淡い光を追いかけて島中の小屋を行き来し、それをひたすら繰り返した。

 暗闇に蠢く蛍石の青白い光が、最後の一人の返り血で見えなくなるまで。


 その後、島からどう戻ったかはよく覚えていない。


 気が付くと、山の中を走っていた。

 逃げるように、只管に走り続けていた。

 手で草木をかき分け、こけけつまろびつ進んだ先で、水音を聞いた。

 木々の間を抜け、ひらけた視界の先に川があった。

 咽喉のど土塊つちくれの様に乾いていて、水を欲していた。


 川の前でしゃがみ込んで手をついた。

 水を飲もうと口布をほどき川を覗き込んだ瞬間、ひっ、と上擦った情けない声が出た。

 月明かりに照らされ、川面に顕れた自分の顔は、口布をつけていた部分以外返り血で赤黒く染まっていた。

 さらに、全速力で野山を駆け抜けぼさぼさになった髪は血で固まっており、毛は跳ね、髪束は幾対も上に逆立っていた。


 まるで、鬼のつののように。


『鬼とは何でしょうか?』


 伊代に問われた時、答えが喉元まで出かかっていた。


 鬼とは、儂のことだ。


 持ち前の怪力で人を殺す、極悪非道の悪鬼羅刹。

 返り血に塗れた、赤錆色の肌の物ノ怪。


 伊代の父親は島に戻る前に、やはり武具の返り血を洗い流していたのだろう。儂にはその気持ちがよく分かる。


 この心身に纏わりついた穢れを、帰りを待つ家族の前に晒せるわけがない。


 人間でありたいのなら。


 事ここに至ってようやく、あの暗闇の中で自分が斬ったものは何かはっきりと自覚した。

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