第四三話

 俺は静かな音楽と、けたたましいバイブの音で目を覚ました。


 スマホを手に取りアラームを消すと、そこには五時三◯分と表示されていた。


 部屋は当然真っ暗である。俺はスマホのライトを点灯させ、その光を頼りトイレへ

と向かう。


 用を足し終えた俺は洗面所へと行き、洗顔と歯磨きを済ませ再び部屋へと戻った。


 さっきまで暗かったはずの部屋には電気が付いており、ベッドにはさくらの姿がない。


 おかしいなと思いつつも寝袋やエアーマットを片付けていると、トイレから水の流

れる音が聞こえてきた。


「桜輝おはよー」


 トイレから出てきたのは、寝ぼけ眼で髪の毛がボサボサのさくらだった。


「おはよう。 ごめんな、起こしちゃった?」


「ううん、自分のアラームで起きたから大丈夫」


 さくらはそのままベッドに座ると、ボーッとどこか一点を見つめている。


 俺はキッチンに行き、ヤカンにコップ二杯分の水を入れ、コンロの火を点火させる。


 ヤカンの水は数分で沸き、あらかじめコーヒーを入れておいたマグカップにお湯を注ぎ、部屋のテーブルに置いた。


 さっきまで座っていたさくらはいつの間にか再び横になっている。


「さくら、寒くて辛いのは分かるけどコーヒー淹れてきたからこれでも飲んで温まろうぜ」


「……」


 さくらは無言で身体を起こすと、マグカップを手に取り、そっと口元へと運んだ。


 湯気の温度で熱さを察したのか、フーフーとコーヒーに息を吹きかけている。


「ごめんな、熱過ぎたかな」


「大丈夫、すぐに冷めると思うから」


 さくらはそう言うとマグカップを置くと洗面所のほうに歩き出した。


 数秒後洗面所からは先程とは違った水の流れる音が聞こえてきた。


 その音は数秒で消え、さくらはさっきとはまるで違う表情で帰ってきた。


「いや〜、寒い時こそ寝起きは冷たい水で洗わないとだよね〜! おかげで目が覚めたよ〜!」 


 洗面所に行く前は目が半開きで、焦点がまるで合っていないように見えたが、今ではいつも通り目をパチっとさせている。


 さくらはテーブルの前に座ると、マグカップを手を取り口へと運んだ。


「うん! やっぱり飲み頃だ!」


 さくらはそう言いながら次から次へとコーヒーを口の中へ、胃の中へと入れていき、ものの数口で飲み干してしまった。


「はあ〜美味しかった! 身体も温まった事だし、準備してこよっと!」


 さくらはそう言うと、ポーチを手に取り再び洗面所へと消えていった。


 俺はさくらのあまりのマイペースさにドン引きしながらも、俺自身のペースを乱す事なくゆっくりとコーヒーを楽しんだ。


 俺がコーヒーを飲み終えた頃、洗面所のほうからはドライヤーの音が聞こえてきた。


 俺は自分とさくらのマグカップを流しに置き、そのままの足で洗面所へと向かった。


「もうすぐ終わりそう?」


 さくらは聞こえていないのか、鏡を見ながら髪の毛にひたすらドライヤーを当てている。


「さくら!」


 俺が少しだけ大きな声を上げると、さくらは少し驚いたかのように身体をビクッとさせ、ドライヤーの電源を落とした。


「もうビックリした〜! 驚かせないでよ!」


「ああ、ごめんな。 もう終わりそう?」


「うん! あと五分くらい!」


「そっか。 じゃあ歯磨きしたいから、歯ブラシと歯磨き粉取ってくれん?」


「はーい!」


 さくらから歯ブラシと歯磨き粉を受け取ると、そのまま流しへと向かった。


 俺は流しにあるマグカップを簡単に洗った後、歯を磨く事にした。


 俺の身体は不思議な事に毎朝歯を磨いていると、必ず便意を催す。これは時間関係なく、毎朝、毎回である。俺はトイレへと向かい、用を足しながら歯を磨く。


 恐らく今、トイレの中は地獄のような臭いが充満しているに違いない。しかし幸いにも俺の鼻には歯磨き粉のミントの爽やかな香りしかしない。俺はスッキリとした気分で用を足す事ができた。


 用を足し終えた俺は換気扇を回し、消臭スプレーをこれでもかというほど吹きかける。こうでもしないと、後でさくらにしこたま怒られてしまう。


 トイレから出て、俺は洗面所へと向かった。俺は口を濯ぎ、歯ブラシを洗って、洗顔をする。ついでに髪の毛を軽く濡らしてドライヤーで乾かす。


 今日は一日帽子を被る予定故、そこまで丁寧には行わない。


 俺が洗面所から部屋に戻ると、さくらは着替えを済ませ、最後の準備をしていた。


 俺はカバンから今日着る服を取り出し、そのまま脱衣所へ行き着替える。


 以前さくらの目の前で俺の生着替えを見せたらめちゃくちゃ怒られた。


 『俺の裸は見た事あるのに、何故生着替えはダメなのか?』と聞いたところ、『サイテー!』と言われ、ものさしで尻を叩かれてしまった。


 少しだけ興奮してしまったのは俺だけの秘密だ。


 着替えを済ませた俺は寝巻きをカバンの中に入れ、最終チェックを行う。どうやら忘れ物は無さそうだ。


 俺はふと時計を見る。あと数分で七時になろうとしている。


「さくら、俺もう準備できたけどさくらはどんな感じ?」


「私もあと少しで終わる! あっ桜輝、悪いんだけど洗面所からドライヤーとヘアアイロン持ってきて!」


「はいよー」


 俺は言われた通り洗面所に向かい、ドライヤーとヘアアイロンを取ってくると、さくらに渡した。


「ありがとう!」


 さくらはそう言ってそれを受け取ると、カバンの中に無理矢理押し込んだ。カバンはパンパンに膨れ上がり、針で刺したら一瞬で割れてしまいそうだ。


「よし、できた! 桜輝もう行けるよ!」


「忘れ物無い? もう一回確認したほうが良いんじゃない?」


「も〜、桜輝は心配性だな〜。 大丈夫だよ。 もし忘れ物したら現地で買えば良いだけだし!」


 さくらはそう言うと、カバンを持ち上げた。


「う〜、重いよ〜!」


 さくらはふらつきながらもカバンを扉まで運んだ。


「その調子だと間違いなく階段で転倒するな。 俺が車まで運ぶから少し待ってて」


 俺はそう言い残し、自分のカバンを持って車へと向かった。そして車に荷物を載せ、再びさくらの部屋へと戻る。


「ほらカバンは俺が持ってくから、さくらは電気消して鍵も閉め忘れるなよ」


「うん!」


 俺はさくらの荷物を持ち、階段をゆっくりと降りていく。


 それにしてもさくらのカバンは重過ぎである。大体二、三◯キロくらいはあるだろうか。一体このカバンの中には何が入っているのだろうか。気になって仕方ない。


 やっとの思いで階段を降り、車に着くと俺はさくらの荷物を積んだ。


 ぱっと見で分かるほど車体は沈んでいる。その様子がおかしく思え、俺は思わず笑ってしまった。


 しばらくするとさくらが階段を降りてこちらにやってきた。


「ありがとね、桜輝! 助かったよ!」


「それは全然ええよ。 それよりもちゃんと電気も消して鍵も閉めた?」


「大丈夫だって〜! 私、桜輝が思ってるほど抜けてないから〜!」


 俺はさくらの目をじっと見る。


「え……何? どうしたの?」


「スマホは持った?」


「……」


 さくらはポケットや常用のカバンを漁ったがスマホは出てこない。


「部屋に忘れちゃった……」


 さくらはそう言って苦笑いをしながら再び階段を登って部屋へと戻った。


 俺はやれやれと思いながらもエンジンを掛け、車内とエンジンを暖めながらさくらを待った。


 数分後、さくらが戻ってきた。


「ごめんね桜輝。 お待たせ」


 さくらは申し訳なさそうに苦笑いをしている。


「まあええよ。 出発する前で良かったわ」


 俺はそう答えるも、さくらは少し気まずそうにしている。


「はい! じゃあこの話は終わり! さくらが静かだと俺も楽しくないから、さくら

はテンション上げてこうぜ!」


 俺はさくらの手を引き、車に乗せた。


 俺も運転席に乗り込みシートベルトを着けてシフトをドライブに入れ、サイドブレーキを下ろす。


「よし、じゃあ行くぞ!」


 俺はまだ人の少ない朝の田舎道を出発した。


 車を走らせてから約一◯分が経過した。しかしさくらは全然喋らない。


 俺は近くのコンビニに寄り、車を停めた。


「桜輝どうしたの?」


「寒いからコーヒーでも買おうかなって。 さくらも来る?」


「ううん。 ここで待ってる」


「……そっか、分かった」


 俺は車にさくらを残したまま、一人店の中へと入った。


 店に入ると、俺は真っ直ぐレジに向かいコーヒーを二つ注文する。会計を終え、二

つの紙コップが渡されるとそのまま焙煎機にコップを入れた。


 待つ事数分、二つのコーヒーを入れ終えると俺は店を出て車へと戻った。


「お帰り」


「ああ、ただいま」


 急にドアを開けたからか、スマホを触っていたさくらは身体をビクッとさせ、驚いていた。


「はいこれ、さくらのな」


「えっ……? 良いの?」


「良いのって、俺だけ飲むわけにはいかんだろ。 それに、もしさっきのスマホの件

を気にしてるんだったらもう気にせんでええよ。 てか俺全く怒ってないし」


 俺の言葉を聞いて、さくらは微笑んだ。


「うん! 分かった! コーヒーもありがとう!」


 俺からコーヒーを受け取ると、さくらはプラスチック蓋の飲み口を開け、そこから昇ってくる湯気を思い切り吸い込んだ。


「は〜、やっぱりドリップしたやつは香りが違うね! インスタントのやつとは大違い!」


 さくらはご満悦である。


 いつも通りのさくらになったのを見て俺は安心し、エンジンを掛けてコンビニを後にした。

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