05
昼休みの時間、私は教室で睡蓮と一緒にご飯を食べていた。睡蓮はお母さんがつくってくれたというお弁当を持ってきており、彩り豊かなおかずが容器の中で並んでいる。
私は学内の購買で買ってきたおにぎりを食べながら、いつものように睡蓮のお弁当を羨ましく思った。共働きの両親は仕事で忙しく、私にお弁当をつくってくれることはほぼない。お金を渡してくれているから食べるものに困ることはないのだけれど、毎日のようにお弁当を持たせてもらえる生活というのにはやっぱり憧れる。
少し固くなったお米を咀嚼しながら、自分の子どもには沢山料理をつくってあげたいと思った。
「…………? 琴子、どれか欲しいのか?」
睡蓮に声を掛けられて、自分が彼女のお弁当を凝視していたことにようやく気付く。私は慌てて首を横に振った。
「ご、ごめん、そういう訳じゃないよ! ただ、その……美味しそうだな、と思って」
「なんだ、やっぱり欲しいんじゃないか」
睡蓮はそう言って、可笑しそうに笑った。彼女の笑顔を見ると、同性なのに少しどきりとしてしまう。だって睡蓮が屈託なく笑うことは稀で、そしてその表情には夕暮れのような綺麗さがあるから。
「まあ、欲しくないと言ったら嘘になるけれどさ」
「そうか。……よければ、どれかあげようか?」
「えっ、いいの!?」
思わぬ提案に、私はつい身を乗り出してしまった。睡蓮は「全然構わないよ」と頷いて、手に持っていたお弁当の容器を机の上に置く。
赤色と黄色のものがあるミニトマト、ふかふかそうな卵焼き、しっかりと衣のついた唐揚げ、たこの形をしたウインナー――おかずはどれも美味しそうで、どれを貰おうか少しの間悩んでしまう。
睡蓮の方をちらりと見ると、微笑ましげに私のことを見ていて、何だか恥ずかしくなった。その気持ちを振り払うように、私は一つのおかずを指差す。
「これがいいな。この、たこさんウインナー」
「わかった。……あれ、琴子、もしかして自分のお箸ない?」
「え?」
尋ねられて、私は自分の手元を見た。そうだった、今日はおにぎりを買っただけだから割り箸を付けてもらっていなかった。どうしようかと俯いた私の視界に、柔らかな赤さをしたたこさんウインナーが映り込む。そうしてようやく、睡蓮が彼女の箸を使って、私に向けてご飯を差し出してくれていることに気付いた。
「はい」
睡蓮は頬杖をつきながら、優しく微笑んでいる。
「え、その、いいの……? 睡蓮」
「いいよ。こうしなきゃ、琴子、手掴みで食べることになるだろう?」
「まあ、それもそうだけれど。……それじゃ、遠慮なく!」
私はそう言って、勢いよくたこさんウインナーを頬張った。睡蓮は同性だけれど、ご飯を食べさせてもらうと言うのはやっぱりちょっと照れ臭い。咀嚼したら口の中いっぱいに塩気のきいた味わいが広がって、とても美味しかった。それと同時に、大事に育ててもらえることへの憧憬を思った。
ごくんと飲み込んで、私は睡蓮に笑いかける。
「美味しかった。ありがとう、睡蓮!」
「どういたしまして。まあ、つくったのはわたしじゃないけどな」
「お母さんだもんね。私も子どもができたら、沢山料理とかつくってあげたいな」
そのとき、睡蓮の瞳が一瞬だけ揺らいだような気がした。
不思議に思ったのとほぼ同時に、佐山さん、
「…………? どうかしたのか、琴子」
睡蓮に問われて、私は暗い顔をしながらそっと人差し指で示した。睡蓮も、国府田さんの机の方を見る。そうして彼女は目を見張った。
佐山さんたちは楽しそうに笑いながら、国府田さんの通学鞄を漁り始めた。鞄に付けられたうさぎのぬいぐるみのキーホルダーが、どこか悲しげに揺れている。
彼女たちの笑顔がとても純粋なものに見えて、私にはそれが怖くてしょうがなかった。優しい顔をした悪人がいることなんて、当たり前のはずなのに。
佐山さんは幾つもの教科書やノートを取り出すと、それをびりびりと破いていく。国府田さんの机が紙屑でいっぱいになる。私は思わず泣いてしまいそうになった。虐められた経験はないけれど、こうした光景を近くで見ていると、心がぎゅっとなる。辛い。
……ふと、睡蓮が自身の筆箱を凝視していることに気付いた。
彼女はもう佐山さんたちの方を見ることなく、ただ筆箱を見つめていた。睡蓮の筆箱は、暗い赤色をしている。何かに似ていると思った。そうだ、この色彩はまるで、あの日猫の死骸から滴っていた血のようだ……
そんな記憶を思い出し、私の心臓は少しだけ縮こまる。本が裂かれていく音を聞きながら、私はただ睡蓮だけを見ていた。
「……ごめん。ちょっとお手洗いに行ってくる」
少しして、睡蓮はそう告げると椅子から立ち上がった。私に背中を向けて去っていく彼女を、どこか呆然と眺めていた。
佐山さんたちは、もう教室の外に行ってしまったようだった。荒らされた国府田さんの机とクラスに漂うどんよりとした空気が、先程までの出来事を思い出させた。
気付けば私は睡蓮のように、彼女の筆箱を見つめていた。ふと、入っている幾つものシャープペンシルやボールペンの隙間で、何かが光を反射して煌めいたような気がした。何だろうと思って、私はもっと近くで睡蓮の筆箱を見ようとする。それは奥の方に入っているようだった。銀色の……何か。
「琴子」
後ろから声を掛けられて、私は思わずびくりと身体を震わせる。
そこには睡蓮が立っていて、彼女は微笑みながら開いていた筆箱のチャックを閉めた。そうしてまた椅子に座り、ゆっくりとお弁当を食べ始める。
私は彼女に合わせるかのように、残っていたおにぎりを再び手に持った。
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