第一五話

 高校を卒業し、学校に行かなくて良くなると、途端にやる事が無くなり手持ち無沙汰になる。


 初めの三日間は今まで溜め込んでいた漫画やゲームをひたすらやっていたが、それも飽きてしまい、やる事が無くなってしまった。


 俺は良い機会だと思い、ネットで新しい趣味を探したが、いまいちピンとくるものが無い。いつの間にか俺は寝てしまっていた。


 俺は目を覚ました。耳元でスマホが鳴っている。寝落ちしてしまったので、アラームはセットしていないはずである。


 しかし止めない事にはいつまで経っても鳴り止まない。俺はスマホを手に取ると、スマホが鳴った原因をすぐに理解した。


 さくらからの着信である。俺は眠い目を擦り、スマホを耳に当てた。


「もしもし……」


「あ、桜輝今何してる?」


「寝てた」


「もしかして起こしちゃった? ごめんね」


 口調からして、恐らくさくらは本気で悪いとは思ってはいないだろう。


「ああ……全然いいよ。 それより何だった?」


「私、明日大学近くのアパートに引っ越すんだけど、手伝ってくれない?」


 俺は随分前にさくらが『一人暮らしをしてみたい』と言っていた事を思い出した。


 少々面倒臭い気持ちもあったが、どうせ家に居てもやる事はない。


「ええよ」


「本当? 良かったー! 今日既に荷物は全部運んだんだけど、部屋中が段ボールだらけで……。 この量だとどう考えても明日中に終わらないから助かるー!」


 電話越しにさくらが喜んでいるのが分かる。


「そういえばさくら、今日は新しい部屋で寝るの?」


「そうだよー! ベッドだけはもう片付いてる!」


「そっか。 夜とか危ないから一人で出歩くなよ」


「もー桜輝、お父さんと全く同じ事言ってる!」


 さくらは俺をからかうように笑った。


「そんなに私が心配なら、桜輝私の家まで来てよ」


 突然桜の口調が変わった。


 さくらは時々、何の前触れもなく口調が変わる。こういう時のさくらはどこか意味深で、俺にはその言葉の意味を読み取る事ができない。


 そして、今もまさに俺はさくらがどういう意味で言っているのか、読み取る事ができないでいる。


 数秒、電話越しに俺たちは沈黙した。さくらはどうか分からないが、俺は心理戦を強いられている圧迫感に少しだけ吐きそうになる。


「ぷっ、桜輝もしかして本気にしちゃった?」


 心理戦を制したのはさくらだった。俺はこれで何敗目であろうか。


「さすがに今の部屋の状態だと小雪すら入れれないよ〜!」


「さくら本当にそういう冗談やめろって! もし俺が『行く』なんて言ったらどうするつもりだったの?」


「え? 桜輝そんな事考えてたの? エロいな〜! さすがに桜輝でも、付き合ってないんだから想像してるような事はさせないよー!」


「はっ? そんな事想像しとらんわ!」


「本当かな〜? この前、小雪の事エロい目で見てたくせに〜」


 いつの間にかさくらのイジりタイムが始まってしまった。こうなってしまったさくらは手が付けられない。俺はいつも通り適当にさくらの相手をした。


 さくらのイジりがひと段落したところで、俺は愛犬ブロッサムが吠えている事に気付いた。


「さくら、俺ブロッサムの散歩行ってくるからまたね」


「わあ〜、ブロッサムの声久し振りに聞いた! 今度ブロッサム触らせてよね!」


「分かった、分かった。 じゃあ電話切るね」


「うん! またねー!」


 俺は静かに電話を切り、ブロッサムの散歩に出掛けた。


 散歩の途中、俺の右ポケットに入っているスマホが振動した。


 俺はスマホを取り出し、確認するとさくらから一通のメッセージが入っていた。


『明日だけど一○時頃に丘田駅に来て! 私迎えに行くから!』


 俺は『了解』と送信し、散歩を続けた。


 翌日、俺は指定された通りの時間に丘田駅に到着した。丘田駅は俺たちが四月から通う尾張経済大学の目の前にある。


 因みに、俺たちが入学する経済学部はこの渼浜キャンパスである。


 俺の住む江和こうわからは電車を使わなくても行けない事もないが、自転車だとさすがに疲れてしまう距離である。車の免許を取るまでは、当分電車通学になりそうだ。


 俺は辺りを見渡したが、さくらの姿が見えない。俺はさくらに電話をする。ツーコール鳴った後、さくらは電話に出た。


「桜輝おはよう!」


「おはよう。 今丘田駅に着いたよ」


「えっ、本当? ごめんね! もうすぐ着くから待ってて!」


「はーい」


 俺はそう言って電話を切った。


 そして数分後、さくらが到着した。


「桜輝ごめんね! 遅れちゃった!」


「五分の遅刻」


「もう! またそんな事言って! イジワル!」


 さくらはいつも通り俺の背中をポコポコと叩く。俺は叩かれるのを待ってしまう自分を、少しだけ気持ち悪いと思った。


 さくらもこの一連の流れを気に入っているのか、ニコニコしながら叩いてくる。


 一通り俺の背中を叩き終えたさくらは、俺に自転車を差し出してきた。


「は?」


 さくらの行動の意図が読み取れない。俺は思わず冷たく聞いてしまった。


「桜輝自転車運転して!」


「自転車運転してって……、さくらはどうするの?」


「私は荷台に乗る!」


「はあ? 二ケツするって事?」


「そう! 私今までやった事無かったからずっと憧れてたんだよね!」


 さくらの言葉に呆れた俺は『はあ……』と小さく溜息をつき、サドルを調整をした。


「まったくしょうがないな、さくら姫さんよ。 ほら、乗って」


「『さくら姫』って私の事?」


「さくら以外に誰がいるんだよ」


「じゃあ失礼します!」


 さくらはそう言うと、嬉しそうに左を向いて荷台に座った。


「さくら、跨らないと危ないぞ」


「だって跨ったら品が無いじゃん。 お姫様が荷台に跨って座ってたら嫌でしょ?」


「確かにな……」


 俺はさくらの言葉に何故か納得してしまった。


「じゃあ落ちんようにしっかり掴まっとけよ」


「うん! 桜輝皇太子!」


 俺は荷台に掴まるよう伝えたのだが、さくらは俺が着ている上着の裾を右手で掴んだ。


 そして俺はペダルを漕いだ。さくらは俺の予想に反して、キャーキャーと騒ぐ事なく大人しく座っている。


 俺も二ケツは中学校以来だったが、後ろに座っているのがさくらだったからか、比較的安定して漕ぐ事ができた。


 そしてさくらの指示で右へ左へと曲がっていく。途中、ちらっと荷台に座るさくらを見ると、髪の毛が風になびいており、爽やかな表情をしていた。


 五分ほど漕いだのち、さくらの住まいとなるアパートに到着した。


 俺が自転車を停止させると、さくらは荷台からヒョイっと降りた。


「じゃーん! ここが私の住むアパート! 凄く可愛いでしょ?」


 俺はアパートを見る。外壁はピンクで、階段や窓といった処所で白を取り入れている。


 確かにさくらの好きそうな外見をしたアパートである。


 俺はさくらに手を引かれ、階段を登り、部屋の前へと連れていかれた。


「ここが私の部屋だよ!」


 階段を登った二階の一番奥の部屋。白のドアから少し目線をずらすと『二○四』と書かれた表札がある。プライバシーとセキュリティの関係か、『黒田』とは書かれていない。


 さくらはカバンから鍵を取り出し、ドアノブに差し込んだ。右か左かどちらに回したかは分からないが、『カチャ』という機械的な、しかしどこか生物的な音が鳴る。


 さくらはドアを開け、部屋の中に入り、俺もそれに続く。


「お邪魔しまーす」


「どう? まだ段ボールだらけで散らかってるけど、良い部屋でしょ?」


 俺は部屋全体を見渡した。部屋の壁は全てが真っ白で、外壁とは違いピンクはどこにも使われていない。


「うん……。 段ボールさえ散らかってなかったら最高の部屋だな」


「だからその散らかった段ボールを綺麗にするために桜輝に来てもらったんでしょ! ほら、早く始めるよ! 今日中には全部終わらせるんだから!」


 俺は何故かさくらに怒られたが、二人で掃除に取り掛かった。


 さくらが段ボールを開け、そこから取り出された物を支持された場所に俺が片付ける。


 俺たちの集中力は凄まじく、トイレと水分補給以外は手を休める事なく作業を進めていく。


 そしてあれだけあったダンボールも、一四時頃には全て片付いた。


「あー、やっと終わったー!」


「意外と早く終わったな。 今日中に終わるか心配だったけど」


「これも全部桜輝のおかげだよ〜」


 さくらがそう言った直後、俺の腹の虫が大きな音を鳴らした。それを聞いたさくらはツボに入ったのか、手を叩きながら笑った。


「桜輝、さすがに大き過ぎだってその音は!」


「仕方ないだろ、朝から何も食べてないんだから」


「あー、そういえばお昼まだだったね」


 さくらはそう言うと、立ち上がった。


「桜輝、ちょっと遅いけど今からお昼食べに行こうよ」


「良いけど、俺あんまりこの辺のお店とか分からんよ」


「大丈夫! 私昨日良いお店見つけたから!」


 こうして俺たちはさくらの言う『良いお店』まで歩いていく事になった。


 お店選びが上手いさくらが『良いお店』と言うくらいである。きっと間違いは無い。


 俺は同じ渼浜町であっても、滅多にこの丘田地区には来ない。それ故、今こうして歩いていると、とても新鮮な気分になる。


 しかしこの新鮮な感覚も、四月になり大学に通うようになると何も感じなくなるのだろうか。


 突然、さくらが足を止めた。


「そういえば、もうすぐ山車祭りの季節だね」


 さくらは誰かの家の壁に貼られたポスターを見ている。


「さくら、お祭り好きなの?」


「ん〜、お祭りの雰囲気は勿論好きだけど、きっと山車の事が好きなんだと思う」


「『きっと』って、自分の事だろ」


「そうだけど、自分でもよく分からないんだよね。 でも確かに言えるのは山車そのものよりも、彫刻だったり、幕の刺繍とかに目がいっちゃうって事かな」


 さくら独特の感性に、俺はついていけず適当な相槌で流した。


「桜輝の住んでる江和こうわも山車祭りってあるの?」


「ああ、あるよ」


「へ〜、どんな感じ?」


「どんな感じって、別に普通だよ」


 俺は江和こうわの山車祭りは好きだが、それ以外に特別な感情を抱いた事はない。


「あっ、でも他の地域とは違う事があるわ!」


「えっ? 何なに?」


 さくらは食い付く。


夜山よやまがある!」


「ヨヤマ? 何それ?」


 さくらは夜山よやまに興味があるのか、食い気味に問う。


「山車って日中だけじゃなくて、夜も提灯をぶら下げて巡行するじゃん? 江和こうわもそれは同じなんだけど、夜専用の山車があってそれを夜山っていうんだ」


 俺がそう説明すると、さくらは目を爛々と輝かせた。


「私それ見てみたい! ねえ桜輝、それっていつやるの?」


「四月の第一土曜日だよ」


「桜輝、そのお祭り一緒に行こうよ!」


 さくらは俺の腕にしがみつき、ねだってきた。もちろん俺には断る理由が一つも無い。俺は首を縦に振った。


 そして俺たちは再び歩き出し、さくらの言う『良い』お店へと向かった。

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