第八章

第四二話

 クリスマスから四日が経過した。


 一二月二九日。この日の俺は年内のバイトを終えた。


 先日の黒馬くろま村からの帰りの車内で、俺とさくらは早くも年末年始について話し合った。


 俺たちは最終目的地を島根県出雲市にある出雲大社と定めた。


 大まかなスケジュールとしては、一二月三◯日の午前に渼浜みはまを出発し、一日かけて出雲へと向かう。翌一二月三一日の大晦日はゆっくりと出雲大社周辺の観光名所を周り、夜は出雲大社にて年を越して初詣をする。そして翌一月一日は早朝に再度参拝し帰路に着く。


 しかし急遽決まったこのスケジュールには大きな欠陥があった。


 それは出雲周辺の宿が全て予約で埋まっていたという事である。


 俺たちはこの旅を諦めようかと思ったが、さくらの発想で大きく動いた。


「宿が無いなら車を宿にすれば良いじゃん!」


 初めは何を言っているのかさっぱり分からなかったが、よくよく話を聞いてみると、キャンピングカーをレンタルし、それで出雲まで行けば時間には縛られずに済むのではないかというものであった。


 俺はキャンピングカーと聞いて、トラックをベースにしたいかつい車を想像した。


 しかし調べていくうちにハイエースの四ナンバーサイズをベースにしたキャンピングカーもあるようだ。


 四ナンバーサイズのハイエースなら俺でも運転できる。


 さっそく俺は尾張地域にあるキャンピングカーのお店に電話をした。


 年末という事もありレンタルは予約で埋まっているかと思ったがそんな事はなく、希望の車、日にちを抑える事ができた。


 バイトから帰ってきた俺は風呂に入り、身支度を整えると、車を走らせてさくらの住むアパートへと向かった。


 アパートに到着するなり、俺はインターホンを押し、さくらの部屋に入った。


「桜輝お疲れ様〜!」


「いや〜、バイト先の先輩がさ『お前は今日で仕事納めなんだからもっと働け』とか言って理不尽に仕事を振ってきたからめっちゃ疲れたわ〜」


 俺はダメだと思ってはいるものの、口から自然とバイト先の愚痴が漏れてしまう。


 そんな俺の話を聞いて、さくらはクスクスと笑っている。


「そういえばそのバイト先の先輩って男の人?」


「いや女だよ。 だから尚更タチが悪いんだって。 最初は優しかったのに、俺に彼女がいるって分かった途端に『洒落臭い』とか言って、理不尽に仕事を振ってくるようになってさ、マジでウザいんだよ」


「その先輩、もしかしたら桜輝に惚れてるんじゃないの?」


「ないない! その先輩さ、黙ってりゃ綺麗だけど口がめちゃくちゃ悪いからな……」


「あはは! 桜輝食べられないようにね。 食べられたら私、桜輝の事刺すから!」


 さくらはそう言うとフォークを手に取り、ニコニコと笑い始めた。


「おい……。 さくらが言うと冗談に聞こえないからやめろって」


「私本気かもしれないよ〜。 まあ、とりあえずお風呂入ってきなよ! 私はもう入ったから!」


「ああ、そうするわ」


 俺は持ってきたカバンから下着などの着替えを取り出し、風呂場へと向かった。


 風呂から上がると、部屋の真ん中にあるテーブルにはガスコンロと鍋が置かれ、コンロには火がかけられている。


「桜輝もうすぐで沸くからもう少し待ってね!」


「急いでないから大丈夫だよ」


 俺はそう言って座った。


 数分後、グツグツと言う音とともに鍋の蓋からは水蒸気が勢い良く噴き出ている。


「できたー!」


 さくらはそう言うとミトンを装着し、鍋の蓋を持ち上げる。


 湯気が勢い良く広がり、一瞬だけ目の前が白いモヤに覆われる。


「やっぱり寒い日は鍋だよね〜!」


 さくらは器に出汁と具を入れ、俺に手渡した。


「ありがと」


 俺は器に『キムチの素』を多めに入れ、味が均一になるように、丁寧に混ぜる。


「じゃあ食べようか!」


 自分の分をよそったさくらは俺にそう言うと、手を合わせていた。俺もさくらと同じように手を合わせる。


「いただきます!」


 さくらの掛け声に合わせるように、俺も食材に対する感謝の言葉を口にし、箸に手を伸ばした。


 俺はまず汁を啜る。もちろんキムチの香りがするが、その奥のほうに出汁の香りが垣間見える。


 次に白菜を箸でつまみ、口へと運ぶ。しなしなで口の中で溶けていく感じが堪らない。


 『キムチの素』を多めに入れた事で、白菜本来の味はしなかったが、野菜本来の味があまり好きではない俺にとっては好都合だ。


 それにしても味噌汁にしろ鍋にしろ、白菜を煮ると牡蠣のような香りがするのは俺だけだろうか……。


「ねえ桜輝!」


「ん?」


「今まで誰にも共感してもらえなかったんだけど、白菜って煮ると牡蠣のような香りしない?」


 どうやら俺だけではなかったみたいだ。


「丁度俺も同じ事考えてた」


「本当?」


 さくらは俺の言葉を聞き、パァっと顔が明るくなる。


「良かった〜、桜輝には分かってもらえて! 今まで家族にも小雪にも共感してもらえなかったから、私の嗅覚っておかしいのかなって思ってたもん!」


「おかしくはないけど、多分俺たちってかなりの少数派だと思うよ」


 俺はそう言って、豚肉を口へ運んだ。


「そういえば桜輝って兄弟っているの?」


「一応四つ下の弟がいるよ」


「四つ下か〜。 って事は今中学三年生?」


「だな。 さくらはいるの?」


「ううん。 私は一人っ子。 だから兄弟がいるのって凄く憧れるんだよね……。 小雪も三つ下の妹がいるんだけど、凄く仲が良いんだってさ!」


 俺は箸を置いた。


「えっ、小雪ちゃんって妹いるの?」


「そうだよ〜! 私も何度か会った事があるんだけど、小雪に似て背も高いし、綺麗で凄く可愛いの!」


 さくらはそう言うと、スマホを取り出すとディスプレイをこちらに向けた。


 そこにはさくらと、制服を着た小雪ちゃんによく似た女の子が写っている。


「この制服って……」


「そう! 小雪の妹、桜輝と同じ太府おおぶ高校なんだ!」


「……知らんかった」


 さくらはクスクスと笑う。


「そりゃ言ってないからね!」


「……ところで小雪ちゃんの妹って、名前は何ていうの?」


白雪しらゆきだよ! 名前まで可愛いよね! 白雪姫みたいで!」


「小雪ちゃんに白雪ちゃんか……。 二人とも名前負けしてないな……」


 俺がそう呟くと、さくらは頬を膨らませた。


「もう桜輝、またエロい顔してる……。 白雪ちゃんはまだ高校一年生なんだから手

出しちゃダメだよ! 犯罪になっちゃうから!」


「出さねーよ、バカ! アホな事言ってないでさっさと食べるぞ!」


「あー! 話逸らしたー!」


 俺は箸を手に取り、再び器にある白菜を口に運んだ。


 それから約一時間、俺とさくらは鍋に舌鼓を打ち、気付けば鍋の中は空っぽになっていた。


「はあ〜! 美味しかった〜!」


「さくらご馳走様」


「いえいえ〜! お粗末様でした!」


 さくらはそう言うと、ガスコンロの火を消した。


「じゃあ俺は鍋持ってくね」


「うん、よろしく! はいこれ、ミトンね! まだ熱いから気を付けてね!」


 俺はさくらからミトンを受け取り、空になった鍋を流しに持って行った。


「さくらー、鍋の中の汁ってどうしたら良い?」


「そこに流しちゃって大丈夫だよ〜!」


 俺はさくらに言われたように、鍋の中にある汁を流した。


 ミトンを外し、鍋を触って見たがまだかなり熱い。俺は鍋の中に水を張り、冷ます事にした。


 しばらくすると、食器を持ってさくらがやってきた。


「桜輝ありがとね! 後は私がやるから、向こうでゆっくりしてて!」


「分かった、ありがと」


 俺は食器洗いをさくらに任せ、テーブルの前に腰を下ろした。


 しかし特にやる事は無い。俺は座ったままボーッと壁に掛けてある時計を眺める事にした。


 それから十数分が経っただろうか。洗い物を終えたさくらは歯を磨きながらこちらにやってきた。


 歯ブラシを口に入れたまま、モゴモゴと何か言っていたが全く聞き取れない。


「歯磨きしながら喋るなって。 とりあえず終わらせてこや」


 俺が諭すように言うと、さくらは左手の甲を俺に向けるように敬礼すると、洗面所へと消えていった。


 数分後、歯磨きを終えたさくらが再びやってきた。


「じゃあ俺も歯磨いてくるな」


「はーい!」


 俺は洗面所へ行き、歯ブラシ立てに置いてある二本の歯ブラシのうち一本を手に取り、歯を磨く。


 俺とさくらは決して同棲をしているわけではない。だがこうしてさくらの家の洗面所にはいつも俺の歯ブラシが置かれている。


 冷静に考えると意味が分からないが、俺は考えるのをやめた。


 俺は歯を磨き終え、部屋に戻るとさくらはこちらに背を向け、ベッドで横になっていた。


「おいさくら、布団掛けないで寝てると風邪ひくぞ」


「……」


 さくらからの返答は無い。


 俺はさくらが横になっているベッドに近付き、耳を澄ませた。


 さくらの呼吸は深くゆっくりと、一定のペースで行われている。


「何だ、寝ちゃったのか」


 俺はさくらの足元にある布団を身体に掛けてやり、俺は持参したエアーマットを膨らませ、その上に寝袋を敷き、部屋の電気を消した。


 そして寝袋の中に潜り込み、俺は五分と経たずに夢の中へと誘われた。

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