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朝倉亜空

その日暮らしの亡くなるコロニー

 ある日の夕刻、コン、コン、コンとドアにノックが響いた後で、ガチャ、という音とともに浩一の部屋の扉が薄く開いた。

「あのー、すみません……」

 その隙間を通して、おとなしげな女性の声が部屋の中に入ってきた。

 浩一は気だるそうにその声にこたえた。「誰? 何か用……?」

「はい。ええと、ちょっといいですか? 中に入れてもらっても、構わないでしょうか……?」

「え?……まあ、別に構わないけど、ここ、男の部屋だよ」

「はい、分かってます。じゃあ、遠慮なくお邪魔させていただきますね!」

 その声の後、浩一の部屋の扉が大きく開き、一人の若い女性が玄関に入ってきた。

 その女性を見て、浩一は「ああ、君はさっきの……」と言った。

「はい。ついさっき、表の自動販売機の下に落っことしたお金を、あなたに拾ってもらった者です。助けていただいたお礼をまだ言ってなかったので。大変だったでしょう、地面に突っ伏して、機械の下に腕を伸ばして……。本当に助かりなした。ありがとうございます」

「ははは。なにもそんなこと、わざわざ言いに来ることなんかないのに。なぜかあの自動販売機にはコインを落とす人が多い、魔の自動販売機なんだよ。僕もしょっちゅう落とすんだ。だから、腹ばいになって取り出すのも慣れっこでね。君が気にするほどのことではないよ」

「いいえ。赤の他人の私なんかのために、服を汚してまで一生懸命にしてくださったのに、お礼をしないわけにはいきません! どうぞ、この缶コーヒー、受け取って、飲んでください」

 女性はその自動販売機で買ってきた缶コーヒーをショルダーバッグから取り出し、浩一に差し出した。

「なんだよそれ。せっかく拾ってあげたのに、僕の缶コーヒー代になってたんじゃあ、意味ないじゃないか。君が飲みなよ」

「はい。私の分も買ってきました!」

 女性はそう言って、もう一本、缶コーヒーを取り出して、浩一にニコッと笑いかけた。靴を脱いで、部屋に上がり、缶コーヒーを一本、浩一に手渡した。

「そうまで言うなら、遠慮せずに貰っとくよ。ありがとう。散らかっているけど、適当に座ってよ」

 浩一は部屋の隅から座布団を持ち出し、女性に手渡した。缶のプルタブを開け、グイッと一口、コーヒーを飲んだ。「うん、これってなかなかいい味だよね。ところで君は、何か僕に用があってここに来たんじゃないのかい。自分の分も用意してきたあたり、僕にコーヒーをくれるためだけとは思えないんだけど」

「わあ、分かります?……実は私、なんていうか、変に勘が鋭くて、あなたがお金を拾ってくれた時、あなたがよくないことを考えている、たぶん、死のうとしているって判ったんです」

 座布団の上にちょこんと正座した女性は言った。

 この女性は魔女であった。単に勘が鋭いという訳ではなく、魔女の力で浩一が自殺を考えていることが分かったのだ。「私にはそういう能力があるんです。あなたのように他人に親切な方がどうしてって……。それで、もし、私でよければ話し相手にして、言いたいことを全部言ってもらおうかなって。ほら、一人で悩みや苦しみを抱え込んでいるよりも、誰かに話を聞いてもらうだけで、スッキリして、気持ちが軽くなり、前向きになるもんでしょ?」

「……。……。……いいよ。別に……」

「よくないと思います!」

「……じゃあ……君は、今、僕と君がいる、この市営住居、貧困若年層向け居住コロニーのことを世間じゃなんて言っているか知ってる? その日暮らしの泣いてるコロニーだとか、その日暮らしの亡くなるコロニーだとか言ってるんだぜ。毎日の労働といえば、危険、きつい、汚い、臭い、嫌われ者、カッコ悪い、給料が安い、結婚できない、家庭が持てない、希望がない。一体いくつKの字がつくのやら……。それで毎晩、へとへとになった体に缶ビール四、五本ブッ込んで、ゴロンと横になってみれば、自分でも知らないうちに嗚咽漏らして泣いているんだ。あっちの部屋から、こっちの部屋から、大の男のうえーんうえーんって声が外まで聞こえているんだ。それがそのうち、泣き声が聞こえない部屋が出てくるんだけど、なぜだか分かるかい? 死んでるのさ。自殺。世の理不尽さと惨めな自分の人生をはかなんでね」

「……」

「ある者は生まれた時から金持ちだ。ちょうどこの窓から見えている、山の手にある御殿のような大邸宅に生まれた子供なんかそうじゃないか。一生お金に苦労なんてしない。親の金で、いい大学を出て、いい職業に就く。年頃になれば、可愛い彼女ができ、結婚もする。ねえ、君。例えば君はこんな僕と結婚をしてくれるかい?」

「え⁉ えー、そ、それは……私はちょっと……」

 魔女は思わず口ごもってしまった。なぜなら、魔女は魔法使いの男としか結婚をしてはいけないからだった。一般の人間男性との結婚はできないのだ。

「ほ、ほーらみろ! 僕のことを心配してるだ何だと言ったって、結局、君の僕への評価は、対応は世間のそれらと何にも変わらない。そうさ、僕は今から死にに行くところなんだよ。残念なことに、君と話したところで僕の決意は変わらなかったようだね。僕はもし、生まれ変わりというものがあるとしたら、それに期待をしているんだ。僕らのような最下層10パーセントの人間が再び最下層に生まれる確率は0,1×0,1 つまりたったの1パーセントだ。もちろん、経済的上位10パーセントに入るのも、同じく1パーセントしかない。そんなものは期待していない。普通でいいんだ。それで十分満足さ。次の人生ははきっと、念願の普通の生活を送っているだろう。さあ、これでもう言うことはすべて言った。君はさっさと君にとって無価値な僕の前から消えてくれないか」

「……そうね。私には今のあなたに対して何の手助けもできなかったわ。話を聞かせてもらえれば、そのことで、ほんの少しでもあなたの気持ちが休まればいいと思っていたんだけれど……。言う通り、ここを立ち去ります」

 言い終わるなり、魔女は浩一の部屋から寂しそうに出て行った。


 その夜、浩一は、前々から死ぬときはここと決めていた場所へ向かって歩いていた。背負ったリュックの中には大量のガソリンとライターひとつを入れていた。

 今日はサタデーナイト。世の大金持ちの誰もが、とっておきのご馳走を外食ディナーとして楽しむ夜だ。当然、今、自分の目の前のこの羨むべき山の手の大豪邸の住人たちも。

 この家の主は、一切、他人を信用せず、銀行にもお金を預けない人物として有名であった。

 浩一はありったけのガソリンを、住人が留守にしている大豪邸にまき散らした。そこへライターの火を放ち、自身、その業火の中に思い切って飛び込んだ。

 屋敷ごと、この家のすべてのお金が燃えて消える。この家の住人は全員、今から一文無しのド貧民というわけだ。生まれてくる息子や娘たちも、生涯を最下層の人種として過ごすことになるのだ。どうだ。ざまあみろっ!


「残念だわ。私では、今の彼を助けられなかった……」

 夕刻時、浩一の部屋を出て行った魔女の表情は悲しげに曇っていた。「他人にやさしい哀れな人、私の魔力で、せめて来世ではお金に困ることの無い、楽しく暮らせるようにしてあげましょう。そうね……、次に彼が生まれ変わるのは、彼が羨んだあの山の手の豪族家庭の息子としてというのがいいわね……」

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