第二五話

 翌朝、俺はけたたましいスマホのアラーム音で目覚めた。もういい加減このアラーム音を変えようといつも思うが、後回しにしているうちにこうして再び最悪な朝を迎える。


 それにしても今日はいつも以上に目覚めが最悪だ。


 俺は昨日さくらと喧嘩をした。それどころか夢の中でもさくらと喧嘩をしていた。実に不愉快である。


 今日はさくらと会いたくない。しかし今日から学校がある。大学に行ったらきっとさくらに会ってしまうだろう。


 そんな事を考えながら、俺はスマホを手に取り、アラームを止めた。


 さくらからの通知が何件かあった。


 昨夜、さくらの家を出て駅まで歩いている最中、さくらからのメッセージが来たが、俺は内容を見ずに無視した。


 それから今に至るまで、俺はスマホを開いていない。


 俺はさくらからの通知を確認する。メッセージが三件、着信が一件届いていた。

 

 一九時三七分。恐らく俺がさくらの家を出て、駅まで歩いている時間だ。


『ご飯チン終わったから早く帰ってきな。 冷めちゃうよ』


 二一時○七分。家で風呂に入っている時間だ。


『いつまで意地張ってるつもり? もう怒ってないから返信くらいしてよ!』


 零時三八分。俺はもう既に寝ている時間だ。


『ごめん私が悪かった。 急に怒ったりしてごめんね。 明日からはちゃんと自炊するね。 だからお願い、返信してほしい』


 零時五三分。着信あり。


 俺はどう返信しようか悩んだ。さくらはもう怒っていない。それどころか俺と仲直りをしたがっている。


 だがここで俺が返信をしたら、何だか負けのような気がする。


 結局さくらに返信はせず、スマホをベッドに放り投げ、学校に行く準備をした。


 そして一通りの準備を終え、俺は家を出て江和こうわ駅へと向かった。江和こうわ駅に到着すると俺は電車に乗り、そのまま揺られ、乗り換えの駅に到着する。


 一旦電車を降り、そのまま二、三分待っていると次の電車が到着し、俺はそれに乗り込んだ。


 電車は丘田おかだ駅に到着し、俺は電車を降りて改札へと向かう。そして改札を通過し、駅の出口へと歩く。


 改札から出口まではそう遠くない。歩数にしてだいたい五、六十歩だろうか。しかし三十歩ほど歩いたところで俺の足が止まった。


 今いる場所から出口は良く見える。多くの学生が行き交う中、見覚えのある人が立っている。


「さくら……」


 さくらは出口に一人でポツリと立ち、キョロキョロと辺りを見回している。


 まずい、このまま出口に歩いていけば、確実にさくらに見つかってしまう。


 しかし、あそこを通らない事には大学には行けない。


 俺は頭をフル回転させて考えた。そしてある答えを導き出した。


 さくらは周囲を見回している。もちろん遠くにも意識がいっているはずである。それなら自分の近くの事はおざなりになっているに違いない。いわゆる『灯台下暗し』というやつである。


 俺は思い切って出口へと向かった。さくらとの距離が近付いていく。駅の外に出るまではあと数歩だ。


 そして駅の外に出る事ができた。これで今日はさくらと会う事はない。俺は安堵した。


 しかし、俺は後ろから手首を掴まれた。


「ちょっと桜輝、何で無視して歩いて行っちゃうの?」


 その声は確かにさくらだ。おかしい、何故だ。何故バレたのだ?


 俺は振り返ってさくらの顔を見た。さくらは怒りの表情を見せながらも、どこか悲しそうな表情をしている。


 目は腫れており、睡眠不足なのか赤く充血し、目の下には黒くクマができている。


「何で俺に気付いたの?」


「気付くに決まってるでしょ! 駅のど真ん中で立ち止まった挙句、目の前を通ったら!」


 さくらは目を潤わせながら大きな声で言った。 


 俺はちらっと周囲を見る。


 多くの人たちの視線が俺たちに集中している。中には口に手を当て、クスクスと笑っている人たちもいる。


 それにいつまでもここで口論していても埒が開かない。


「さくら、とりあえずここに立ちっぱなしだと人様の迷惑になるし、学校にも遅れるからとりあえず行こう」


「……分かった」


 さくらは不服そうにしていたが理解してくれ、俺たちは大学へと歩いた。


 駅から大学までの道のりは一◯◯メートルほどの緩やかな坂道が続く。他の学生が楽しそうに歩いている中、俺たちの間には重い沈黙が流れていた。


 気まずくて仕方ない。いっその事、この場所から逃げ出してしまいたい。ああ……俺は何故今日、学校なんて来てしまったのだろう。


「ねえ、何で何も話さないの?」


 俺たちに流れていた沈黙を壊したのはさくらだった。


「えっ……?」


「『えっ』じゃなくてさ、何でさっきからずっと黙ってるの? 昨日からメッセージも全然返してくれないし!  私もう怒ってないよ。 それなのに何で喋ってくれないの?」


 さくらの声は震えていた。


 その赤く充血し、腫れた目は昨夜泣いた事を表しているのだろう。目の下の黒いクマは眠れなかった事を表しているのだろう。


「さくら……ごめん。 昨日は言い過ぎた。 一人暮らしの苦労も知らずに、好き勝手な事ばかり言ってた」


 さくらの目から大粒の涙が溢れ落ちた。そんなさくらを見ていると、こっちが苦しくなってくる。


「ううん……私が悪いの。 桜輝が私の事を思って注意してくれたのに、寝起きでイライラしてつい酷い事言っちゃった」


 さくらは声を上げ、わんわんと泣き出してしまった。鼻水で鼻が詰まり、上手く呼吸が出来ないのか過呼吸気味になる。 


 俺は近くにあったベンチにさくらを座らせ、ゆっくりと呼吸をするよう伝えた。


 五分ほど経つとさくらは何とか落ち着きを取り戻した。


 しかしさくらの顔は、涙でメイクが崩れ、ぐしゃぐしゃになっている。


「さくら、今顔がえらい事になってるから、トイレで目元だけでも直してこや。 それ以外はマスクしてれば何とかなるから」


 俺はカバンからマスクを取り出し、さくらに渡した。


「うん……。 ありがとう」


 さくらは俺からマスクを受け取ると、小走りで近くのトイレに駆け込んだ。


 数分後、目元を直しマスクをしたさくらが戻ってきた。


「桜輝、本当にごめんね。 ありがとう」


「それはもういいって。 そんな事より、早くしないと間に合わないよ」


 俺はさくらの手首を掴み、大学へと急いだ。


 全力で走った事もあり、オリエンテーションの講義には何とか間に合った。


 俺は久しぶりに全力で走った事もあり息が切れていたが、さくらはさすが元陸上部だ。呼吸は少々乱れているが、俺のようにゼエゼエとはなっていない。


「桜輝、何とか間に合ったね!」


「はぁ……はぁ……ああ」


 その後、俺たちは朝のオリエンテーション講義を無言で受けていた。


 周囲の学生たちは各々喋りながら講義を受けていたが、俺たちは必要最低限の会話しかせずに、講義に集中した。


 朝のオリエンテーション講義が終わり、俺たちは講堂を出た。


 仲直りはしているはずなのに何か気まずく、お互いに黙ったままである。 


 さっき講堂を出る前、時計は一二時三○分過ぎだった。昼からの講義は一四時からである。


「ねえ桜輝、お昼どうする?」


「ああ……今から食堂向かっても、どうせ席空いてないしな……」


「じゃあさ、私の家来ない?」


「……」


 俺はすぐに答える事ができなかった。昨日の今日だ、仲直りしているとはいえ、流石に行き辛い。


「私、桜輝に言われたように、ちゃんとしたもの作るから行こうよ。 それとも……

やっぱり嫌?」


 さくらの悲しげな視線が、俺の胸を締め付ける。


「いや、全然嫌じゃない。 そういえば冷凍のたこ焼きあったよね? あれってまだある?」


「あるけど……あれ冷凍だよ?」


 俺たちはこのままではいけない。仲直りをしているとはいえ、さくらは立場上、今は俺にものを強く言えない。


 だから俺がぎこちないままだと、さくらも今以上に気を遣ってしまう。このままだといずれ取り返しのつかない事になってしまう。


「なんかさ、俺急にたこ焼きが食べたくなってきてさ。 だけど昼休みの時間もそう長くないし、今日の昼くらいは冷凍でいいや!」


「……良かった。 桜輝ようやく笑ってくれた……」


 さくらはそう言いながら俺に微笑んだ。


 その顔の大半はマスクで隠れていたが、目元はいつも通りのさくらだった。


「よし! そうと決まれば時間も無いし、さっさとさくらの家に行こうぜ! 俺が自転車漕ぐから!」


「最初から漕いでもらうつもりだったし!」


「さくら少しは遠慮しろ」


「やだねー!」


 俺たちは大学から駅まで向かい、さくらの自転車で家へと向かった。


「ねえ桜輝、お尻痛い! この荷台取ってシート付けてよ!」


「バカか、そんな事したら多分何かの法律に引っ掛かるわ!」


「ケチー!」


 さくらは俺の背中をポコポコと叩く。


「じゃあ今度家から座布団持ってきて付けてやるよ。 誕生日プレゼントで」


「はぁ〜? そんな物、誕プレにしないでよ!」


 俺たちはいつも通りに戻れた。それにしてもお腹が空いた。早くたこ焼きが食べたい。


 俺は自転車の速度を上げた。

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