第四章
第一八話
家に帰る頃には陽が傾き始めていた。数ヶ月前の今頃だと、陽は既に入っており、月が今晩はをしていたと考えると、もう春なんだと感じる。
そして日中はただぶら下がっているだけだった家々の提灯には明かりが灯され、中の蝋燭の火がゆらゆらと揺られているのを見ると、今日はお祭りなんだと改めてわくわくとした気分になる。
家に到着した。玄関の戸を開け、そこから見える時計を見ると、一七時を少し回っていた。
さくらは靴を脱ぎ、客間に上がるといきなり大の字で横になった。
「あ〜、久しぶりに長い距離歩いたから、なんか疲れちゃった!」
「おいおい、人の家だってのに随分と大胆だな」
「だって桜輝の家、昔ながらの家って感じだから落ち着くんだもん」
さくらは横になりながら言った。
俺は石油ストーブをつけ、物置きと化している部屋へと向かう。
そんな俺に気付いたのか、さっきまで横になってリラックスしていたさくらが俺の後ろに立っていた。
「桜輝何か探し物?」
「うん。 そういえば提灯出してなかったからさ」
俺は部屋を物色し、提灯を探す。しかしなかなか見つからない。
「おかしいな、盆の提灯があるから御神灯もあるはずなんだけど……」
「私も探すよ」
さくらはそう言うと、一緒に探し始めた。
それから数分後、探していた提灯が見つかった。俺は玄関を出て、門に提灯をぶら下げ、明かりを灯した。
提灯は風に吹かれ、中の蝋燭の火がゆらゆらと揺れている。さくらはそれを写真に収めた。
「提灯って、なんか綺麗だね」
「だな。 あの蝋燭の火がゆらゆらとしてるだけで、ずっと見ていられる」
俺たちは目の前にある提灯を、ただボーッと眺めていた。しかし今はまだ四月の頭。吹く風には少し冷たさがある。俺たちは再び家に入った。
ストーブからの熱で、客間が良い感じに暖まっている。乗せてあった小さめのヤカンは沸騰こそしていないものの、湯気が立っている。俺は台所に新しい急須と湯呑みを取りに行った。
そして客間に戻ると、ヤカンのお湯を急須に注いだ。
「今の湯の温度だったらそんなに熱くないから、火傷はしないと思うよ」
俺はお湯を注いだ湯呑みをさくらに渡した。
「ありがとう」
さくらはそう言って湯呑みに口をつける。熱がっている様子がない。今回は大丈夫なようだ。
俺たちはその後、お互いに喋るわけでもなくお茶を飲みながら時が過ぎるのを楽しんだ。
俺は時計を見た。一八時である。
「さくら」
「ん?」
「そろそろ行こうか」
「うん!」
俺たちは家を出て目的地までの道を歩いた。
陽が傾き始めていた一時間前と比べて、空はまだ青みがかっているものの、かなり暗くなっている。
しかし、家々にぶら下がる提灯がその暗さのおかげで、より綺麗に見える。
突然強い風が吹いた。その風は氷のような冷たさで、肌を刺すように鋭く吹き付けた。
「さくら、寒くない?」
「うん……大丈夫!」
何だかさくらの口数が少ない気がする。さくらの表情からは分からないが、きっと日中に歩き過ぎて疲れたのだろう。
「お腹空いた」
「え?」
さくらの突然の呟きに、俺は声が裏返ってしまった。
「もう、桜輝変な声出さないでよ」
「ああ……ごめん」
「桜輝、私朝から何も食べてないからお腹空いた!」
「朝から……? ああ、そういえば昼食べてなかったな」
「えー、今更?」
さくらは『呆れた』と言わんばかりの口調で言う。
「私から言うのも恥ずかしかったから言い出せなかったけど、まさかお昼ご飯が緑茶だけとは思わなかったよ」
「ごめん、ごめん。 まじで昼ご飯の事忘れとった!」
さくらは俺の目をじっと見つめる。その目は俺に対する『呆れ』と『怒り』のふたつの感情が現れていた。
しかし数秒後、さくらはニコッと表情を変えた。
「なんてね! 本当は私もお昼ご飯の事、すっかり忘れてた!」
俺はコロコロと変わるさくらの表情についていけず数秒間、思考が停止した。
「まあ、昼ご飯を忘れてたのは俺が悪いし、神社に行けば屋台があるだろうから今日は俺が奢るよ」
「本当? やったー!」
さくらはそう言ってはしゃぎながら俺の手を掴んだ。
「じゃあ桜輝、早く神社行こ!」
俺たちは神社へと向かった。
浜天神宮━━
俺の住む
る。
家から歩くこと約一○分、俺たちは浜天神に到着した。たくさんの屋台が立ち並び、人がごった返している。
「うわ〜、凄い人だね〜」
「だな。 これでも俺が小さかった時よりも結構減ったんだよ」
「えっ、そうなの?」
さくらはそう言いながらお腹を摩る。
「お腹どう?」
「もうペコペコ」
「じゃあ今日はガッツリいこうぜ!」
「うん!」
さくらはひとり、人の群れに飛び込もうとした。
「さくら、ちょっと待って!」
俺はさくらの左手を掴んだ。
「……」
さくらは掴まれた左手を見ながら不思議そうな表情を浮かべる。
「桜輝……どうしたの?」
俺はさくらからの問いに、思わず目を逸らす。
「何ていうか……さくら、ド天然だからさ……。 逸れて迷子になっても困るし……」
俺はチラッとさくらの顔を見る。さくらは少し下を向き、暗くてはっきりは見えなかったが、頬が少し赤らんでいるように見えた。
「……ありがと」
さくらはそう言うと顔を上げた。その表情は恥ずかしがっているように見える。
俺はさくらの手を掴んだまま、人の群れに入っていった。何度も人にぶつかりながらも人の群れを掻い潜り、何とかたこ焼きの屋台の列に並んだ。
俺はさくらの顔を見る。さっきほどではないが、やはり少し恥ずかしそうな表情をしている。
そんな俺に気付いたのか、さくらは俺に顔を向けた。
「どうしたの?」
「いや……何でもない」
俺はぎこちなく答える事しかできなかった。
そして並んでいた列も順番がまわってきた。俺は握っていた手を離し会計を済ませ、たこ焼きが二パック入ったビニール袋を受け取った。
会計を終えたタイミングで、今度はさくらの方から手を握ってきた。しかもさっきよりも握る力が強い。
俺はさくらを見た。いつもならここで、さくらも俺を見て微笑むのだが、さくらはこちらを見る事なく真っ直ぐ前を向いている。
その後、俺たちは焼きそばにアメリカンドック、フライドポテトとジュースを買い込んだ。
浜天神の境内には本殿以外にも幾つか小さな社がある。俺は穴場である『秋葉社』へとさくらを連れて行った。
『秋葉社』に着くと、そこはやはり穴場だけあり、人がいない。
しかし決して不気味なわけではなく、左右均等に石灯籠が並び、奥の祠は下からスポットライトで照らされている。
俺は祠の横にある横長のベンチに腰掛けた。
「あ〜やっぱり人混みは疲れるな〜。 さくら、ここで食べようぜ」
俺は横にさくらを座らせた。
「こんな所で食べて大丈夫なの? バチ当たりじゃない?」
「大丈夫、大丈夫。 ここの秋葉さんは凄く懐の大きい神様だから、祠を壊すとかよっぽどの事をせん限りはバチなんか当たらんよ」
俺はビニール袋からパックを取り出し、ベンチに広げた。しかしそれには手を付けず、まずはアメリカンドックを頬張った。
「やっぱりお祭りで食べるアメリカンドックは最高だわ。 コンビニのやつじゃ太刀打ちできん」
「何それ」
さくらはそう言って笑うと、たこ焼きを頬張った。
「どう? 昼を抜いて食べるたこ焼きの味は」
「もう美味しくて堪らないよ〜!」
さくらは次々とたこ焼きを口へ運んでいく。俺はアメリカンドックを食べ終え、焼きそばのパックを開けた。
「さくら、焼きそばも食べてみ」
「うん! 桜輝もどんどんたこ焼き食べてね!」
俺たちはその後も談笑をしながら腹を満たしていった。
「そういえばさ、桜輝って彼女いた事ある?」
「はあ?」
「……」
さくらからの突然の質問につい冷たく答えてしまった。さくらはそんな俺を見て、少し怯えているのか縮こまっている。
「あ、いやごめん。 質問がいきなり過ぎたからつい強く言っちゃった」
「なら良かった〜。 怒らせたかと思ったよ〜!」
表情が固まっていたさくらだったが、安堵したのか笑顔で言った。
「てかいきなりどうしたの? そんな事聞いて」
「何ていうか、桜輝がこれまでにどういう恋愛をしてきたのか気になっただけ!」
「そういう事ね」
俺は空を見上げた。季節外れのオリオン座が今日は綺麗に見える。俺は星座を見ながら過去の忘れかけていた記憶のピースを一つひとつ繋ぎ合わせた。
「中学三年の夏頃から高校一年の八月頃まで付き合っていた子はいたな」
「そうなんだ、その話もっと詳しく聞かせてよ!」
さくらは好奇心旺盛な少女のように目を輝かせていた。俺は正直あの恋愛はあまり思い出したくない過去である。しかし何故か、さくらには伝えておかなければならないと直感した。
俺は過去の恋愛がどんなものだったかをさくらに語った。
中学一年生で出会い、友達だった子と中学三年生の夏休み直前に付き合い始めた事。お互いに違う高校に通う事になり、中々会えなかった事。そして夏休みになり、お盆の花火大会に誘ったが、『他に付き合っている人がいる』と言われ、浮気された挙句、一方的に別れを告げられた事……。
「へ〜、そんな事あったんだね……」
さくらはどこか申し訳無さそうな表情をしている。
「中々会えなかったって、どれくらい会えてなかったの?」
「月に二回くらいしか会えなかったな」
「月に二回か〜。 確かに決して多くはないけど、それは桜輝だけのせいじゃなくない?」
「さあ、どうだろうね。 そればかりはその子が決める事だし、俺たちがどうこう言ったところで仕方ないよ」
「まあ……そうだけど」
さくらは手元にあるジュースを口元に持っていき、納得したかのような表情を見せた。
「何かフラれ方が私と似てるな……」
「え? どういう事?」
「前、桜輝にも話したけど、私元カレにある日突然『他に好きな人ができた』ってフラれたの」
「ああ、そんな事言ってたな」
さくらは頬を膨らませた。
「もう! 桜輝もしかして忘れちゃったの?」
「別に忘れたわけではないよ」
俺たちの間に沈黙の時間が流れる。
そしてどこか遠くから日中に聞いた地響きのような太い音とともに、しっとりとした囃子の音が聞こえてきた。
「さくら、行くぞ!」
俺はさくらの手を握り、その場所へと向かった。
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