22
放課後、私は昇降口で革靴に履き替えていた。
頭の中では、三限の授業中に起こった出来事がぐるぐると渦巻いている。村瀬さんと篠倉さんは早退したようで、教室に戻ってくることはなかった。二人の様子は明らかに尋常ではなくて、大丈夫だろうかと心配だった。
そして、何よりも……この状況と睡蓮との関わりを考えずにいることはできそうになくて、私の頭の中には睡蓮との数多の記憶が、花のように咲いては散ってを繰り返していた。
仲良さげに会話している三人の生徒が目に入って、いいなとふと思う。孤独でいることは苦しい。睡蓮が今も私の隣にいてくれて、ただ笑いかけてくれるような未来があったとしたら。恐ろしい何かなど一つも起こらず、そこに平穏な日々だけが存在していたとしたら――今の私には、そういう架空が甘美に思えてしょうがなかった。
……ふと、自分の前方に国府田さんが歩いていることに気付く。
後ろ姿だけれど、通学鞄に付けているうさぎのぬいぐるみのキーホルダーに見覚えがあって、彼女だと確信した。昨日のように話し掛けてみようかと考える。
自分が誰かと話したい気分だというのもあったけれど、国府田さんは村瀬さんや篠倉さんのことを今も大切に思っているようだったから、今日の出来事にショックを受けている気がして、何か言葉を掛けたいという気持ちも大きかった。
私は少しずつ歩調を早めて、国府田さんの方に向かっていく。
しかし、私が声を掛ける前に、国府田さんは校門の近くでぴたりと立ち止まった。
どうして……? 私は疑問に思いながらも、彼女へと近付いていく。けれど、国府田さんが足を止めた理由を知ったとき、私も歩みを終わらせざるを得なかった。
国府田さんの目の前には、私服姿の少女が立っている。羽織っているパーカーのフードを目深に被っているから一瞬誰かわからなかったけれど、覗いている髪のピンクベージュの色合いには強い見覚えがあった。……それは、佐山さんだった。
私は国府田さんの少し後ろで、見つめ合っている二人の姿を捉えていた。
「律佳ちゃん……? どうしたんですか、もう放課後なのに」
国府田さんの声は心配の感情を濃く帯びていて、ああ、この人は佐山さんのことを本当に恨んでいないんだと、そう私は思った。
佐山さんは何も答えることなく、地面の方を見て俯いている。
国府田さんはゆっくりと、そんな佐山さんの方へ歩み寄っていった。
「どうして最近、学校に来ていないんです? もしかして、来づらくなってしまったんですか? だとしたら、これだけは言わせてください。私は別に、律佳ちゃんのしたことに対して怒ったりしていませんよ。……勿論、悲しくはありましたけど」
そんな国府田さんの言葉に、私は胸が苦しくなる。どうしてそんなにも、優しくしてあげられるのだろう……? 自分がもし国府田さんの立場だったとしたら、そのような尊い在り方はできないだろう。そしてそんな仮定に、心の奥深くを針で刺されるような恐怖がそっと伝った。
佐山さんは今も視線を落としたままで、国府田さんに向けて何か言う様子はなかった。ふと私は、違和感を覚える。その感覚の正体を探ってみて、すぐに気付いた。
佐山さんの口が、微かな動きを繰り返しているのだ。
それはまるで、何かを呟き続けているようで……そんな彼女の様子に、私は思わずぞくりとする。
「律佳ちゃん…………?」
国府田さんも私と同じことを思ったのか、さらに佐山さんへと近付いていって、パーカーに覆われた背中へとそっと手を伸ばそうとした。
――その瞬間、佐山さんがばっと顔を上げた。
「触るんじゃねえよっ!」
そう叫んで、佐山さんは国府田さんの腕を払い除ける。その力が強かったのか、国府田さんはよろけて地面へと倒れ込んだ。私は目を見開きながら、そんな光景を呆然と見つめていた。
佐山さんはがりがりと、自分の頬や手首を掻きむしる。それから言葉にならない呻き声を上げて、転がっている国府田さんへと馬乗りになった。
「お前のせいでっ……こな、いで、……ずっと変なことばっかり……こない、で……全部お前のせいだっ! 何であたしたち……こない、でください、こんな目に遭わなきゃ、いけないんだよ、こないでくださいおねがいします、おねがいします、こないでくださいおねがいします、」
被っていたパーカーが取れて、佐山さんの顔が露わになる。……彼女は泣いていた。引っ掻いた跡だらけの頬に透明な涙を流しながら、不自然なほどに青白い手をそっと国府田さんの首元へと持っていく。
その指がゆっくりと曲げられて、国府田さんが表情を歪めて……私はようやく身体を動かすことを思い出したように、走り出した。
「だめえっ!」
私は佐山さんを、国府田さんからどうにか引き剥がそうとする。精一杯の力を込めて後ろに引き、私と佐山さんは勢い余って地面に転がった。鈍い痛みが全身を伝う。国府田さんがげほげほと咳き込む音が聞こえた。
「律佳、ちゃん…………大丈夫、なんですか、」
こんな状況でも、国府田さんはそうやって優しい言葉を吐いた。
今の私には、それがどうしようもなく辛かった。
佐山さんは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、言う。
「大丈夫な訳ないだろ……ずっと、見られてるのに。ずっとあたしたちの側に、こないで、くださいおねがいします、変なのが付き纏ってんのに……」
それと、と佐山さんは思い出したように口にする。
「何でお前ずっと敬語なの。ほんと、気持ち悪い……」
国府田さんの表情が、くしゃりと歪む。
「……ごめんなさい、律佳ちゃん」
そんな言葉が、暮れどきの世界に融解していった。
佐山さんはそれには答えることをせずに、
――こないでください、おねがいします
また、そうやって零す。
どこかで飛んでいる烏の鳴き声が、かあ、かあと響いていた。
◇
……思い出さずには、いられなかった。
『わたしはこの世界から、虐めを一つ残らずなくしたいと思っているんだ』
『わたしはそれを、全て消し去りたい。終わらせたい』
『――一つだけ、方法は思い付いているんだ』
私へとそうやって告げたときの、睡蓮の哀しげな微笑みを。
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