第7話
その部屋に一歩足を踏み入れると、一面にびっしりと紙やメモが貼られた壁が目に飛び込んでくる。翔吾は唖然とした。刑事ドラマで見るように今までの被害者について調べ尽くされ画鋲で壁に止められている。一つを手に取ってみれば癖の強い字で『被害者その4、高橋昌也65歳。一人暮らし』と書かれているのが目についた。翔吾は振り返って尋ねる。
「……全部お前が?」
「そうですよ、集めるのは大変でした」
ここ数日連絡がなかったと思えば、突然呼び出した麦穂が案内したのはアトリエの洋館の中の一室だった。出窓から光が差し込んでいる。シンプルにテーブルと椅子が並んでおり、テーブルの上には紙の資料が積み重ねられていた。
「私一人で調べる分にはこれくらいが限界ですが、収穫はありました」
麦穂は反対向きに椅子に座るとせかされたように話し始める。一刻も早く集めた情報をしゃべりたくてしょうがないのだ。
「被害者の共通点はいくつかあります。まず一つ目、高齢であること」
麦穂は人差し指を立てて、口端を上げると語る。テーブルの上に示されたルーズリーフには被害者たちの名前の横に年齢が書き記されていた。翔吾は指を伸ばし、重ねられた紙をめくってみる。確かに見てみると書かれた年齢は64歳、65歳、70歳、68歳……狙って高齢者を襲っていると考えるのが妥当だろう。
「二つ、お金持ち」
2本、指を立てて麦穂はニンマリ笑う。どうやって調べたのか資産家だと言うことや、その土地の地主であること。車の車種、家の立地、大きさまで詳しく書き起こしている。確かにそれだけの情報があればある程度金を持っていると予想できる。
「そして皆、理由はそれぞれですが一人で暮らしているということです」
3本指を立てた麦穂は紙の上の文字を人差し指で叩いた。配偶者と死別していたり、独身であったり、子供が離れて暮らしていたり、理由は様々だが、記された誰もが一人で暮らしているらしい。その詳細な情報量に、翔吾は引き気味に感心した。麦穂の興味があるうちは発揮される集中力と凝り性が、うまい具合にハマっている。将来麦穂の絵が売れないってことはないだろうが、何かしらの理由で職に困れば探偵にでもなればいいのではないか?
「少なくとも、手当たり次第にターゲットを決めてるわけじゃなさそうだな」
「最近ひったくりが多発していると言いましたよね。この辺で強盗も同じように起こっているのは知っていますか」
「ああ……まだ犯人は捕まってないんだよな。まさか」
「私は調べるうちに、ひったくりと強盗の犯人も同一犯じゃないかと考えるようになりました。そちらの強盗事件の被害者も同じ共通点。あまりにも手口が似通っているんです」
「強盗だと?」
翔吾は眉を顰め硬い声を放つ。途端に話が重くなる。一連の強盗が同じ犯人だというのなら。相手は強盗殺人の犯人でもある。そう、この事件はすでに人が一人死んでいるのだ。殺しも厭わない相手。麦穂がそんな相手と対峙することを一瞬でも考えた翔吾は悄然とした。
麦穂はキョトりとそんな翔吾を見る。
「どうしたんですか」
「……もしその話が本当だとして、相手が強盗なんざ危ねえだろうが」
それを聞いた麦穂は「心配性ですね」なんてカラカラ笑ったが、至って真面目に翔吾は言っている。麦穂は喧嘩もしたことがないような、
大体麦穂の目的はロケットペンダント。犯人たちを見つけたとしても、そんなに都合よく手に入るとは限らない。売っぱらわれていれば良い方で、むしろ大した価値がないようならば捨てられてしまっている方がおかしくない。確かに翔吾も春草には気の毒だと思うが、それはそれ。春草だって麦穂がそのために危険な目に遭うことは望んでいないはずだ。
「大丈夫ですよ、そこまで危ない橋は渡りませんから」
「どうだか」
信用できないから言っているのだ。どうせ麦穂が突っ走ることは目に見えている。しかし翔吾が止めたところで麦穂は言うことなんて聞かないだろう。翔吾は重いため息をつくとガシガシと頭を掻いた。すでに心は決まっていた。
「ハア……俺も協力する」
「翔吾くん!」
ぱあっと明るい笑みが小さな顔いっぱいに溢れた。相変わらず眩しい笑顔だ。目を細めてそれを見ながら、どうしてこうもこいつはほっとけないのだろうと翔吾はぼうっと考えた。不思議だ。普段ならこの面倒ごとを対岸の火事を眺める気分で面白半分に首を突っ込んでいただろう。今は麦穂がやばいとこまで突っ走ってしまわないように手綱を握るのに忙しくそれどころじゃない。
今言うやばいところとは、裏の世界のことだ。翔吾の周りには軽犯罪に手を出すような奴もいた。誘われたこともあったが、喧嘩、酒や煙草をカウントに入れなければ翔吾はまだ犯罪に手を出したことがなかった。
それは何故なのか、自分でもはっきりとした理由はわからない。ただビビってしまっているだけなのかもしれないし、翔吾はあると思っていなかった良心が咎めるからなのかもしれない。その一線を越えて仕舞えば、この退屈で退屈で仕方ない毎日から抜け出せるかもしれないというのに、その一歩を踏み出すには翔吾には名前のつけられない躊躇いがあった。
退屈な日常を変えたいと願うくせに、翔吾の世界を自ら変えて、知らぬ世界に飛び込む勇気がなかったのだ。
そんな日々に飛び込んできたのが麦穂だった。なぜかこの女と出会ってから、翔吾は退屈することがあまりなくなった。ころころと目まぐるしく変わる麦穂の表情を見るのは面白かったし、何より麦穂に振り回される内は退屈する暇がなかったのだ。翔吾は麦穂に異性的魅力だとか、恋愛対象だとは微塵も思わず、ただ面白くて見ていて飽きない女だと思っていた。どう動くか予想がつかず目が離せない。時に鬱陶しくもあったが、何より麦穂には、翔吾が何よりも嫌う”退屈”を薙ぎ払う力があった。妬ましくも輝くような光を放つ才能が。
だからかもしれない、”麦穂を守ってやらなくては”なんて翔吾にしては殊勝な考えが湧いたのは。
「ところでお前、学校はどうしたんだ」
今まで麦穂と会っていたのは休日か、放課後が多かった。ところが今回突然呼び出されたのは平日だった。翔吾はどちらかと言えば断然悪い子だったので学校はサボったが。
「あ、今日平日でしたね。すみませんすっかり忘れてました」
「忘れてたって……」
「言ってませんでしたっけ、学校には行ってないんです。えーとなんでしたっけ……ああ、いわゆる不登校という奴です」
麦穂はスケッチブックを開き色鉛筆を握って絵を描いていた。相変わらず楽しそうに色鉛筆を走らせている。自由気ままに色が乗るスケッチブックを見て、翔吾は息を吐いた。麦穂にはやりたくないことは絶対にやりたくない頑固な一面もあった。そしてやりたいことは一切我慢しない性格だ。麦穂は本当に学校に興味がないのだろう。
「そうか……」
そういえば友達が一人もいないと前言っていた。それが関係あるのかもしれない。翔吾の気のせいだろうか、麦穂の横顔は少し寂しげに見えた。
人通りの少ない道を麦穂はキョロキョロと見回しながら歩く。翔吾はそれを後ろからポケットに手を突っ込んで歩きながら眺めていた。
翔吾と麦穂はひったくりが起きた現場にきていた。この道は少し歩けば人通りのある商店街が見つかるが、駅に向かう際には人気のなく、路地が近いこの道が最短距離だ。今日は同一犯だと見られるいくつもの事件現場を麦穂の希望で直接見て回っていた。
犯人たちが通ったであろう逃走経路がカラーペンで引かれている地図を広げながら麦穂は話す。
「防犯カメラの位置を完璧に把握した犯行です」
「相当計算高い野郎のようだな」
「まだ男か女かもわかりませんよ」
「例えだ」
防犯カメラの位置に丸をつける麦穂。犯人たちの逃走経路はうまくカメラに写っていないようだ。それが一度だけなら偶々だと言えるかもしれないが、調べ上げた全ての経路がそうだと、狙っているとしか思えない。
共通点としては犯行現場は必ず路地が近くにあり、毎回そこで巻いていることがあげられる。翔吾もこの犯行が緻密に練られたものだと言うことが分かり始めた。
「下調べを入念にしていることがわかりました。この計画を考えた人は神経質で用心深い性格ですね」
正直、翔吾は麦穂が犯人を見つけられるとは思っていなかった。どうせすぐ飽きるだろうから、それまで麦穂が危ない目に遭わないように見とくことが自分の仕事だと思っていたのだ。翔吾は欠伸まじりに「帰るか」と言いかけて、麦穂の顔を見てギョッとした。
笑っていたのだ。ギロリと目を輝かせ不敵に口角を上げてまっすぐ前を睨み据えていた。
「ふふふふ……面白くなってきたじゃないですか。いいでしょう、必ず目の前に引き摺り出してやります」
翔吾はなんだってそう必死になるのだと麦穂に聞いたことがある。だってそうだろう? 確かに家族がひったくりにあって怪我をしたとなれば、誰もが怒るかもしれないがそれで自分の手で犯人を捕まえようだなんて、普通考えない。警察に任せてしまいだ。なぜそこまでするのか翔吾は知りたかった。家族としての情が、麦穂をそこまで駆り立てるのか。
翔吾が尋ねると、麦穂は「は? 何を当たり前のことを」と言う顔をした後、大袈裟な身振りで首を振りながらため息をついた。翔吾は久しぶりにイラっとした。「やれやれ、翔吾くんもまだまだ私のこと分かってませんね」と、麦穂は口を開く。
「だって自分のものを他人に奪われるのって腹が立つじゃないですか。私にとってはそれと同じです。知らないところで勝手に
傍若無人の麦穂らしい言葉だった。そして言いながら居心地悪そうに胸をさすっていた麦穂は、付け加えるように言う。
「私、自分が人を振り回すのは好きですけど、振り回されるのは嫌いなんです」
「翔吾くん、わかりました?」唇を吊り上げてニッと笑う麦穂に翔吾は言葉が出なかった。言いたいことはたくさんあるが……まずこいつ、俺を振り回している自覚あったのかよ。
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