13
時計は夜の十時を示していた。
私はベッドの上に横たわりながら、白い天井をぼんやりと眺めている。時折そうするのをやめて、枕元に置かれているスマホに触れては、画面の明かりをつけることを繰り返していた。
睡蓮からの連絡を、待っていた。
通知が表示されていないことからメッセージが来ていないのは明白なのに、またアプリを起動してしまう。睡蓮とのやり取りは、私が放課後に送った言葉で終わっていた。
〈睡蓮、ありがとう〉
〈ありがとうという表現が正しいのかは、わからないけれど〉
〈でも同じくらい、ごめんなさいって思っている〉
〈私が弱いせいで、貴女にあんなことをさせてしまって〉
〈後で、通話できないかな?〉
メッセージは開封すらされていないようだった。私はスマホを放り投げるように置いて、また天井を眺め始める。そこには昔から、小さな汚れがあるのだった。どうして付着してしまったのかはわからないけれど、白さの中にある微かな黒は少しばかり目立つ。それを見つめることに集中して、束の間ではあるけれど睡蓮のことを忘れようとした。
そのとき、音がした。
ずっと、ずっと待ち望んでいた音だった。
私は目を見張って、すぐにスマホへと手を伸ばす。
睡蓮からの、メッセージだった。
〈感謝しなくていいし、謝罪もしなくていい〉
届いていたのは、そんな言葉だった。何か打とうかと思ったけれど、睡蓮からのメッセージが全て送られてきてからにしようと思って、手を止める。
〈わたしがやりたくてやったことだから〉
〈琴子は何も、気にする必要なんてない〉
〈わたしの行動に責任を感じたり、ましてや苦しんだりなんて、絶対にしないでくれ〉
そんな睡蓮の言葉は、とても優しいものだったけれど……私の脳内では、どこか懇願されているように響いて。
どうしてか、怖くなる。
何か……取り返しのつかないことが起こってしまうような、そんな気がして。
ぎゅっとスマホを握った。私はまだ、睡蓮からの言葉を待っていた。
〈通話は、今ならできるよ〉
少しだけ、安堵した。私はようやく止めていた指を動かして、文を紡いでいく。
――ありがとう。そうしたら、今ちょっと話せないかな?
できあがった簡素な文章を何度か目で追って、私は送信のボタンをそっと押した。
〈いいよ〉
そんな三文字が、今の私にとっては途方もなく大事だった。
『……もしもし』
聞こえてきた睡蓮の声は、ほのかに弱々しいような気もしたけれど、いつもの彼女のものだった。そのことに、安心を覚える。
「もしもし、睡蓮? その……大丈夫?」
尋ねたいことは山ほどあるのに、自分の口から最初に漏れたのはそんな心配の言葉だった。
『……うん。大丈夫だよ』
その「大丈夫」を、私はすぐに信頼することができなかった。なぜならそれが、どこか影のある響きに聞こえたから。でも、表情が見えないからかもしれないと思い直して、会話を続けることにする。
「そっか、それならよかった。それで……その、」
一瞬、詰まってしまう。
けれどもう、逃げてはいけないと思った。
聞こう。
……睡蓮の、私に対する気持ちを。
「その……睡蓮は、私のことを」
『なあ、琴子。今日の月を見たか?』
「……え?」
私の声に被せるように、睡蓮はそう言った。
戸惑う私をよそに、彼女は話し続ける。
『わたし、幼い頃は月が大好きだったんだ。藍色の空の上できらきらと優しく佇む姿を、心の底から綺麗だと思っていた。あんな風に輝きたいと、そう思っていたんだ。……でも、あるとき知ってしまった。月は自分で光っているのではなく、太陽の光を反射しているだけなんだと。そのときわたしは、失望に似た感情を覚えた。多分それは、月の輝きが途端に偽物のように感じられたからなのだと思う』
「………………」
『でも、最近こう思うようになったんだ。月の在り方も、そう悪くはないんじゃないかと。自分は煌めくことができなくても、他の煌めきを美しく浮かび上がらせることができる――そう在ることはむしろとても幸せで、美しいものなのではないかと』
「…………すいれ、」
『琴子。君の今いるところから、月は見えるか?』
「…………多分、見える」
『じゃあ、見てみてくれよ』
私はベッドに座るのをやめて、カーテンによって閉じられた窓の側へと歩いていく。ベージュのカーテンに触れて少しずつ開いていけば、その先には広大な夜空が浮かんでいて、真っ白に煌めく綺麗な満月が見えた。
『……どうだった?』
「……すごく、綺麗」
心から浮かんだ感想が、ぽつりと口から零れる。
少しの間、睡蓮からの返答はなかった。一瞬だけ、彼女が啜り泣く声が聞こえたような気がした。
『そうだな……わたしも、そう思うよ』
その後紡がれた睡蓮の言葉は、ちっとも涙声ではなくて、むしろ凛としていた。
――この月を君と見ることができて、よかった。
そう告げたのを最後に、彼女は私との通話を切った。
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