第二六話

 昼をさくらの家で過ごした俺たちが再び講堂に到着したのは、講義が始まる三分前だった。


 というのも、さくらの家の冷凍庫にあったたこ焼きが思いの外美味しく、吐く寸前まで食べ過ぎてしまい、時間ギリギリまで休憩していたからである。


 俺は今まさに講義が始まろうとしているこの瞬間も吐き気と闘っている。


 一方のさくらは、元々陸上をやっていて胃袋も鍛えられているのか、俺と同じ量食べていたのにも関わらず、いつも通り元気なままだ。


「桜輝大丈夫? 顔色悪いよ。 脂汗まで出てるけど」


「いや……全く大丈夫じゃない。 吐きそう……」


「もう、そんなになるまで食べなくても良いのに……。 お願いだから吐くならトイレで吐いてよ」


「うん……頑張る」


 さくらに情けの言葉を受けている自分が情けない。それにしても俺は何故こんなになるまで食べてしまったのだろうか。


 そんな会話をしているうちに壇上に教員が立った。


 それまで各々に喋っていた俺たちを含む学生たちは喋るのをやめ、午後のオリエンテーション講義が始まった。


 しかし食後の講義である。他の学生たちは講義を聞くつもりなどさらさら無く、机に突っ伏して寝ている。


 俺も例外ではなく、開始一○分も経たないうちに睡魔に襲われ、そのまま気絶するように眠ってしまった。


 俺は背中を叩かれた。


「桜輝、ずっと寝てたけど体調大丈夫?」


 さくらは心配そうな表情で俺の顔を覗き込んでいる。


「ああ……。 気持ち悪いのは治ったかな」


「本当……? それなら良いんだけど……」


 さくらはそう言うと、ペットボトルを差し出してきた。


「ほら、寝起きって身体は水分不足の状態なんだよ。 それに桜輝って普段から全然水飲まないから、ちゃんと飲まないとダメだよ!」


「分かった、気を付ける。 ありがと」


 さくらからペットボトルを受け取り、喉を潤した。


 さくらの言っていた通り、俺の身体は水分を欲していたらしく、ペットボトルから口を離すと残りは半分以下になっていた。


「ほら〜、やっぱり喉乾いてた〜」


 さくらはそう言い、自分のペットボトルに口を付けた。


「そういえばさくら、今何時?」


「そうねだいたいね〜」


「サザンじゃなくて!」


「ははは、ごめん! 今は……一五時三三分だよ!」


「まだオリエンテーション終わってないのかよ〜。 話聞くだけだし、マジで退屈なんだよな〜」


「話聞かずに寝てた人がそんな事言わないの!」


 さくらは俺の額にデコピンを入れた。しかし、全く痛くない。


「あれ? 桜輝やり返さないの?」


「あんまり痛くなかったから今回は許す。 それにさくらは変わった癖をお持ちのようだから、デコピンはしない」


「変わった癖って……。 まるで私が変態みたいじゃない!」


「実際に、前デコピンした時痛がりながら喜んでたじゃん。 それに前にも言ったけど、さくらは十分変態だから」


「もー! 桜輝言い過ぎ!」


 さくらは頬を膨らませながら俺の額に何度もデコピンをしてきた。


 そんな事をしているうちに再び講義の時間になった。壇上では相変わらず教員たちがベラベラと喋り続けているが、先の講義で一時間半近く爆睡していた俺は眠気も吹っ飛んでいた。


 さくらは元々の体力の良さもあり、寝る事なく教員たちの話を黙って聞いている。


 講義が再開して三○分くらいが経過しただろうか、俺がスマホでゲームをしていると、さくらが突然聞いてきた。


「ねえ桜輝、ツインレイって言葉知ってる?」


 ツインレイ━━


 さくらの口から発せられたのは、俺がこれまでに一度も聞いた事のない言葉だった。


「ツインレイ……? 何それ、初めて聞いた」


「ツインレイはね、魂の片割れなんだよ」


 さくらの言う事がますます分からなくなっていく。そもそも『魂の片割れ』だけで分かるはずがない。しかも胡散臭い話になりそうな気がする。俺はもう一度、さくらに聞いてみる。


「さくら、『魂の片割れ』だけじゃ分からないよ。 もう少し詳しく教えてよ」


「ん〜、私も詳しくは知らないんだけど、元々一つだった魂が二つに分かれて、この人間界に生まれて統合を目指すんだって」


 だめだ。やはり胡散臭すぎる。そもそも元々一つだった魂が二つに分かれるという時点で意味が分からない。


「そ、そっか。 その話、正直めちゃくちゃ胡散臭いけど、まあそれはいいや。 それで仮に元々一つだった魂が二つに分かれて統合を目指すとして、何の為にそんな事するの?」


「魂のレベルを上げる為だよ! 私たちの住む人間界、何だったらこの地球って物質主義でしょ? でも元々魂っていうのはもっと高次元の場所にあって、その魂のレベルに応じてこの広い宇宙にある様々な星にあらゆる形で送られるんだって!」


 さくらによる詳しい説明で、俺の頭の処理機能は全く追いつかず、オーバーヒート寸前だ。


「さくら、今の俺には理解できないから、これ以上は勘弁してくれ」


「えー、もっと知って欲しいのにー」


 さくらはそう拗ねながら俺の脇腹をペンで突いた。


 まずそのツインレイとやらが胡散臭くて仕方ない上に、俺は心霊からスピリチュアルに関する事まで、一切信じていない。


 その後もさくらとくだらないお喋りをしているうちに、講義が終わった。


 他の学生たちがゾロゾロと講堂を去る中、俺たちは話に熱が入り、その後も三◯分以上お喋りをしていた。


 お喋りも一段落したところで、俺たちは講堂を去り、さくらの家へと向かった。


 さくらの家までの道中、いつもなら俺が自転車を運転し、さくらを荷台に座らせて二人乗りをしているが、今日は俺が自転車を押しながら二人で歩いて帰った。


 そしてさくらの家に到着する。荷物を置き、それぞれ適当な場所に腰を下ろす。


 特に何をするでもない。俺はスマホでゲーム、さくらは写真投稿サイトを見て時間は過ぎていく。


 さくらはスマホを机に置き、タンスから部屋着を取り出すと、風呂場へと向かった。


 しばらくすると部屋着姿のさくらが風呂場から戻ってきて、今度はエプロンを着始めた。


「さくらどうしたの? エプロンなんか着て」


「そろそろ夕飯作ろうかなって思って」


 さくらはエプロンのボタンを閉めると、コンロの前に立ち、調理を始めた。


 母親以外の人が料理をしているのを見た事がない俺には、さくらのエプロン姿が凄く新鮮で、ただボーッとその姿を眺めていた。


 そんな俺にさくらは気付くと、


「桜輝どうしたの?」


と声を掛けた。


 はっと我に返った俺は首を横に振り、再びゲームに集中した。


 それから何分が経過しただろうか、さくらはテーブルにカセットコンロを置くと、小ぶりな土鍋をその上に置いた。


「え? 今日って鍋?」


「そうなの〜。 私料理ってやった事なかったから、鍋しかできないんだ。 ごめんね」


 さくらは両手を合わせる。


「謝んなくてもいいよ! それに今日は少し寒かったから、凄い嬉しい!」


「本当? なら良かった、ありがと! じゃあ早く食べよ! はい、これ器」


 さくらに差し出された器を受け取り、二人で手を合わせた。今日は二人だけの鍋パーティーだ。


 さくらに初めて振る舞われる料理が鍋とは、凄くテンションが上がる。しかし調子に乗って食べ過ぎると、昼みたいに痛い目に遭ってしまう。


 俺は器に汁を掬い、味見をしてみるが、出汁の味しかしない。


「さくら、これ出汁の味しかしないけど、何の鍋?」


「あっ、桜輝に言うの忘れてた! 黒田家の鍋はね、味付けは自分でやるの! ほら、ポン酢もあるしキムチの素、胡麻だれもあるから好きなの使って!」


「へ〜、味付けを自分でするのって何か変な感覚だな……」


「それ皆んなに言われるよ〜。 私からするとこれが普通だから何とも思わないけどね。 それにこっちの方が自分に合った味や濃さにできるから良くない? 因みに私は、この出汁にポン酢とキムチの素を混ぜたやつが好きなの! 桜輝ももし良かったらやってみて!」


 俺はさくらにポン酢とキムチの素を渡され、それらを器に入れる。すると器からはポン酢とキムチの混ざり合ったコクのある湯気が俺の鼻をくすぐる。


「何これ! めっちゃ良い匂いがするんだけど!」


「でしょ! ほら味も確かめてみてよ! 絶対に美味しいから!」


 俺はさくらに言われるがまま、口に器を当て、その味を確かめた。


「美味い……」


「良かった〜!」


 俺の言葉を聞いたさくらは立ち上がり、踊り始める。そんなさくらを、俺は笑いながら眺めていた。ちゃんと仲直りできて良かった、心からそう思えた。


 その後も俺たちは二人で鍋に舌鼓を打ちながら談笑した。ここでもほぼさくらが喋っていたが、鍋を囲んでいる分、より会話が弾んだ。


 俺たちはある程度の満腹感を覚えたところで、最後の〆の話になる。


「じゃあそろそろシメにしようか! 桜輝っていつも鍋やる時、シメってどうしてる?」


シメか〜、だいたい雑炊かうどんかな」


「普通だな〜」


「何で? さくらの家だと何やるの?」


「その日にもよるよ! 雑炊もやるし、うどんもやる。 でも私はこれが一番好きかな!」


 そう言ってさくらが見せてきたのは、焼きそばの袋麺だった。


「これを茹でればラーメンの出来上がり!」


「うどんと大して変わらんじゃん!」


「も〜、何でそういう事言うの? 全然違うから!」


 さくらはそう言うと袋を開け、鍋に投下した。小さくグツグツと気泡が出ている鍋の中で、黄色い焼きそば麺は茹でられていく。余分な油分が取れていくその様は、見ていて気分が良い。


「もう大丈夫だよ!」


 ざっと三◯秒ほどの時間が過ぎただろうか、さくらの一言で俺は鍋に浮かぶ黄色い麺に箸を伸ばす。そして器のつけ汁に麺を潜らせ口に運んだ。


「……美味い」


 茹でる事によって余計な油分が落ちた焼きそば麺はモチモチとしており、焼きそばとはまた違った食感である。


「でしょ? 雑炊やうどんもそれはそれで美味しいけど、焼きそば麺だと喉越しが良くてさらに美味しいんだよね」


 さくらは満面の笑みで言い、俺たちは熱々の麺を啜った。

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