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 日常は、思ったよりも呆気なく戻ってきた。

 段々と世界は冬という季節に染まっていき、深い寒さが訪れた。


 朝が訪れると、私は勇気を出しながら鏡の前で身支度をして、電車に乗って学校へ行く。そこには国府田さんや、少しずつ話すようになったクラスメイトたちがいる。授業中は真面目にノートを取り、休み時間は皆と雑談をして笑う。放課後は、国府田さんと他愛もない話をしながら家に帰る。自室で宿題や授業の復習をして、大好きな執筆をする。夕ご飯やお風呂を済ませたら、余り遅くならないうちに就寝する。そうしてまた、朝が訪れる。


 平日はそんな日々を繰り返して、休日は沢山小説を書いたりあてもなく散歩したり国府田さんと遊びに行ったりする。そうやって、私の日常は回るようになった。


 穏やかだけれど、優しい時間が流れていく。それを享受するのは間違いなく幸福で、確かな安らぎが存在していた。お風呂場で、少しばかりぬるいお湯に浸かっているときのような心地だった。



 ――――でも。

 私の心の中には、ぽっかりと大きな空洞ができてしまっている。



 実を言うと、私は心のどこかで期待してしまっていた。

 呪いとなってしまった頃の睡蓮は、何度も私の元に訪れてくれた。

 だから私は、こう思っていたのだ。


 ――睡蓮は呪いではなくなってからも、何らかの手段で私に会いに来てくれるのではないかと。


 けれど、現実はそうではなかった。

 睡蓮と最後に言葉を交わしたあの日から、一ヶ月経っても、二ヶ月経っても、三ヶ月経っても……私の元には、何の現象も起こることはなかった。


 幻想的でいて恐ろしい夢を見ることも、

 後ろに誰もいないのに背後から声が聞こえることも、

 自分だけがいる家で部屋の扉が叩かれることも、

 お風呂場で原因のわからない水滴の音が響くことも、

 鏡を目にしたとき後ろに彼女が立っていることも、

 自分の小説に書いた覚えのない文字が記されていることも、

 頬に水滴が落ちたような心地がすることも、

 部屋の天井にある汚れが段々と形を変えることも、

 金縛りにあって彼女と会話を交わすことも、

 過去に起こった出来事がもう一度再生されることも、

 本に記載されている文章や装丁の色が変わっていることも、

 彼女が他人の身体を借りて何かを伝えてくれることも、


 ――どれ一つとして、起こることはなかった。


 私は少しずつその真意に気付きながらも、認めてしまうのが怖くて見ないふりをした。

 今は何もなくても、いつかは何かがあるはずだと、そう何度も自分に言い聞かせた。

 そうしているうちにも、季節は残酷に巡っていった。

 私の髪は段々と伸びていって、気付けば睡蓮に出会った頃の長さを取り戻していた。


 やがて、「あの日」からちょうど一年が経つ日が訪れる。

 もうぼろぼろになってしまった期待をそっと抱きながら、私はその日を過ごした。

 けれどいつものように、期待は無残に破れていく。

 次の日、私はベッドの上で目を覚まして、そうして少しの間嗚咽を漏らした。

 もう一度、彼女の冷たい香りに包まれたいと考えていた。

 ……真意を受け入れなければいけない頃だった。






 ――――睡蓮は、もう、帰ってこない。

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