07

 お互いにケーキを食べ終えて、私と睡蓮は雑談をしていた。

 今流行っているらしい洋服の話をしながら、私はそれに完全に集中できずに、心のどこかで睡蓮の理想について考え続けていた。


 ――世界から、虐めを一つ残らずなくすという理想。


 私はやっぱり睡蓮の力になりたくて、そのために一つだけ思い付いたことがあった。でも、それを言い出すタイミングが中々掴めない。喋りながら、もどかしく思う。


「……琴子。もしかして、何か別のこと考えてる?」


 会話の途中でそう問われ、私は目を見開いた。睡蓮の瞳は、全てを見透かしているかのように私を見つめていた。この人はすごいなと思うと同時に、ちょうどよかったとも感じた。

 私は少し緊張しながら、話し始める。


「うん、ごめん……考えていた。その、昨日睡蓮が私に教えてくれた、悩んでいることの話なんだけれど」

「……ああ、それか」

「そう。その……もしよければ、私、貴女の助けになれないかな?」


 睡蓮が目を丸くする。私は言葉を続けていった。


「私にとって、睡蓮はすごく大切な友人で。こんなに仲良くできる人ができたのは、初めてで。だから睡蓮が求めていることは、私も求めたい。その……余り、役には立てないかもしれないんだけれど。ね、どうかな?」


 睡蓮の表情は、とても複雑そうだった。嬉しいようにも見えるし、困っているようにも見えるし、……苦しいようにも、見える。どうしてかはわからないけれど、葛藤しているみたいに感じられた。

 少しの間があって、睡蓮はようやく言った。


「……琴子の気持ちは、ありがたいよ。だけど……ずっと考えてはいるけど、わたしには、一つの方法しかないように思うんだ。そして、それに琴子は立ち入れない」

「その方法は、私には話せないんだっけ?」

「ああ、話せない。申し訳ないが」

「じゃあ、私も方法を考えてきたから、聞いてほしい。それは睡蓮の考えているものと同じかもしれないし、違うかもしれないけれど」


 私は睡蓮を見据えながら、そう提案する。

 彼女は困ったように視線を逸らしてから、そっと口を開いた。


「……わかった。折角考えてくれたのなら、聞かせてくれ」

「ありがとう。その、まずはね、虐めを一つずつ終わらせていくのが重要だと思うんだ。そういう積み重ねが、いい未来をつくっていくんじゃないかって」

「一つずつ、か」


 繰り返す睡蓮に、私は頷いてみせた。


「だから私は、今私たちの教室で起こっている虐めをどうにかしたい。……睡蓮。二人で力を合わせて、この現状を変えていこうよ」


 私は睡蓮と目を合わせながら、そう伝えた。

 睡蓮は重い表情をしていた。私に向けてどのような答えを返せばいいのか、悩んでいるように見えた。彼女は水の入ったグラスに口を付けると、ゆっくりとそれを飲む。氷と氷が触れ合う、からからという音が響いた。

 それから睡蓮は、目を細めて話し始める。


「……まず言っておくと、琴子の考えた方法はわたしの考えた方法とは違う」

「そっか。確かに私の提案したものは、私も立ち入ることができるもんね」

「ああ。……そして、君の方法は結局のところ、極めて緩やかな形での解決にしかならないと思う。多少の虐めはなくせるかもしれないが、君も……わたしも、基本的には余り大きな力を持たない。だから、わたしの理想には殆ど届かない。そう思うよ」


 その言葉に、私は思わず俯いてしまう。

 睡蓮の言うことはもっともだった。私の考えは甘い。誰かを大切にするという行為が簡単に波及するのなら、きっと戦争だってこの世界からは既になくなっているはずなのだ。


 けれど……私は、この提案をせずにはいられなくて。


 それは勿論、睡蓮の力になりたいという思いが大半だ。睡蓮は大事な人で、そんな人が困っているのなら支えになりたいから。

 でも恐らく、それだけが理由ではなかった。

 直感が、ささやくのだ。


 ――睡蓮が考案した方法を、彼女に実行させてはいけない、というように。


 この気持ちが正しいのかどうかはわからない。明確な理由も、根拠も存在しないから。ただ何となく、私はそう思ってしまっている。


「落ち込まないでくれよ、琴子」


 そう声を掛けられて、私ははっとなって顔を上げた。

 睡蓮は柔らかい表情を浮かべながら、私を見つめている。


「君はやっぱり優しいな」

「別に、そんなことないよ……人並みだよ、私の優しさは。そう言ってくれるのは、嬉しいけれど」

「謙遜できるのも、琴子の素敵なところだと思う」


 睡蓮は微笑んだ。私は少し照れ臭くなってしまって、それを隠すかのように一口水を飲んだ。彼女はこうやって、時折真っ直ぐに私のことを褒める。そういうところも、睡蓮の美徳だと思った。


「わかったよ」


 私がグラスをテーブルに置いたとき、そう睡蓮は言った。


「……わかったって、何が?」


 首を傾げる私に、睡蓮は言葉を続ける。


「琴子の考えてくれた方法を、やってみようと思ったんだ」

「え、本当に……?」


 私は驚いて、何度か瞬きを繰り返してしまう。

 睡蓮は、丁寧に頷いた。


「ああ。……ただし、変えたい点もある」

「変えたい点?」

「そうだ。琴子は、一緒に現状を変えていこうと言ってくれていたけど、悪いがそれはできない。わたし一人で、どうにかする」


 その言葉を心の中で反芻して、私は確かな寂しさを覚えた。

 力になりたいという思いを、拒絶されたように感じてしまったから。

 それに気付いたかのように、睡蓮は口を開く。


「言っておくけど、決して琴子を信頼していないという訳ではないんだ。ただ……わたしは、君と虐めをこれ以上近い場所に持っていきたくなくて」

「それは、どうして?」


 睡蓮を真っ直ぐに見ながら、私はそうやって尋ねる。

 彼女は少し逡巡してから、ぼそりと言った。


「……心配なんだ。琴子のことが」

「私だって、睡蓮のことが心配だよ」

「わかるよ。……でもどうか、お願いだ。わたしだけでやらせてくれ」


 睡蓮はそう言って、私に向けて頭を下げた。

 まさかそこまでされるとは思っていなくて、私は思わず慌ててしまう。


「わ、わかったよ! わかったから、そんなかしこまらないでよ。びっくりしちゃうじゃない」


 そう告げると、睡蓮は頭を上げてくれた。

 彼女は安心したように微笑んでいた。


「ありがとう、琴子」


 どういたしましてと言うのも違うような気がして、私は取り敢えず微笑み返すことにした。

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