第一九話

 秋葉さんを出た俺たちは本殿前で足を止めた。


 左右にある屋台の前にはロープが張られ、そこから外に人が出ないよう警備の人が

数人見張っている。


 そして『ロープの外には絶対に出ないでください』という警告のアナウンスがくどいほど流れている。


 俺は神社の東側、普段は県道となっている方向を見た。境内に植えられている背の高い松や榊の木が邪魔をして全然見えないが、木々の隙間からは山車の姿を僅かに確認できる。


 そして南の方角からも山車が近付いているのか、日中に聴いたものとは少し違う音色の囃子が聞こえてきた。


「ねえ桜輝、木が邪魔して全く見えないよ!」


「見えないのもまた一興だって。 見えてくるまでは囃子の音を楽しもうよ」


 俺はそう言って目を閉じ、奏でられる囃子に集中した。


 左の耳からはしっとりとした癖のない笛の音色が、右の耳からはどこか懐かしさを感じながらも、一度聴いたら中々頭から離れない独特の笛の音色を聴き取る事ができる。


 どちらの囃子も基本的な旋律は似ているが、大太鼓のタイミングなどが微妙に違う。


「桜輝、ねえ桜輝ってば!」


 さくらは握っている手で、俺の腕を揺らした。


 俺は目を開け、さくらを見る。


「ん? どうした?」


「もー、やっぱり聞いてない!」


 さくらは頬を膨らませる。


「もー、ちゃんと聞いてよ!」


「ごめん、ごめん。 何だった?」


「桜輝って、元カノさんとはこのお祭り来た事ある?」


「いや、今まで一度も女の子とはお祭りに行った事はないよ」


 膨らんでいたさくらの頬が一瞬で萎み、何だか嬉しそうな表情をしている。


「そっかー。 じゃあ私が初めてなんだ。 女の子と一緒にお祭りに来るの」


「まあそういう事になるな」


「桜輝、嬉しい?」


 さくらの顔がいつもの意地悪い顔へと変わっていく。


「ノーコメントで」


「もー! 本当は嬉しいくせに!」


 そんなやり取りをしていると、二台の山車の囃子が切られた。


「さくら」


「ん?」


「よーく見とけよ」


 俺は握っているさくらの手を、さらに強く握った。


「……うん」


 さくらはそう頷くと、強く握り返してきた。


 そして拍子木が何回か鳴らされた後、東側の山車から再び囃子が奏でられた。それは日中に聴いたどの囃子よりも拍がゆっくりとしている。


 しばらくすると山車はゆっくりと前進を始めた。木々に隠れていた山車がその姿を表す。四面には青と白の縦のストライプが入った幕が垂らされ、上山うわやまの手すりには掛行灯が付けられている。


 また、上山うわやまには巻藁に提灯が掛けられた竿が複数本も差し込まれ、それらが半球の形を成している。


 そして大人たちの掛け声で山車は思いきり右に梶を切り、境内にもの凄い勢いで侵入した。


 山車の速度に比例するように、奏でられる小川囃子の拍も速くなる。


 境内に侵入した山車は徐々に速度を落とし、本殿の一◯メートルほど前に停まる。それから間もなく南側の山車も同じように境内へと侵入し、本殿の前に停まった。


 こうして二台の夜山よやまが本殿の前に横並びになると、多くの群衆により大きな拍手が送られた。


「……凄い」


 さくらは夜山よやまの提灯を見ながらぼそっと呟いた。


 俺もその提灯を見る。上山うわやまの提灯はおそらく二○○以上はあるだろうか。その一つひとつに火が灯されており、とても幻想的である。


「どうさくら……?」


「……今まで見た山車の中でもダントツで、一番綺麗だよ」


 さくらはその美しさのあまり感動しているのか、目が潤んでいる。また、その瞳には夜山よやまの提灯の光が映り、ゆらゆらと揺れていた。


「さくら写真撮らなくて良いの?」


「そうだった!」


 さくらはカバンをゴソゴソとあさり、カメラを取り出すと、これでもかというほど写真を撮りだした。


 そして気が済んだのか、さくらは夜山よやまの撮影をやめた。


「この山車、ずっと見てられるわ〜」


 さくらは三○分経ってもなお見飽きる事はなく、ずっと夜山よやまを眺めている。


「ねえ桜輝、提灯も綺麗だけどさ、幕も凄く綺麗じゃない?」


「幕か〜、幕は考えた事なかったな」


「えっ、嘘! あの青と白のストライプがいかにも『夜の山車』っていう雰囲気をつ

くりだしてるよ!」


 やはりさくらの発想、目の行き所には感心する。俺が十何回と見てきたこの夜山よやまをここまで違う目線で見れるなんて、さくらの感性はどこまで豊かなのだろうか。


「それにあの青と白のストライプ、何だかアルゼンチン代表みたいだよね!」


 俺は思わず吹き出してしまった。


「確かに! あれはアルゼンチン代表だわ! よう気付いたな、そんな事!」


「えへへ」


 俺は今、最高に幸せである。好意を寄せている女の子が、隣で笑って喜んでくれている。


「桜輝、ずっと立ちっぱなしだったから少し疲れちゃった。 ジュース買って、さっきの秋葉さんで休憩しようよ!」


「ああ、そうだな」


 俺たちは屋台でジュースを買い、再び秋葉さんへと向かった。


 秋葉さんは先程と同じように誰も居らず、同じ境内に鎮座しているのにも関わらず静まり返っている。


「さっきも思ってたんだけど、ここって凄く静かだよね」


 さくらはそう言ってベンチに座った。


「確かにな。 これだけ静かだとお化けでも出てくるんじゃないかな」


「もうっ! 怖い事言わないでよ! それにここは神社なんだからお化けなんて出ないもん!」


「じゃあ出るとしたら神様だな。 神様はお化けと違ってタチが悪いらしいよ」


「もう、本当にやめて!」


 さくらは俺の背中を思いっきり引っ叩いた。静かな境内にその音が響き渡る。


「いった……。 さくら、流石に力入れ過ぎ」


「桜輝がイジワルばかりするから悪い神様たちが近付いてたんだよ。 さっきの一発でみんないなくなったから、もうイジワルはしないでね」


「……」


 謎の理論だったが、俺はこれ以上何かを言うのをやめた。


 その後の俺たちはジュースを飲みながら何かを話すわけでもなく、遠くに聞こえる人の喧騒を聞いていた。


 それからどれくらいの時間が経過したのだろうか、ずっと聞こえていた人の喧騒も少し小さくなったように感じる。


 スマホで時間を確認すると、二一時を過ぎていた。


「さくら、もう二一時過ぎてるけどどうする?」


「どっちでもいいよー」


 さくらは眠そうに欠伸をしている。


「じゃあ電車がなくなるといけないから、そろそろ帰ろうか」


「分かったー」


 俺たちは立ち上がり、秋葉さんを後にした。


 そして本殿の前を通ったところで、さくらは俺の袖を引っ張った。


「どうした?」


「せっかくのお祭りなんだし、お参りしていこうよ!」


 さくらは俺の返事を待たずに財布から小銭を取り出し、賽銭箱に入れた。


「はい」


 さくらはそう言って俺に一◯円玉を差し出した。


「ありがと」


 俺はさくらから一◯円玉を受け取ると、それを賽銭箱に入れ、作法通りに手を合わせた。


 数秒後、俺は目を開け一礼を済ませたが、さくらはまだ目を瞑り、手を合わせていた。


 それからすぐにさくらは目を開け、一礼を済ませるとこちらに顔を向けた。


「よし! 帰ろうか!」


 さくらのその表情は今まで見た事の無いくらいに穏やかであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る