第5話
「お待たせー」
「おーサンキュ」
扉が開き、少し薄暗いカラオケの一室に制服を着た青年が軽食とジョッキを持って現れた。ミルクティー色の柔らかい癖毛で耳には軟骨までピアスが開けられている。翔吾の友人の小牧匡人だ。煙草をふかす翔吾と、赤髪を刈り込んだ少しつり目の青年の赤嶺勝哉は剥がれて中のスポンジが見えているソファに腰掛けそれを出迎えた。
「あー疲れた」
そのまま匡人はドサリと翔吾の隣に座ってしまった。生ビールを手に勝哉が尋ねる。
「オイ、いいのか?」
「いいんだよ、今から休憩時間だし」
フライドポテトをつまみながら答える匡人。勝哉はまた話の続きを喋り始めた。
「そうかよ。でさ、その時姉貴がさ」
「なになに何の話?」
翔吾までが愉快そうに口角を上げている様子に、匡人が興味津々で口を挟む。翔吾が答えてやった。
「こいつの姉貴が連れてきた彼氏がこの前俺らに絡んできて勝哉がボコボコにした奴だったらしい」
「それはウケる」
「そいつ、姉貴に紹介された俺を見るなり真っ青になって逃げ帰って行ったぜ。そのまま彼氏に逃げられた姉貴にはぶん殴られたけど」
勝哉はこの話を早くしたくてたまらなかったのだろう、ニヤニヤとしながらその時の様子を語っていた。それに対して翔吾も嘲笑気味に口角を上げてその話を聞く。翔吾はこの気の合う悪友たちとしょうもない馬鹿話などをするこの時間を案外気に入っていた。居心地の悪いあの家にいるよりかは百倍マシだ。こうやってカラオケに集まっては駄弁るのはお決まりのことだった。
さっきまでケラケラと笑いながら涙まで浮かべて見せた匡人が「そういやさ、」と口を開く。
「最近お前金回りよくね?」
その視線の先には勝哉の指輪やアクセサリーがあった。どれも値の張るブランド品だ。匡人はおしゃれに気を遣う不良だったのですぐ気づいた。
「ああ、楽で稼げるバイト始めたんだよ。お前らもやらねえか」
勝哉は口角を上げて告げた。それを聞いて翔吾は眉をひそめる。匡人も少し困った顔で頬を掻きながら告げた。
「んー俺はこのバイトもあるしやめとくかな、怪しすぎるし」
「……やらねえ」
匡人と翔吾が断ると、勝哉はつまらなそうに「ふーん」と言った。
「すげえ楽に稼げんのに」
「それが怪しいつってんだよ。騙されてんじゃねえのか」
「んなわけねえじゃん。金はもらってるし」
「……ヤバくてもせめてバレないようにやれよ」
「分かってるっつうの」
勝哉はわかってなさそうな声で乱暴に告げた。翔吾は額を抑えてため息をつく。しばらく三人は軽食を食べながらダラダラとくだらない喋りに時間を逃避した。翔吾はふと時計を見ると、吸っていた煙草を灰皿に揉み消した。
「どうした?」
翔吾は黙って財布から千円札を一枚抜くと乱雑にゴミが散乱するテーブルに置いた。鞄を肩にかけ立ち上がった翔吾は告げる。
「悪い。この後用事あるから抜けるわ」
「マジ?」
「珍しいな」
座ったまま翔吾を見上げる二人は「じゃーな」「またな」と送り出した。ポケットからスマホを取り出して画面をみた翔吾の口角は少し上がっていた。それに匡人は少し目を見開く。ひらりと手を振った翔吾の背中を見ていた。
扉が閉まった後少しの間沈黙が流れ、勝哉は「……なんかさァ」と口を開く。
「最近翔吾のやつ、楽しそうじゃねえ?なんつーか、前より生き生きしてるっつうか……」
「確かに、どうしたんだろ」
翔吾は一言で言うのなら退屈とした色気を纏う男だ。常に不機嫌そうに細められた切れ長の目は冷たく、一度睨みつけられれば背筋が凍りつくような心地を味わうことになる。翔吾に滲む人生への諦めが彼をそうさせるのだと二人はわかっていた。そして彼が家族とうまくいっていないことは別に隠していないことだ。翔吾は家に帰りたがらないのはいつものことだったし、なるべく時間を潰すことに協力するのもダチとしては当たり前のことだ。その翔吾があからさまに上機嫌な空気を出すような用事?想像が付かなかった。
「本命でもできたとか」
匡人の言葉に、二人は顔を見合わせて吹き出した。笑うのも無理はない。翔吾は異性に対して完全に割り切った、悪く言えば冷めた考え方をしている。去るもの追わず来る者拒まず。その顔面という武器を使って相手を口説き落とすことも難なくやってのけるが、翔吾がそれに心を動かしたところを二人は見たことがない。そもそも友人関係ですら自分が好ましい人間しか自分のテリトリーに入れないような男だ。どんな絶世の美人に顔を近づけられて体を寄せられても眉ひとつ動かさない。
翔吾にとって女遊びは暇つぶしの一環。それが二人の見解だった。
勝哉は笑い混じりに呟く。
「ねえな。よりによってあの翔吾だぞ?ありえねえ」
翔吾は堤防沿いのあの道を歩いていた。もう何度も歩いたことのある道だ。日差しは柔らかく、波音と時折ふく潮風が心地いい。しばらく歩いていると木々に飲み込まれるようにしてひっそりとある白い洋館が見える。庭に続く階段を登って近づけば、きゃらきゃらと子供のはしゃぐ声が聞こえてきて翔吾は目を見開いた。目に入った庭には小学生くらいの子供達が笑いながら走り回っている。その中の一際背丈が高いのが麦穂だと、翔吾は気づいた。その時、麦穂がこっちを見てにこにこ笑って招くように手を振る。
「翔吾くん!」
翔吾は仕方がないので門を通って、麦穂の元へと歩み寄った。子供達が見上げて翔吾を見ては口々に言葉を連ねる。
「誰?」
「僕知ってる本物の不良ってやつじゃない?」
「なあなあ、麦穂の彼氏?」
「んなわけないだろ、麦穂にそんなのできるはずがない」
全く遠慮というものがない子供達に翔吾は少したじろいだ。怖がる様子も見せずにぐいぐいくる。同年代どころか、大人でも怖がられ遠巻きにされることが翔吾はほとんどだというのに全く平気そうな子供達に大いに戸惑った。
「この子たちはおじいちゃんがやっている子ども絵画教室の生徒たちなんです。もう教室は終わったので今はみんなで遊んでるところですね」
「遊んでるって……」
麦穂のことだ小学生とも対等に全力で遊ぶのだろう。簡単に想像がついた。子供達にも年上だと思われてないのではないか。
「麦穂足遅いんだよ、麦穂が鬼しても全然捕まえられないんだから」
髪を一つに結った女の子が、ぷくっと頬を膨らませて言った。翔吾はなんて返せばいいのかわからず曖昧に笑って「そうか、大変だな」というしかなかった。しかし、翔吾はなぜかその子供に気に入られ、ゆかと呼ぶように要求された。翔吾はますます戸惑った。
「お前、小学生にも負けるのか」
「だってみんな結構早いんですもん」
少し呆れ気味に翔吾は言う。麦穂はリュックにゴソゴソと手を突っ込んで何かを探しながらちょっと不満そうに告げた。
「あ……あったあった」そうして麦穂はリュックから見つけた何かを掲げる。それは市販のクッキーのようだったが割れていたしチョコは少し溶けていた。子供達はそれをしらっとした目で見る。この場にいる翔吾以外の全員は何を言われるのかが分かっているようだった。
「お菓子あげるから誰か私に絵を描かせてください!」
「またぁ?しょうがねえな、麦穂は」
興味なさそうにそっぽをむいていた子供達だったが、一人の男の子は持っていたボールを他の子どもに押し付けると麦穂に駆け寄る。膝小僧が見えた短パンのわんぱくそうな少年で絆創膏を頬に付けている。
「また君ですか!優しいですね天真くんは」
「まあね」
天真と呼ばれた男の子は翔吾の目線に気がつくとべっと舌を出した。翔吾はそれを唖然と見ていると、ゆかと呼ぶように要求した女の子がヒソヒソと翔吾に告げた。
「あいつ、麦穂目当てでここに来てるのよ。全くバレバレ。お子ちゃまな麦穂以外みんな分かってるわ」
「もうあいつほっといて俺らで遊ぼうぜ」
「そうしよ」
ボールを押し付けられた少年が芝生を走っていく。それに続くように子供達が駆ける。
あいつ、ガキにはモテるタイプなのか。まあ、同レベルに立つことができる奴なんてなかなかいないしな。残された翔吾は、スケッチブックを開いて鉛筆を走らせ始めた麦穂に歩み寄った。そうして迷いなく腕が動くのを黙って眺めた。あの少年がどんなふうな絵になるのか気になっていたのだ。きっとこの絵も惹き付けられる絵になる。確信と共に翔吾は口角を上げた。
しかしゆっくりとその腕が止まる。麦穂は翔吾を見上げ困ったように笑った。
「うーん、飽きたんですけど……」
またか。
「まだ少しも描いてないじゃねえか、空白だらけだぞ。ガキをじっとさせて描かせてもらってるんだから、最後まで描くぐらいしろよ」
「は?ガキじゃねえから。……別に、俺はかまわないし、麦穂がしたくないんだったらいいんじゃねえの? そうだ、俺と遊ぼうぜ!そんなやつほっといてさ!」
翔吾はクソガキだな、と思ったので「クソガキ」と言ったが、天真は鼻で笑った。マジでクソガキ。
「ダメだ、描き始めたんなら最後までかけ。できるだろお前なら」
「ううースパルタは私にあってないと思うんですが……」
「生意気言ってんな」
麦穂はブツブツ言ったが、また鉛筆を手に取り描き始めた。天真はそれをムスッとした顔で不満げに見ていた。そのうち筆が乗ってきたのか麦穂は急かされるように鉛筆を動かし始めた。そしてリュックの中からあるものを出す。それを見て天真が「あ、」と声を上げた。
「今日使ったやつ」
「クレパス?」
「まあ見ててください」
クレパスなんて幼稚園ぐらいでしか使ったことがない。訝しげな声を出した翔吾に麦穂がニヤリと笑った。おもむろにクレパスが紙の上を滑る。それは子どもが心のままに落書きをしているような乱雑さだった。それこそ子供の落書きのような線がぐちゃぐちゃと絡まっている。それを指で擦ってはその上にまたクレパスを滑らせる。しばらく片眉を上げ訝しげに見守っていた翔吾はハッと息を呑んだ。色の上に色を重ね、それが色味に深みを生んでいることに翔吾は気づいた。まるで魔法のように紙の上で姿形が作り出されていくのを翔吾は目を見開いて見つめていた。
麦穂は急いだ手つきでガチャガチャと筆箱からカッターを引っ張り出し、紙を引っ掻く。引っ掻いた先からクレパスの色が剥がれて白くなる。絵の中の少年に光が当たった。
天真が出来上がっていく。まるで油絵のように重厚な絵だった。ぐりぐりと運動靴で地面を蹴りながら、不満そうにこちらを見つめる天真の姿。
翔吾は自然と目を細めて微笑んでいた。こんなにも純粋に才能というものに敬意を払いたくなったのは初めてだった。天から与えられた才のある者なんて、嫉妬はしても……よくは思ったことはない。なのに、なのに今。翔吾は沸々と湧き起こるような感動、そして震えるような畏敬の念を覚えている。
「お前やっぱすげえな……、間違いなく才能あるぜ」
「ふふ、まあそれほどでもありますけど」
「……ま、俺は元々麦穂がすごいのは知ってたし」
ちなみに、その後天真は翔吾を敵認定したのか、背後にそっと忍び寄るとズボン引っ掴みずり下げようとした。完一発で防いだ翔吾は「このっクソガキ……」と罵るしかできなかった。
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