30

 学校を休むことに罪悪感はあったけれど、今日だけはどうか許してほしいと思いながら、私はかつて睡蓮と訪れた自然公園へと向かっていた。


 私服姿で苫嶺駅に訪れたことは、何となく不思議な感覚を私にもたらした。周りには苫嶺高校の制服を着ている女子がいて、多分彼女たちは私が同じ高校の生徒だとは思っていないんだろうなと考えていた。


 途中まではそんな生徒たちと同じ道を辿って、彼女たちが右に進んでいく曲がり角で私は左へと向かう。少しずつ町の喧騒が遠ざかっていく。

 私は睡蓮のことを思い出しながら、自然公園への道のりを確かに歩んでいく。


 ――やがて、その場所は姿を現した。


 初夏の頃は青々とした葉が茂っていた樹々は、すっかり葉が落ちて眠るように佇んでいた。私は少しの間何も言うことなくそんな光景を眺め、そうして入り口へと踏み出す。


 この自然公園は随分と広さがある。だから、闇雲に探しても黒い本は見つからないだろう。。だから、その広大さが恐ろしくなかった。


 目的の場所へと向かいながら、私はふと寂しいなと思う。理由は探すまでもないほど単純だった。

 ここはあの日睡蓮と歩いた道で、今も私の記憶の中で彼女が綺麗に微笑んでいるからだ。

 隣にいた睡蓮の黒い髪に零れる橙色の光の粒が、物憂げでいて優しい横顔が、初夏だというのに雪を想わせるほどに白い首元が……そんな全部が、懐かしくてしょうがなかった。


 寂しさを掻き消そうとすることなく、ただ身を委ねる。

 睡蓮を想いながら、私はただ歩いた。


 そうして――目的の場所に、到着した。


 それは二人掛けのベンチだった。晩秋に相応しい静謐な雰囲気を漂わせながら、樹々の立ち並ぶ風景に少しの彩りを添えるかのように佇んでいる。


 見つめているだけで、喉の詰まるような気持ちになった。

 だって私はこの場所で、睡蓮に抱きしめられながら泣いたのだ。


『琴子、大丈夫だよ……もう、大丈夫だから』


 彼女が私にささやいてくれた、そんな呆れ返るほどに優しい言葉が、私の中で何度も再生される。

 もう一度叫ぶように泣きたいと思った。そうすれば睡蓮はまた、私のことを抱きしめてくれるかもしれないから。

 でもそれは救いようのない現実逃避に違いなくて、だから私は溢れ出しそうな嗚咽を必死に堪えた。


 それから、黒い本を探さなくてはならないと思った。


 私は観察を始める。このベンチの近くに、何か違和感は残されていないだろうか? 隅々まで視線を彷徨わせて、そして私は目を見開いた。

 ベンチの後ろに、微かに地面が掘り返された痕跡のようなものがあったのだ。


 私は屈んで、その場所へと爪を立てる。泥で手が汚れてしまうことを気にも留めずに、必死に地面を掘り起こした。シャベルを持ってくるべきだったなと考えながら、少しずつ、少しずつ手を奥へと進めていく。


 ようやく黒の色彩が見えたとき、私は心が震えるような喜びを覚えた。


 掘れば掘るほど地面は固さを増していって、それを取り出すのには今までに掛かったよりもさらに多くの時間を要した。

 手が段々と痛くなってきた気がしたけれど、それすら殆ど気にならないほどに、私は高揚していた。


 私はついに、埋められていたものを手に取る。


 睡蓮のお母さんが言っていた通り、表紙、背表紙、裏表紙のそのどれもが真っ黒な本だった。中を開こうとしたとき、ふっと躊躇いを覚える。

 それは恐らく筆箱を開いてしまったときと同じように、睡蓮が暴かれたくないと願った秘密を、自分が今まさに暴こうとしているからだろう。


 ……でももう、覚悟はしたはずだ。

 私はひとり頷いて、ゆっくりと黒い本のページを捲っていく。




 そこに書かれていたのは、幼い頃の睡蓮が睡蓮のお母さんに話していたのと相違なく、どのようにすれば彼女が力を使うことができるかについてだった。


 幾つもの力が存在していた。幽霊を見る力、幽霊と意思疎通をする力、幽霊を成仏させる力、自分や他者の肉体的疲労を操作する力、自分や他者の記憶に干渉する力……そして他者を呪う力、呪いを解く力。


 主にその七つに分かれていて、それぞれがさらにパターン化されて詳しく記述されている。まるで教科書や参考書のようだと思った。


 私はまず、「他者を呪う力」について書かれているところを熟読することにした。

 最初の方には相手側を多少不幸にする程度の柔らかな呪いが記されていたが、段々とその様相は不穏さを増していき、最終的には自らの命を投げ打つことで自分自身が非常に強力な呪いとなる力が書かれていた。

 勿論、睡蓮のお父さんはこれらの力を睡蓮には絶対に使ってほしくないと思っていたようで、再三と注意書きが成されていた。

 それでも力の使い方を書き残したのは、睡蓮のお母さんが言っていたように、彼が当事者は詳細な知識を持つべきだと考えていたことに由来するのだろう。


 命という大きすぎるものを犠牲にすることで呪いになれば、死後はより強い力を使えるようになるらしい。

 具体的には、憎んでいる者を心霊現象によって精神的に追い込むことや、途方もない罪悪感を植え付けることや、意識に干渉して自殺へと向かわせることなどができるという。

 これはまさしく睡蓮が佐山さんたちにしたことで、ああ、やはり睡蓮は呪いになってしまったんだと苦しくなった。


 そして、この本に知識を記すことができたことからも推測できるように、睡蓮の先祖にはかつて自分の命を使って呪いとなってしまった人がいたという。

 もっともその人は、睡蓮のように崇高な使命があったという訳ではなく、世界を憎んでしまい全てを壊そうとしたという理由だったようなのだけれど。


 それから私は、「呪いを解く力」の箇所を、先程までよりもさらに丁寧に読み解いていった。


 ありがたいことに、「他者を呪う力」で書かれていた一つ一つの呪いについて、どのようにそれを終わらせていけばいいのかが記されていた。

 だから私は、安堵を覚えながらページを捲る。きっと、睡蓮を呪いでなくすことができると信じながら。


 そんな思いと共に、私は睡蓮の呪いを終わらせる方法が書かれた箇所へと辿り着いた――

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