第五章

第二三話

 俺は守光と二人で桜を眺めていた。


 守光が言っていたように、月明かりに照らされた夜の桜というものは、妖麗で不気味だが美しい。


「守光さん、ひとつ聞いても良いですか?」


「何じゃ」


「守光さんって、いくつの時から桜を見て綺麗と感じるようになりましたか?」


「難しい質問じゃな」


 守光は顎の髭を弄りながら考え込む。


「大昔の事だで、あまり思い出せなんだが、確か元服して二、三年後だった気がするな」


「元服? 元服って何ですか?」


「一人前の大人になる事を祝う儀式じゃ」


「あー、成人式みたいなやつですか?」


「現代の事はよく分からぬが、多分そういうやつじゃ」


 何となく、守光の答え方がテキトーに感じる。少々むかついたが、そんなくだらない事に突っかかっても仕方ない。


「という事は、俺と同じくらいですね」


「何故そんな事が気になるのじゃ?」


 守光は顎髭を弄るのをやめ、顔をこちらに向ける。


「正直俺、桜の美しさ、素晴らしさに気付く事ができたのは、さっき話したさくらと

一緒にお祭りに行った時なんです。 しかも自分で気付いたというよりも、さくらに教えてもらったようなもので……」


 俺は自分でもよく分からないが口篭ってしまった。


「まあ、じゃが気付けた事に意味がある。 教えてもらったものとはいえ、その教えてくれた人が『さくら』という女子じゃというのも何かしらの意味があると思うぞ」


 守光は俺の肩をポンと叩く。


「お主を見る限り、お主は確かに生意気で口が悪くて素直ではない。 しかしな、お主は真っ直ぐな男じゃ。 そうそうお主のような男もおるまい。 『さくら』とやらも、お主のそういうところに惹かれたのやもしれんな」


「……」


「どうしたんじゃ、また黙りおって」


「いや……今までさくらにしか言われなかった事を、守光さんが言い出したので、その……驚いたというか、何というか……」


 俺の言葉を聞くなり、守光はニヤリと薄気味の悪い笑みを浮かべた。


「その『さくら』とやらとわしは話が合いそうじゃの。 一度で良いで話をしてみたいものじゃ」


「守光さん……気持ち悪い事言いますね。 それにさくらはお化けとか幽霊の類が大嫌いですよ」


「ならわしじゃ無理じゃな」


 俺たちは二人で腹を抱えて笑った。


 俺たちの笑いもおさまると、再び二人で桜を見た。


 冴えない二○代の男と、落武者が公園のベンチに腰掛けながら桜を眺めているその光景は、第三者からするとさぞかしシュールに見えるであろう。


「ところでお主、和歌は好きか?」


「和歌? 和歌ってあの『五・七・五・七・七』のやつですか?」


「そうじゃ、そうじゃ! お主よく知っておるの!」


「今の日本で、多分和歌を知らない人はいないと思いますよ。 百人一首なんてのもあるくらいですし」


「百人一首? 何じゃそれ?」


「簡単に言うとカルタですよ。 守光さんの時代には無かったんですか?」


「さあ……。 少なくともわしはやった事がないな。 わしは田舎侍じゃったし……」


 守光は小さな声で言う。


「でも、百人一首なんてやるもんじゃないですよ! そもそも一◯◯人分の和歌なんて覚えられませんて」


「ははは! それはお主のおつむが弱いだけじゃろ!」


 守光は自分の頭を指差しながら言った。


「そ、それは否めないですけど……」


 守光の言葉には少々腹が立ったが、事実故、俺は言い返す事ができない。


「では聞こう。 お主、好きな和歌は何じゃ?」


「好きな和歌って言われても、俺和歌の事なんて全然知らないですよ」


「知らないって言っても何かしらあるじゃろ! ほれ、お主のおつむを全力で回転させて引っ張り出さんか!」


 俺は守光に強く言われ、必死に考える。そして俺は一つの和歌を頭から引っ張り出した。


「思へども、なほぞあやしき、逢ふことの、なかりし昔、いかでへつらむ……」


「……お主、中々通な歌を知っておるの。 意味は知っておるか?」


「ええ。 あなたを恋しく想っていると、あなたに会う前の私は、どんな気持ちで過ごしていたか、不思議に思います……」


「その通りじゃ。 お主にしては立派じゃ。 しかし、お主その歌をどこで知ったのじゃ?」


 守光は不思議そうな表情を浮かべ、俺に問う。


「大学入学してすぐに、さくらと二人で静岡まで旅行に行ったんです。 そして宿でさくらが『今の自分の気持ちをお互い和歌で言おう』と言い出して、その時に調べて知りました」


「なるほど。 『さくら』とやらも、中々風流な事をする女子おなごじゃな。 そこでお主はその歌を読んだのか?」


「いえ、別の歌を読みました」


「言うてみ」


「君がため、惜しからざりし、命さえ、長くもがなと、思ひけるかな。 あなたのためなら、命は惜しくないと思っていた。 しかし今となってはあなたと一日でも長く、ずっと一緒にいたいと思うようになりました……」


「……」


 俺の読んだ歌を聞いた守光は、じっと俺の目を見つめている。


「お主……中々男前じゃな……」


「いえ、そんな事はないです。 当時の自分の気持ちに一番合う歌を見つけて読んだだけです」


 俺がそう答えると、守光は優しく微笑んだ。


「因みに守光さんはどんな歌が一番好きなんですか?」


「わしか……?」


 守光は静かに目を閉じると、ゆっくりと深呼吸をし、再び目を開けると、闇夜に浮かぶ桜を見て歌った。


「春霞、たなびく山の、桜花、みれどもあかぬ、君にもあるかな」


「……」


 俺は守光から目が離せない。守光はゆっくりとこちらに顔を向けた。


「春霞がたなびいている山に咲く桜は、どれだけ見ても飽きる事がない。 それと同様に、あなたの事はどれだけ見ても、どれだけ会っても飽きる事はない」


 守光はニコリと微笑んだ。


「どうじゃ、素晴らしい歌じゃろ」


「……」


 守光の歌った歌に、俺は衝撃のあまり何も言い出す事ができなかった。


「……す、凄く良いです……」


 処理が追いついていない俺の頭から引っ張り出されたのは、そんな幼稚な言葉だった。


「何じゃその童みたいな感想は」


 守光は呆れ顔で言う。


「そんな言い方しなくても良いじゃないですか。 本当に驚きましたし、凄く良いって思ったんですから」


「まあそんな怒るな、別に馬鹿にしたわけではない」


 絶対に馬鹿にしているとしか思えなかったが、守光が歌った歌に驚き過ぎて、次の言葉が見つからなかった。


「おい桜輝よ!」


「はい!」


 俺は守光の呼びかけに応えた。


「何をさっきからボーっとしておる。 一回でちゃんと返事せんか」


「ああ……すいません。 ちょっと考え事をしていて……」


「お主は考え事が好きじゃの」


 守光は『やれやれ』と言いながら立ち上がった。


「ところでお主、さっきから一つ気になって仕方ない事があるのじゃが……」


「はい……何でしょう?」


「お主、さっきわしの歌を聞いて『驚いた』と言っておったな?」


「はい……言いましたけど……」


 俺の言葉を聞いた守光は素早くしゃがみ、その顔を俺に近付けた。


「普通あのタイミングで『凄い』という言葉が出てくる事があっても、『驚いた』なんて言葉は出てこぬ。 お主……さっきわしが歌った歌と『さくら』とやらに何か関係があるのではないか? それに静岡の旅行の話も気になる。 はよ聞かせてくれ」


 俺は守光の言葉に無言で頷き、守光に語った。

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