第二四話
お祭りの数日後は大学の入学式だった。
俺は慣れないネクタイを締め、スーツを身に纏う。姿見の鏡を見ると、少し大人びた、しかしどこかぎこちない俺が映っていた。
なるほど。これが『スーツに着られている』というやつかと、妙に納得した。
俺は家を出て駅まで歩き、そのまま電車に乗った。
俺は三年前の高校の入学式の事を思い出す。あの時は新しい学校で、ちゃんと友達をつくる事ができるのかという不安で一杯だった。
しかし何故だろう。今日は何の不安も感じない。それどころか、三年前は何故あれほどまでに不安を感じていたのか、不思議でならない。
俺が今日から通う事になる尾張経済大学の入学式は、
俺の住む
『
俺は例の如く、そのまま人の流れに身を委ね、そのまま進んだ。
改札を通過すると俺はスマホを取り出し、メッセージアプリでさくらに到着した旨を伝えた。
すると突然、後ろから肩を叩かれた。驚いた俺は勢い良く振り返った。
「桜輝おはよう!」
そう元気よく言ったのはさくらだった。
さくらはスカートタイプのスーツを着ており、髪の毛も一つに纏め、若く可愛らしくも、どこか上品である。
「おはよう。 さくらスーツだと全然印象違うね」
「えへへ、でしょ? 大人っぽく見えるでしょ!」
「いや、大人っぽくは見えないわ」
俺が冗談混じりに返すと、さくらは『もー!』と言いながら頬を膨らませ、俺の背中を叩いた。
「でも桜輝は凄く大人っぽくてかっこいいよ」
「そっか、ありがと」
俺は内心凄く嬉しかったが、恥ずかしさのあまり素っ気なく返した。
「桜輝、もしかして照れてるの?」
さくらは俺の心の中を見透かしたかのように、いつもの意地の悪い笑みを浮かべた。
俺はさくらの脇腹を軽くつねった。
「痛っ!」
さくらは大きな声を上げて痛がった。
「もう! 桜輝のイジワル!」
「そんな事よりも、早く会場行こうぜ」
「あー! 話逸らした!」
俺たちは会場となる『
会場に着き、スタッフに誘導され、俺たちは席に着いた。入学式が始まるまでの間、俺たちは他の人たちと同じように雑談に興じた。
その会話の殆どがさくらの一人暮らしの失敗談だが、これがまた面白い。もしかし
たらさくらには漫談の才能があるのかもしれない。
そうこうしていると、入学式開始のアナウンスが流れた。
アナウンスと同時に会場が静まると、舞台の袖から偉い人が出てきて、俺たち新入生に向けて話し始めた。
その後も次から次へと偉い人や、あまり有名ではない著名人が出てきては、俺たち新入生に話し続ける。
しかし俺を含め、多くの人たちはその話を全く聞いていない。
それもそのはずである。
新入生の多くは、まだ高校を卒業して一ヶ月程度しか経っていない。そんな俺たちにどれだけ尊い説法をしたところで、心に響くはずがない。
一方さくらは、頭を俺の肩に預け気持ち良さそうに寝息を立てていた。
それから約一時間半後、入学式が終わると、会場の出入口は混雑を極めた。俺は昨年のさくらと出会ったあの日と同じように椅子に座ったまま、混雑が収まるのを待った。
さくらは人のざわめきで目を覚ましたのか、両手を上げ、口を大きく開き欠伸をした。
「あれ、もう式は終わったの?」
「うん。 さくらが爆睡してる間に終わったよ。 それにしても随分と気持ち良さそうに寝てたね」
「だってこういう式って、すぐに眠くなるんだもん。 中学、高校も、よく先生に叩き起こされてた」
そう言って笑うさくらはもう一眠りしようと目を閉じたが、俺は額に軽くデコピンをしてそれを阻止した。
さくらは額に手を当て痛がっていたが、それと同時に喜んでいた。俺はさくらが痛がる事に快感を覚える変態だった事を思い出し後悔した。
出入口の混雑も収まり、俺たちは出入口へと向かい、そのまま人の流れに乗り会場を後にした。
その後、俺たちは駅へと歩いた。さくらは十分な睡眠が取れたのか、いつもと同じように活発に喋る。
駅に着くと改札を通り、ホームへと向かう。
「そういえばさくら、今日は実家に帰らないの?」
「うん、今日はこのまま
さくらは笑顔で答えた。
ホームに着くと、ちょうど電車が来ていたので、俺たちはそれに乗り込んだ。
車内ではさくらがいつもと違い、あまり喋る事なく静かに窓から高速で流れゆく景色を眺めていた。
「さくら、今日は何だか大人しいけど大丈夫?」
俺の問いかけに、さくらはこちらに顔を向けた。
「大丈夫だけど……どうして?」
「だって前までは電車の中でも喋りまくってたのに、今日はやけに静かだからどうしたのかなって」
「桜輝、電車の中でペチャクチャ喋るのはマナー違反だよ。 私がそんな事するわけないじゃん!」
俺はさくらの脇腹をつねった。さくらは小さな子供のようにキャッキャと声を上げながら笑っていた。
春の暖かく、しかし少しだけ肌寒い気候がとても気持ち良い。
俺たちはそのままさくらの家へと向かった。
家に着いてからの俺たちは特別何かをするわけでもなく、喋ったりゲームをしたり漫画を読むなどして、ダラダラと過ごした。
そうこうしている間に俺たちは寝てしまったのか、俺が目を覚ますと外はすっかり暗くなっていた。
俺がスマホで時間を確認すると、一九時を過ぎていた。さくらに目をやると、さくらは気持ち良さそうに眠っている。
「さくら、さくら起きて」
「ん〜、何ぃ〜?」
さくらは寝ボケているのか、今まで聞いた事のない声で答えた。そんなさくらに思わず笑ってしまう。
「もう一九時過ぎてるよ。 何か食べに行こうぜ」
「ん〜」
さくらは目を閉じている。寝起きで頭が回らないのか、『ん〜』と言うばかりで何も答えない。
俺はさくらをベッドから引きずり出したが、さくらはダルそうにこちらを見る。
「ね〜桜輝〜、今から外に出るのは面倒臭いから家で食べようよ〜」
「でも食べ物とかあるの?」
俺がそう問うと、さくらは黙って冷凍庫を開けた。
「冷凍食品が沢山あるから大丈夫だよ〜。 桜輝は何食べる〜?」
俺はさくらの元へ行き、冷凍庫の中を覗き込んだ。冷凍庫の中は、これでもかというほど冷凍食品がぎっしりと詰まっている。
「さくら、もしかしていつもこんなものばっかり食べてるの?」
「そうだよ〜。 料理するの面倒臭いし〜」
「こんなものばっかり食べてたらいつか身体壊すぞ。 ちゃんとしたもの食べないと」
「それくらい分かってるよ〜」
さくらはイライラしている。しかしそれは寝起きによるものなのか、それとも俺に指摘された事に対するものなのかは分からない。
「分かってるならちゃんとやれよ」
「だから分かってるって言ってるでしょ! それに私は一人暮らしなんだよ! 部屋の掃除も洗濯も全部私が一人でやってるんだよ! 全部初めてでまだ全然慣れないから、食事くらいは手を抜こうと思って冷凍食品にしてるの! だから実家暮らしの桜輝にそんなこと言われる筋合いなんて無いし!」
さくらは大きく声を上げ、力強く冷凍庫を閉めた。
「おいさくら、お前急に何怒ってんだよ!」
「怒るに決まってるでしょ! 急に起こされたと思ったら『お腹空いたから出掛けよう』って、それに冷凍庫の中見たら説教始めるし、一体何なの?」
「はあ? ガキかお前は。 それに一人暮らしする前に色々と大変になるのは初めから分かってただろ? あと手を抜くところ間違えてんだよ。 もういいや、俺今日は帰るわ」
俺はそのまま自分の荷物を持ってさくらの部屋を出た。
全く、さくらは何のつもりだ。さくらの事を思って注意したのにいきなり怒りだして、本当に意味が分からない。
駅まで歩いていると、俺のズボンの右ポケットが震えた。俺がポケットからスマホを取り出すと、それはさくらからのメッセージだった。
どうせ俺への文句だろう。
俺はメッセージを開く事なく、スマホをポケットにしまった。
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