第三一話

 昼食を終えた俺たちは一度部屋へと戻り、身支度を整えラウンジへと向かった。


 そしてカウンターで二人で喋っていると、一人の男性がカウンターの中に入ってき

た。


「初めまして。 小雪ちゃんのご友人というのは貴方達でしょうか?」


「はい……。 そうですが、あなたは?」


「申し遅れました。 このペンション『山津見やまつみ』のオーナー、霜鳥しもとりと申します」


 霜鳥しもとりさんは白髪混じりのグレー色をした頭にパーマをかけ、顎には軽く髭を蓄えている。目元のホリも深く、目もキリッとしており、イケオジの条件を満たしたような人である。


「オーナーさんだったんですね。 三日間お世話になります」


「こちらこそわざわざ遠い所からありがとう。 実は私も愛知出身なんだよ」


「そうだったんですか! 因みに愛知のどの辺りですか?」


「名古屋だよ。 それに、私の妻は南智多みなみちた出身なんだよ」


「えっ! 僕、生まれも育ちも渼浜みはまなのでびっくりです!」


 そういえばさくらが会話に入ってこない。男には自分からは話し掛けれないとはいえ、流石におかしい。


 俺がさくらを見ると、さくらは頬杖をついたまま目を閉じている。


「さくら、大丈夫か?」


 身体を揺すると、さくらは目を開けて俺を見る。


「大丈夫だけど……。 どうしたの?」


「どうしたのって、頬杖つきながら目なんか瞑ってたら霜鳥しもとりさんに失礼だろ」


 そう言うと、さくらは霜鳥しもとりさんを見る。


「あっ、ごめんなさい! 今流れてる曲が凄く幻想的だったので、聴く事に集中してました!」


「ははは、大丈夫だよ。 それにしても君、センスあるね! 実は私も君たちと同じ

くらいの子供がいるんだけど、この歌手について一ミリも興味を持たないんだよ」


「えー! そうなんですか? 因みにこの歌手ってどんな人なんですか?」


「この歌手はね、アイルランドの女性なんだ。 たぶん幻想的に聴こえたのも、スピリチュアルに関する歌だったからじゃないかな」


 気付けばさくらと霜鳥しもとりさんは深く話し込んでいた。蚊帳の外の俺は、さっきのさくらと同じように目を閉じて曲に集中いていた。


 英語で歌っている故に何を歌っているのかは分からないが、さくらの言っていた通り、確かに幻想的に聴こえる。


「桜輝はどうする?」


 さくらの問いに、俺は目を開けた。


「えっ、何が?」


「も〜! 聞いてなかったの? オーナーさんが『コーヒーか紅茶どっちが良い?』

だって!」


「ああ……。 では紅茶をいただきます」


 カウンターの向こう側で、霜鳥しもとりさんは慣れた手つきで紅茶を淹れていく。紅茶特有の非常に良い香りが俺の鼻腔を優しく撫でる。


「お待たせしました。 どうぞ」


 そう言って出された紅茶を、俺はゆっくりと口に入れる。


「美味しい……」


 俺は別に紅茶に詳しい訳ではない。しかしそんな素人の俺でも分かるくらいに、この紅茶は美味しい。恐らく俺がこれまでの人生の中で飲んできた紅茶の中でも、一番の美味しさだ。


「本当だ〜! これ凄く美味しい!」


「ははは。 喜んでもらえて良かったよ」


 霜鳥しもとりさんはそう上機嫌に笑うと、小皿を出した。


「これ、自家製のクッキー。 もし良かったら紅茶のお供にでも食べてみて」


「本当ですか? ありがとうございます!」


 さくらはそう言うと、クッキーを口に運ぶ。


「うわ〜! このクッキーも美味しい! 全然甘くないし、何だかレモンの香りがする!」


「おっ、よく気付いたね! 実は少しだけレモンの皮を入れてるんだよ」


「ほら、桜輝も食べてみなよ!」


 さくらに促され、俺もクッキーを手に取り口に運ぶ。


 さくらが言っていた通り、全く甘くない。しかし奥の方からレモンの香りが優しく香る。


「本当だ……。 これは美味い……」


「君たちは本当に人を喜ばせるのが上手だね。 おじさんは嬉しいよ」


「いえ、霜鳥しもとりさんの紅茶やクッキーが本当に美味しいんですよ」


「そうか、そうか。 ありがとう」


 その後も俺たちは食後のティータイムを楽しんだ。そして霜鳥しもとりさんの話は面白く、上手い。俺も歳を重ねればあんなふうに上手く、面白い話ができるようになるのだろうか。


「二人ともお待たせ〜!」


 振り返るとそこには身支度を終えた小雪ちゃんが立っていた。


「小雪〜! オーナーさんの紅茶とクッキー、凄く美味しいね!」


「二人とも食べたんだ! 私も昔からオーナーが作るお菓子は好きだったんだよね」


 小雪は小皿の上にある残り一枚のクッキーを手に取ると、口に運んだ。


「うん。 やっぱりレモンの香りがするクッキーが一番好きだわ〜。 王道にして最高……」


「小雪ちゃんも紅茶かコーヒー飲むか?」


「いえ、私は大丈夫です!」


「え〜、小雪も飲みなよ〜!」


「さくらたちもダラダラしてないで早く行くよ! せっかく黒馬くろままで来たんだから!」


 俺とさくらは紅茶を飲み干し、立ち上がる。


霜鳥しもとりさん、ご馳走様でした!」


「お粗末さまです。 二人とも黒馬くろまを楽しんで」


 霜鳥しもとりさんはそう言うと、ニコリと笑った。


 俺たちはその後、小雪ちゃんの車に乗り、出発した。


「小雪、今からどこ行くの?」


「今日は特にどこも行かないよ。 ただのドライブ」


「え〜、でもそれだともったいなくない?」


「だってもうすぐで一四時だし、今からだとどこ行っても時間に追われて楽しめないよ」


「あ〜、そっか〜」


「それにね、まずはさくらたちにこの黒馬くろま村の町並みを目に焼き付けてほしいの!」


 小雪ちゃんはそう言うと、どんどんと車を走らせる。窓の外には知らない黒馬くろま村の町並みが車の移動に合わせて移ろいでいく。


 しかし黒馬くろま村を囲う山々は、同じ姿、同じ場所で動く事なくそこにある。


 昔より日本の至る所で山というものは信仰の対象になっていたと聞くが、今それが理解できるような気がする。


「さくらたちって、今日何時くらいに出発したの?」


「あ〜、何時だっけ? 桜輝」


「さくらのアパートに着いたのが六時一五分くらいだったから、それくらいかな」


「めっちゃ早いじゃん! 交代で運転してきたの?」


「ううん。 全部桜輝が運転してくれた!」


「さくらもしかして、桜輝君が運転してる横で寝たりしてないよね……」


「流石に寝ないよ〜! 私はちゃんと助手席でナビしてましたー!」


 そんな会話をしているうちに、小雪ちゃんの運転する車はとある駐車場に入った。


「あれ? 小雪、ここって服屋さんじゃない?」


「そうだよー。 ここ実は二階がカフェになってるんだ。 さくらたちにも連れて行きたくてさ」


 俺たちは車から降り、店の中へと入った。


 この店は世界中でかなりのファンを持つアウトドアギアブランド店であり、小雪ちゃんが言っていたように一階は店舗、二階はカフェになっている。


「そういえば小雪って、服のジャンル変わったよね! 今着てる服もここのブランドだし!」


「バレちゃったかー! 五月頃にこのお店を知って、通ってるうちに気付いたらアウトドア系のファッションになってた!」


「そうなんだー! 凄い可愛い!」


「でもこれ、男子ウケはあまり良くないんだよね……」


「え〜、そうなの?」


「私は可愛いと思うけどな……」


「ありがと、さくら。 確かに男ウケはあまり良くないけど、服くらいは好きな物着なきゃね!」


「そうだよー! 小雪は可愛いし、スタイルも良いんだからどんな服でも似合うって!」


 さくらと小雪ちゃんは二人で盛り上がっている。俺が入り込む隙間はそこには無い。


 俺は一人、店内を見て回る事にした。


 しかしアウトドアギアとはいえ、流石は世界中に通用するブランドだ。値段がそこそこする。俺は気に入ったシャツを見つけたが、値札には五八◯◯円と書かれている。


「桜輝どうしたの?」


 悩んでいると、さくらに話し掛けられた。


「いや〜、気に入ったシャツがあったんだけど、五八◯◯円もしてさ。 シャツ一枚にこの値段はな〜って思って」


「五八◯◯円なら割と普通だよ。 高い物は八◯◯◯円くらいするし。 気に入ったなら、一度試着でもしてみたら?」


「……そうだね」


 俺は小雪ちゃんに言われるがまま、試着室へと連れていかれた。


 しかし五八◯◯円が普通の値段だというのには驚いた。それに高い物は八◯◯◯円近くすると小雪ちゃんは言っていたが、一体どんなシャツなのだろうか。一度見てみたい。


 そんな事を一人考えながらそのシャツを着て、俺は試着室のカーテンを開けた。


「すごーい! めっちゃ良いじゃん桜輝! ねっ、小雪もそう思うよね?」


「うん! 桜輝君本当に似合ってる! 買っちゃいなよ!」


 俺はさくらと小雪ちゃんに褒められて気を良くし、気付いたらそのシャツを買っていた。なんてチョロい男なのだろうか……。


「桜輝も買ったんだし、せっかくだから私も何か買おうかな〜」


「別に無理して買わんでも……」


「無理して買う訳じゃないもん!」


 俺の言葉はさくらの一言で切り捨てられた。


 その後さくらは小雪ちゃんとキャッキャとはしゃぎながら服を探していたが、いつまでも決まらない。


 しかも結局は、


「やっぱり桜輝と同じシャツにする!」


と言って、俺と同じシャツを手に取り、お会計へと向かった。


「二人ともペアルックなんて、本当に仲が良いね」


「別に、ペアルックにするためにこのシャツに選んだんじゃないもん! たまたま桜輝と同じ服が気に入っただけだもん!」


「はいはい。 じゃあ二人とも二階行くよ!」


 俺たち三人は二階のカフェへと向かった。

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