第一一話

俺が話し終えると、守光はぼんやりと遠くを見つめていた。


「守光さん、守光さん聞いてますか?」


「何じゃ、うるさいのう。ちゃんと聞いとるわい」


 どう見ても聞いているようには見えない。俺は守光にそう言ってやりたかったが、何とか抑え、イライラを解消するためにタバコに火を着けた。


 煙の匂いに気付いたのか、守光はこちらに顔を向ける


「桜輝、すまぬが一本くれぬか?」


 守光は俺に手を合わせ懇願する。俺はそんな守光に呆れながらも、タバコとライターを渡した。


「守光さん、完全にタバコの虜ですね」


「何ていうかな、クセになるんじゃよこれは」


「今の守光さん、幽霊というよりも、もはや妖怪ですね」


「妖怪とは何じゃ、無礼な奴じゃの。 わしは妖と違ってちゃんと人間の姿をしておるわい」


「だって守光さん、さっきからタバコばっかねだってくるじゃないですか。 まるで

『妖怪タバコねだり』ですよ」


「何じゃ『妖怪タバコねだり』とは。 おぬしなかなか面白い事言うの」


 守光はそう笑うとタバコに火を着けた。


 そして煙を深く吸い込むと、吐き出す。その煙はゆっくりと寒空へと昇っていく。


「おぬしあの大山城に行ったみたいじゃの」


 俺は守光がちゃんと話を聞いていた事に驚いた。


「守光さん、俺の話ちゃんと聞いてたんですか?」


「だからさっきもそう言ったじゃろ」


「だって……どうみても全く聞いていなさそうでしたから」


「おぬしは本当にわしを信用せんのう。 わしから話せと言ったのじゃから、ちゃんと聞くに決まっておるではないか」


「……すいません」


 俺は守光に謝った。


「して、どうじゃった? 大山の城は」


「どうだったって……。 眺めも凄く良かったですし、とても良い場所でしたよ」

 俺の言葉を聞いて、守光は大きくため息をついた。


「本当におぬしは餓鬼みたいな感想ばかり言うの。 もっと他にはないのか?」


「他にですか……。 あ、天守は凄く良かったです! 駅から見た時は山の上にポツンと建っているだけの小さな建物に見えましたが、間近で見たら結構大きかったです!」


「違う、違う! わしが聞いておるのはそんな事じゃないわい!」


 守光はガバッと立ち上がる。


「おぬし一体、城の何を見てきたのじゃ! 狭間からはどこまでが見えて、石落としはどれくらいの大きさの石が落とせるのか、何故そういうところに目がいかんのじゃ!」


 守光は不服そうな表情でこちらを見ている。


「あの……狭間とか石落としとかって何ですか?」


「おぬし、さくらとかいう女子の話を聞いておいて、そんな事も知らなんだか……」


 守光は呆れたように言い捨てた。


「だってさくらからはそんな話、聞かなかったですし……」


「あのな、人が一から十まで教えてくれると思うなよ。 きっとさくらとかいう女子

がおぬしに大山城について話してくれたのも、おぬしに大山城について興味を持ってもらえるようにするためだったに違いない。 それなのにおぬしときたら何じゃ、どうせ『つまらない』とか『興味が無い』とか言って、テキトーに聞き流してたんじゃないのか?」


「……」


 俺は守光に何も言い返す事ができなかった。守光が言っていた通りの事を、当時の俺は考えていた。


「その様子だと、その通りのようじゃな」


 守光はそう言うと、再びベンチに座った。


「さくらとか言う女子は、きっとおぬしにも楽しんでほしいと思っていたはずじゃ。 だからおぬしに大山城の事について話してくれたんじゃと思うぞ」


「はい、守光さんの言う通りだと思います」


 俺は自己嫌悪になった。何故あの時の俺はさくらの気持ちを汲み取ることができず、楽しみを共有できなかったのだろうか。


「まっ、それが当時のおぬしの感性じゃ。 わしはおぬしを過去に連れていける能力は持ち合わせておらん。 過ぎた事はどうする事もできぬ」


 守光は静かにそう言った。


「守光さん、ひとつ聞いても良いですか?」


「何じゃ?」


「守光さんは生前、大山城に行った事はあるんですか?」


「いや、ないぞ。 じゃが存在はもちろん知っておったぞ」


「じゃあ守光さん、あの天守を見た事ないんですね。 可哀想に……」


「ふん、おぬしのように餓鬼みたいな感想しか言えぬ者に言われたくないわ」


 守光は再びタバコを深く吸い込む。


「それにわしはあの大山城よりもはるかにでかい城を見た事あるでの、別に自分が可哀想などとは思わんわい」


「大山城よりもはるかにでかい城? それって何城ですか?」


「……小田原城じゃ」


 守光は短くなったタバコを握り潰した。その手はプルプルと震えている。


「小田原って事は、神奈川ですよね」


「ああ、今ではそう呼ばれておるの」


「あれ、守光さんって確か小田原征伐に出陣して討死されたんですよね」


「その通りじゃ。 じゃからわしが最後に見た城が小田原城じゃった」


 俺と守光の間に気まずく、沈黙した空気が流れた。守光はタバコを握り潰した手をじっと見つめ、何かを考えているのか、何も話さない。


「守光さん……?」


「ああ、すまぬ。 それにしても、あの城は実に立派な城じゃった」


「小田原城ってどんな城だったんですか?」


「そうじゃな……。 城下町の外側にも堀や土塁を築き、城下町すらも城の一部となっておった。 わしが小田原に着陣した際に徳川殿の陣へ挨拶をしに行ったんじゃが、それが総構えと呼ばれる新しい築城方法だと教えていただいた」


 守光の言っている事があまりにも専門性の高いものであり、俺には理解できなかったが、小田原城はとにかく凄いお城だったのだろう。


 俺は先の短くなったタバコを地面に押し付けた。


「おぬしの話に戻るのじゃが、ひとつ聞いても良いか?」


「ええ、何でしょうか?」


「今までの話を聞いてみても、おぬしが何をそんなに思い悩んでいるのかが分からんのじゃよ」


「そりゃあ、まださくらと知り合って一ヶ月くらいの話ですから」


「だとしても、どう考えてもおぬしらはお似合いではないか。 あまり自らは話さないおぬしに、お喋りが大好きなさくらとかいう女子。 冷静なおぬしに、天然な女子。 お互いに欠けている部分を補い合っているではないか」


 確かに守光の言う通りだ。俺たちはお互いの欠点を自然に補い合う事ができていた。


「それ、知り合いにもよく言われました」


「じゃろ? それ故、おぬしが何に悩んでいるのかが分からんのじゃよ」


 俺はスマホを取り出し、時間を確認する。六時七分、時間はあまり経っていないようだ。


「ところでおぬし、読書は好きか?」


「え? 読書ですか?」


 守光の突然の問いに、俺は少しだけ戸惑う。


「本は全く読まないですが……」


「はあ〜、全くこれだから今の人間は……」


 守光は呆れたように首を横に振る。


「良いか、書物は必ず読め。 古今東西これは言われている事じゃ。 特に古から読み継がれている書物には必ずそれなりの理由がある。 もしかしたらおぬしの悩みも解決するやもしれん」


「古の書物……? 例えばどんなのですか?」


 守光は顎髭を触り、目を瞑ると少し考え込む。


「わしの好きな書物でいうと、平家物語や方丈記じゃな」


「聞いた事はある本ですけど、何だか難しそうですね」


「そんな事はないぞ。 平家物語も物語の作り込みが良く出来ておって面白いし、方丈記も文章が綺麗で、今でいうエッセイみたいに気楽に読めるぞ」


 守光が『エッセイ』という言葉を知っている事には少々驚いた。


「守光さんって、生前からよく本は読んでいたんですか?」


 俺の問いに守光は首を横に振る。


「いや、書物をよく読むようになったのは、ここ二◯◯年の事じゃ」


「ここ二◯◯年て……」


「まあ要するに暇じゃったんじゃよ。 それでよく寺などに侵入しては書物を読み漁っておった」


 守光は当たり前のように話していたが、立派な住居不法侵入である。


 しかし守光は既にこの世の人間ではないし、多くの人には見えない。だから問題は無いのかもしれないが、もし見える人がいたらどうするつもりだったのだろうか。


「そうじゃな、おぬしも方丈記は読んでみよ。 初っ端から文章の美しさに驚くぞ」


「どういう文章なんですか?」


「それは読んでからのお楽しみじゃ」


 守光はそう言うと、ゆっくりと深呼吸をした。


「まっ、そういう事じゃ。 おぬしも明日からしっかりと書物を読むが良い。 特に古典をな」


「は、はい……。 分かりました」


 守光はそう言うと、守光は満足そうに頷いていた。


「それにしても今日の空は綺麗じゃの! 見よ、雲ひとつ無い空に幾つもの星々が輝いておる」


 俺も空を見上げた。守光が言った通り、そこには幾百、いや幾千幾万の星々が輝いている。


 俺は空から守光に視線を移す。星空を眺めているその表情は、何の不安もない少年のように輝いていた。

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