40
昼休みの時間に、私は階段を昇って四階へと訪れた。
国府田さんは、初めて話した日のように窓の向こうを眺めていた。
あの日と少しだけ違ったのは、私が話し掛けようとする前に、彼女が私の存在に気付いたことだった。
国府田さんは、私に向けてそっと微笑む。
「こんにちは、寺嶋さん」
「こんにちは」
私たちは、そうやって挨拶を交わし合う。
彼女の元に来たのはとある目的を果たすためだったのだけれど、いざそれを口にしようとすると躊躇ってしまう。
私が何も話さないでいると、国府田さんは大きく伸びをしてから「それで」と言った。
「寺嶋さんは、前に進めたんです?」
「え?」
「ほら、前会話したときに言ってたじゃないですか。立ち止まるのはもうやめて前に進む、みたいな」
「ああ、そういうこと」
「そうです。で、どうなんです?」
そう問われ、私はしっかりとした頷きを返す。
「うん。ちゃんと、前に進んできた」
「へえ、それはよかったです。進んだ結果は、どうでしたか? 事態は何か好転したんです?」
「……結局物事がよくなったかどうかって、自分の物差しでしか判断できないと思うから、他の誰かが見たら間違っていたこともあったのかもしれないけれど。それを踏まえた上で、私は進んでよかったと思うし、状況はよくなったんじゃないかなって感じている」
私の答えに、国府田さんはくすっと笑った。
「前も思いましたが、寺嶋さんって丁寧に言葉を紡ぐ人ですよね」
「そうかな?」
「はい。割と一般的な回答は、『よかった』とか『悪かった』とか、それくらいの単純なものだと思うので」
「確かに、そうかもしれない。……変かな?」
「別に? 私は好きですよ、貴女のそういう感じ」
そうやって褒められて、私は何だか嬉しくなってしまう。
その感情に任せて、当初の“目的”を叶えてしまおうと思った。
「あ、あのっ」
「ん、何です?」
「ええと、その……嫌だったら遠慮なく断ってくれていいし、そうされても私は大丈夫っていう前提の上で、聞いてほしいんだけれど」
「はあ、なるほど。全然聞きますけど」
怪訝そうにしている国府田さんに向けて、私は勇気を振り絞ってその提案をする。
「わ、私と……友人に、なってくれないかな?」
思ったより小声になってしまって、恥ずかしかった。
私は目を伏せる。心臓がばくばくとうるさくて、返答を聞くのがちょっとだけ怖かった。
少しの間が空いて、耳に届いたのは――言葉ではなく、笑い声だった。
驚いて顔を上げると、国府田さんが可笑しそうに笑っている。
「なっ、何で笑うの!」
「いやだって、そういうのって幼稚園とか小学校低学年とか、それくらいまでしか使わなくないですか? 友達あんまいなかったのでイメージですけど」
「た、確かにそんな気がするけれど、しょうがないじゃない! どうしたら人と友人になれるかなんて、忘れちゃったんだもの!」
「まあもっと自然な感じなんじゃないですか? 気付いたらなってた、みたいな」
「う、うう…………」
指摘がその通りで、何も言い返せなくなってしまう。
視線を落としている私に、国府田さんが「まあ」と言った。
「こういう不自然ななり方も、たまにはありかもしれませんね」
その言葉に、私はばっと顔を上げる。
「え、それってつまり」
「友達成立ってことですよ。よろしくお願いしますね、琴子ちゃん」
「よ、よかった!」
つい、大きな声を出してしまう。
そんな私に、国府田さんは呆れたように笑った。
「というか、どうして急にそんなこと言い出したんです? 何かあったんですか?」
そう聞かれ、私は一瞬言葉に詰まってしまう。少し考えてから、意図的に少しばかり真実を歪めながら、説明する。
「ええと……国府田さんともっと話してみたかったとか、深く知っていきたいと思ったとか、勿論そういうのはあるんだけれど。それと……安心してもらいたい人が、いて」
「安心してもらいたい人?」
不思議そうに繰り返した彼女に、私は「うん」と頷いた。
「その人は、私がずっと一人ぼっちでいると、多分すごく心配すると思うんだ。だから私は、もっと沢山の人と関わっていきたいと思ったの。そうやって少しずつ、成長していけたらなって」
「へえ、なるほど。まあ、いい考えなんじゃないですか? 私でよければ、琴子ちゃんの成長とやらのお手伝いでもしますよ」
「どうもありがとう。あっ、そういえば、全然ため口で話してくれても大丈夫だよ」
私の提案に、国府田さんはほのかに目を見張って、それから首を横に振った。
「いえ、このままでいきますね」
「あ、そうなの……?」
視線を彷徨わせた私に、彼女は「友達になったし、折角なので教えてあげますよ」と寂しそうに微笑う。
「……昔、律佳ちゃんにふざけて敬語で喋ったとき、すごい笑ってくれたんです。だから、これからもずっと、使い続けようと思ってるんです」
その言葉に、私は目を見開いてから、そっと俯いた。
――国府田さんと友人になろうと思った一番の理由は、謝りたかったからだ。
彼女はきっと、睡蓮が佐山さんたちを殺してしまったことを知らない。
けれど睡蓮と国府田さんは、恐らくもう言葉を交わすことができない。
そのことが睡蓮の心残りにならないように、いつか彼女の代わりに謝罪しようと思っている。
そうすることで、睡蓮や私が許してもらえるのかはわからないけれど。
「……琴子ちゃん?」
声を掛けられ、私ははっとして顔を上げる。
見れば、国府田さんが淡く首を傾げながら、私のことを見つめていた。
「どうかしました?」
今は、嘘をつくことにする。
「ううん、何でもないよ」
きっと伝えるべきタイミングは、もう少し未来に訪れるのだろうから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます