第一七話

「うわ〜、玄関めっちゃ広い!」


 さくらはそう言うと、カバンからカメラを取り出し、玄関の写真を撮った。


「だから写真撮るなって」


「あはは、そうだった。 ごめん!」


 さくらはカメラをカバンにしまう。


「上がって」


「うん」


 さくらは靴を脱ぎ、それを揃えた。そして俺はさくらを客間に座らせた。


「何か飲む?」


「メニュー見せて!」


「そんなもんないわ!」


 俺はさくらの急なボケに思わず笑ってしまった。さくらもボケが受けた事が嬉しいのか、喜びの笑みを浮かべている。


「桜輝、面白かった?」


「正直凄く面白かったよ。 どこでそんなボケ仕入れたの?」


「好きな芸人さんのコントで仕入れてきた! あと飲み物だけど、お茶頂戴!」


「お茶ね。 暖かいやつで良い?」


「うん!」


「じゃあ沸かしてくるから少し待ってて」


 俺はさくらにそう言い残し、台所へ向かった。


 台所に着いた俺は、電子ケトルに水を入れ、スイッチを押す。そして急須にお茶の葉を入れ、湯が沸くのを待つ。


 数分後、電子ケトルから『カチッ』という音が鳴った。俺はケトルの湯を急須に注ぎ、盆に湯呑みと急須を乗せ、さくらの待つ客間へと向かった。


「お待たせ」


「おっ、早かったね! ありがとう!」


 俺は湯呑みにお茶を注ぎ、さくらに渡した。


「お湯沸かしたばかりだから火傷せんようににね」


「分かった! じゃあいただきます!」


 さくらは湯呑みをそっと持ち上げ口元に持っていく。すぐには飲まずに、フーフーと自分の息でお茶を冷ましている。


 そして良い感じの温度になったのか、湯呑みに口をつけ、少しずつそれを傾けた。


「熱っ!」


 さくらは凄い勢いで湯呑みを口から離した。


「さくら大丈夫か?」


「熱くて舌べろ火傷しちゃった!」


 さくらはそう言いながら舌を出し、両手で仰いだ。


「もしかしてさくらって猫舌?」


「うん……熱いのは苦手かな」


 さくらは舌を出さしたまま答えた。


 俺は急須のお茶が少しでも早く冷めるよう、蓋を少し開けた。


 舌の火傷が治まったのか、さくらは舌をしまった。


「ねえ桜輝、今日見せてくれる『夜山よやま』ってどんななの? 写真とかある?」


「あるよ。 でも実際に見るまでのお楽しみ」


 俺がそう答えると、さくらの頬が膨らんでいった。


「もー、またそういうイジワルな事言うー!」


 さくらは不満そうな口調で言った。


「イジワルで言った訳じゃないから。 それに何の情報も無いまま見たほうが受ける感動は大きいと思うよ」


「それもそうだね。 夜まで我慢してみるよ!」


 さくらは納得したのか、湯呑みを再び口に運んだ。


「今度は大丈夫?」


「うん! もう熱くない!」


 さくらはそう言うと、そのまま一気にお茶を飲み干した。


 俺は何も言わず、さくらの空になった湯呑みにお茶を注いだ。


 その後の俺たちは雑談に興じた。いつも通りさくらがひたすら喋り、俺はそれをただ黙って聞く。


 雑談というくらいだから、俺たちの会話には何の生産性も無い。本当にしょうもなく何の役にも立たない会話だ。しかしそれでも時間はあっという間に過ぎていく。


 そして気付けば客間の壁にかけてある時計は一四時を指そうとしていた。


「ねえ桜輝、山車が動きだすのって一三時頃だよね? もう一四時になろうとしてるけど……」


「ああ、それなら大丈夫だよ」


 俺は冷めきった湯呑みを口に運んだ。


 さくらはそんな俺を不思議そうな顔をして見つめている。


 そして数分後、遠くから地響きのようなものを感じた。


 俺は地響きの正体を知っているが、それを知らないさくらは挙動不審な様子で落ち着きが無い。


「桜輝、さっきから地響きみたいなのが聞こえるんだけど……」


「これ太鼓の音だから、そんなにビクビクしなくても大丈夫だって」


「太鼓……」


 さくらはそう小さく呟くと、目を閉じで黙り込んだ。


 その地響きは、少しずつ、本当に少しずつではあるが、徐々に近付いており、太鼓の音だと確認する事ができる。


 さくらは目を開けた。


「本当だ。 太鼓の音だ」


 さくらはポツリと言った。


 俺は空になったさくらと自分の湯呑み、急須を盆に乗せ、台所に片付けに行き、客間に戻った。


「さくらそろそろ行こうか」


 俺は台所から客間に戻り、さくらに言う。


「でも音まだ遠いよ」


「歩いてるうちに近付いてくるって」


「分かった!」


 俺たちは家を出て、山車の場所へと向かった。


 道中の家々の門には『御神灯』と書かれた提灯がぶら下がっている。その提灯からも『お祭り』という雰囲気を感じることができる。俺はこの『お祭り』という何とも言えない空気感が、昔から好きである。


 そして歩く事約一○分、普段は近くの病院の駐車場となっている砂利の広場に着いた。


 そこは仮設テントが張られており、法被を着た人達が屯している。


「桜輝! あれ見て!」


 俺はさくらの指差すほうを見た。


 それは祭囃子を奏でながらこちらへと向かってくる、見慣れた大きな山車である。


 過度な装飾は一切無く、赤い幕を三面に垂らしたその山車は、いつ見ても興奮してしまう。


 さくらもはしゃぎながらその山車をカメラで写真に収めている。


「さくら、わざわざこんな遠くから写真撮らなくても、ここに来てから写真撮ったら?」


「桜輝分かってないな〜。 これはこれで良さがあるんだよ!」


 さくらはそう答えながら写真を撮り続けていた。


 やがて山車は俺たちがいる砂利の広場に停まった。


 さくらは山車に近付くと、これでもかというほど写真に収めていく。


「さくら触ったりしたらダメだぞ」


「分かってるよー! それくらいのマナーは守るって!」


 さくらはそう言うと、山車の正面にまわった。


「……」


「さくらどうした?」


「見て! 七福神が彫られてる!」


 さくらは一人ではしゃぎ始めた。


「七福神って、あの大黒天とか弁財天とかの?」


「そう! よく知ってるね!」


 俺は七福神の事については全く知識が無い。『七福神』というからには七柱の神様だろう。


「桜輝、大黒天って日本神話だとどの神様にあたるか知ってる?」


「さあ、分からない」


「なんとね……大国主命なんだよ!」


「オオクニヌシノミコト……?」


 さくらはいつもの雑学を語り始めた。


「そう! 大国主命は島根県の出雲大社に祀られていて––––」


 さくらの話はよく理解できなかったが、出雲大社の主祭神であり、縁結びの神様であるという事は何とか理解できた。


「出雲大社行ってみたいな〜」


「出雲って島根だよね? さすがに遠くない?」


「遠くても縁結びの神様だよ! 女の子だったらこの話知ったら誰でも行きたいって思うよ!」


「何、結びたい縁でもあるの?」


「……」


 さくらは目を閉じて深呼吸をした。そして目をゆっくりと開け、俺の目をじっと見つめると、口を開いた。


「私ね……」


「山車が出ます! 離れてください!」


 さくらの声を遮るように、男性の太い声が響いた。その一声で周りの人間は一斉に山車から離れた。


 俺たちもその男性の指示に従い、山車から離れた。


「そういえばさくら、さっき何か言おうとしてなかった?」


「うん……。 だけど内緒!」


 さくらはそう言うと、いつもの意地の悪い笑みを浮かべた。


 そして山車は再び囃子を奏でながら動き出した。俺たちは山車の後ろについて歩いていく。


 山車の梶棒には俺たちより少し歳が上だと思われる男たちが、まだ四月の上旬で肌寒いというのに、汗をかきながら山車を押している。


 さくらはそんな姿も写真に収めていく。


 やがて山車は新衛川に掛かる橋を通過する。土手には多くの桜の木が植えられており、そこに咲く花が風に吹かれ、宙を舞った。


「綺麗だね、桜」


「ああ、そうだな」


 俺はさくらを見ると、それに気付いたさくらは笑みを浮かべた。


「ねえ桜輝、写真撮ろ!」


「いいよ」


 俺の言葉に、さくらは何故か照れていたがカメラのバリアングル液晶を回転させ、レンズを向けた。


 液晶には山車を背景に、桜の花が雪のように舞っており、その中心には俺とさくらが写っている。


 さくらがシャッターを切ると、俺たちは写真を確認した。


「うわー! 今までで一番良い写真かも!」


「桜が舞ってる感じが良いな」


「本当それ! 桜輝の笑顔も自然だし、良い感じ!」


 さくらはスマホを取り出し、撮れた写真を俺のメッセージに送った。どうやらさくらのカメラはスマホと同期されているらしい。


「さくらがこういう写真送ってくれるのって初めてじゃない?」


「あれ? そうだっけ?」


 さくらはそう言ってとぼける。


「まあ、でもこの写真は俺も気に入ったから、貰っとこうかな」


「なんか桜輝が言うと気持ち悪い」


 さくらはいつもの意地の悪い顔で言った。俺はもう一度ゲンコツを喰らわせてやろうかと思ったがやめた。


「桜輝、今ゲンコツするタイミングじゃん!」


「さくらが気持ち悪い癖に目覚めそうだから、ゲンコツはもう封印するわ」


「失礼しちゃうなー! 今の言い方、まるで私が変態みたいじゃん!」


「十分変態だろ」


「言ったなー!」


 さくらは頬を膨らませ、俺の背中をポコポコと叩いた。


 その後、俺たちは山車が蔵に入るのを見届けて一度家へと戻った。

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