第三三話

 部屋に戻った俺たちは一階にある浴場で風呂を済ませ、部屋でまったりとした時間を過ごしていた。


 テレビもつけず、俺はベッドでうつ伏せになり持ってきた携帯ゲーム機をカチャカチャさせる。


 時々さくらを見ると、同様にベッドで横になりながらスマホを弄っている。


 時間の流れは早い。気付けば二三時を回っていた。俺はゲームを終わらせ、身体を起こし立ち上がる。


「さくら、もう二三時過ぎだしそろそろ寝ようぜ」


「うん、分かった!」


 俺たちはトイレを済ませて部屋に戻り、消灯した。


 黒馬くろま村は俺たちが住む智多半島よりもかなり涼しい。しかしそれでもエアコンを作動させないと汗ばんでくる。


 俺は夏用の布団に潜り込み、目を瞑ってみるが中々寝付けない。普段なら目を瞑れば遅くとも一五分後には寝れるが、今日は違う。


 いつもと枕やベッドが違うからだろうか。それとも旅行に来た事による興奮のせいだろうか。


「桜輝まだ起きてる?」


 暗闇の中で、さくらの声が静かに聞こえた。


「ああ、起きてるってよりも寝れないってのが正しいかな」


 そう答えるとさくらのベッドから布団が擦れる音が聞こえ、足音がこちらに近付いてくる。


 その足音が俺のすぐ耳元で止まると、何者かがベッドに潜り込んできた。


 その何者かの正体は、おおよそ見当が付く。むしろ一人しかありえない。


「さくら何してんの?」


「あれ、バレちゃった?」


「バレるに決まってるだろ」


「ははは! あのさ、私もここで寝て良い?」


 さくらは自分の枕を俺の頭のすぐ横に置き、横になる。


「どうせ断ったってここで寝るんだろ? もう勝手にしろ」


「さすが桜輝! 私の扱いにかなり慣れてきたね!」


「そうかもな」


 俺は再び目を閉じ、寝る事に集中する。


 しかしこんな狭いベッドに大人二人が横になっているのである。窮屈で寝れるはずがない。


 少しでもゆとりを作るために、俺は仰向けの身体をさくらに背を向けるように横にする。


 そんな俺にさくらは足を絡ませてきたが、それを無視して目を閉じ続けた。


 俺は目を覚ました。枕元に置いてあるスマホに手を伸ばし、時間を確認するとそこには六時◯七分と表示されている。


 どうやら昨晩、俺はあのまま寝てしまったようだ。横にいるさくらはまだ寝息を立てている。


 俺はさくらを起こさぬよう、静かにベッドから降り、部屋を出てトイレへと向かった。


 用を足し終え、部屋に戻ったがさくらはまだ眠っている。


 俺は本来さくらが寝るべきベッドに腰を下ろし、ゲーム機を手にして昨日の続きをする事にした。


 ゲームに熱中していると、ベッドからゴソゴソと物音が聞こえた。


「桜輝おはよ〜」


 寝ボケ眼のさくらは欠伸をしながら身体を起こす。


「おはよう」


「桜輝早いね。 いつから起きてたの?」


「三◯分くらい前かな」


「そっかー」


 さくらは立ち上がると、スリッパを履いて部屋から出て行った。


 俺はゲームをやめ、今日着る服をベッドの上に広げる。


 すると部屋のドアがノックされた。


「さくらたちおはよう! 朝食は七時半からだからね!」


 小雪ちゃんの声だ。


「はーい! さくらにも伝えとくね! ありがとう!」


 俺がドア越しで答えると、ドアが開いた。


「あっ、桜輝君か! おはよう!」


「おはよう。 わざわざありがとね」


「ううん、これも仕事だから! そういえばさくらは?」


「ついさっき起きて出て行ったから、多分トイレじゃないかな?」


「そっか〜。 じゃあ朝食の事、さくらにも伝えといてね!」


 小雪ちゃんはそう言うとドアを閉め、去って行った。


 数分後、さくらが戻ってきた。


「さくら、さっきから小雪ちゃんが来て、朝ご飯は七時半からだってさ」


「う〜ん、私まだ寝てたい」


「でも朝食は作っていただいてるんだからさ。 今寝たら食べれんくなるよ」


「……分かった」


 さくらはベッドに腰を下ろし、ボーッと天井を眺めている。


「さくら……?」


 さくらを呼ぶが反応が無い。何かがおかしい……。


 俺は腰を上げ、さくらの隣に座り肩を揺すった。


「おいさくら、大丈夫か?」


 すると突然、さくらが抱きついてきた。


「桜輝大好き!」


 俺は突然の事に困惑しながらも、何とかさくらを引き剥がした。


「おいおい、どうしたんだよこんな朝っぱらから」


 さくらの目は潤んでいる。


「私昨晩、桜輝にフラれる夢を見たの。 理由を聞いても教えてくれないし、抱き付

いても無理矢理引き剥がされて、どこか遠くへ行っちゃうの。 追い掛けようにも、金縛りみたいに身体が固まって動けなくて……」


 さくらは両手で顔を覆い、泣きだした。


「それで目を覚ましたら桜輝がいないから、本当に焦っちゃった……」


「そっか……。 それは辛かったな」


 俺はさくらを抱き寄せた。


「大丈夫、俺はどこにも行かないから」


「本当? でも私ってこんなんだし、多分これからも桜輝に沢山迷惑かけると思

う。 それでも愛想尽かさずに私の事好きでいてくれる?」


「当たり前だろ。 だからさくらは余計な心配はするな」


「……分かった。 ありがとう」


 俺たちは十数分間、そのまま抱き合った。


 さくらは多分、俺の知らないところで色々と抱え込んでいたのだろう。もしかしたら、前の彼氏にフラれた事がトラウマになっているのかもしれない。


 しかしそればかりは俺にはどうする事もできない。


 俺にできる事といえば、さくらを悲しませない事、心配をかけない事、そして今以上に良い男になる事。


 俺はそっとさくらとの抱擁を解いた。


「じゃあ少し早いけど、食堂に行こうか」


「うん!」


 俺たちは部屋の鍵を閉め、食堂へと向かった。


 食堂に着くと、そこにはまだ俺たち以外のお客さんは誰もいない。


 俺たちは昨夜と同じテーブルに腰を下ろす。昨夜には気付く事ができなかったが、旧車の置物や多分有名な画家のものだろうと思われる絵画が所々に飾られている。


 そしてジャズサウンドが流れており、コーヒーとパンを焼く香りがして、お洒落なカフェにでもいるような感覚になる。


「桜輝、さっきはごめんね。 急に抱き付いたりして……」


 さくらは俺を見て、恥ずかしそうにも申し訳なさそうにも見える表情をしながら謝ってきた。


「ああ、別に良いよ。 さくらも色々と溜め込んでたんだろ? だからこれからは自分一人で抱え込まずに何でも俺に言いや」


「でもそれだと桜輝、私の事面倒臭いとか思わない?」


「さっき部屋でも言ったけど、そんなんで面倒臭いとか思わんし、嫌いになったりせんから。 逆に思ってること言わずに一人で抱え込んでるほうが嫌いになるかも……」


「嫌だ! 嫌いにならないで!」


 さくらは俺の腕を掴む。


「じょ、冗談だわ! とりあえず腕から離れろって!」


「嫌だ! 絶対に離れない!」


 俺たちがそんな問答をしていると、前方に人の気配を感じた。


「あんたたち、こんな朝っぱらからイチャイチャして……。 本当に仲が良いね」


「小雪……。 違うのこれは……」


「はいはい。 とりあえずもうすぐご飯できるから、それまではこれでも飲んで待ってて」


 小雪ちゃんはそう言うと、皿付きのティーカップを置いた。ティーカップには透き通ったセピア色の液体が入っている。


「それから、もうすぐで他のお客さんも来るからイチャイチャも程々にね。 頼むよ、桜輝君」


「お、おう。 分かった」


 小雪ちゃんは奥へと消えていった。


「だってさ、さくら。 大人しく待ってようか」


「うん……」


 さくらは俺の腕から手を離した。


 それから数分後、食堂にはぞろぞろと他のお客さんがやってきた。


 そして奥からは霜鳥しもとりさんや小雪ちゃんたちが慌ただしく食事を各テーブルに運んでいく。


 しかしいつまで経っても俺たちのテーブルには運ばれてこない。


「何だか私たちだけ遅くない? 一番早くに来たのに……」


「まあそう言うな。 これだけ忙しそうにしてるんだから、ゆっくり待ってようぜ」


 そのまま待つ事数分、エプロンを外した小雪ちゃんが盆を持ってやってきた。


「ごめんね〜二人とも! どうせなら昨日と同じように私も一緒に食べたかったから後回しにしてた!」


「なんだ〜、そういう事か〜!」


 さくらの言葉に、小雪ちゃんはキョトンとしている。


「え? 何が?」


「いや〜実はさ、さっきからさくらがずっと『私たち一番乗りしたのに全然こないね〜』って文句垂れててさ」


「ちょっと! そんな言い方してないでしょ!」


 さくらは俺の肩を叩く。


「二人とも、イチャイチャしてないで食べるよ! ほら、手合わせて!」


 小雪ちゃんの言葉に、俺とさくらは手を合わせ、朝食をいただく事にした。

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