第二章

第六話

「わしはな、小田原の戦場で討ち取られる時、この江和郷こうわのさとの風景が目に浮かんだのじゃ」


「この江和郷こうわのさとの風景……」


「ああ。 城から見える三河湾、夏に見える青々とした木々、秋の田に実る黄金色の稲、雪の降る日に見た城に植っていた南天の実、春に咲き風に煽られて散っていく桜の花びら、そして妻子の顔……」


「妻子の顔……」


 守光は涙をポロポロと溢していた。


「あの……」


「何じゃ……」


「何か凄く辛く悲しい事を思い出させてしまったみたいですね……。 すいません」


「何故そう思う?」


「だって守光さん、涙流してますし……」


「っ!」


 守光は自分でも泣いている事に気付いていなかったのか、驚いた表情を浮かべると、焦ったように袖で目元を拭った。


「恥ずかしいところを見せてしまったな……」


「……」


 俺は何も言葉が出てこない。


「良いのじゃ、気にするでない」


 守光は目元を拭い終えるとニコッと微笑んだ。


「どうしたのじゃ、黙っておらんで何か喋らんか」


「……すいません」


 そんな俺を見て、守光は『はあ〜』と大きくため息をついた。


「気にするなと言っておろう、わしが涙を流したのもわしに原因があるからじゃ。 おぬしには何も関係ない。 そうじゃ、まだわしに何か聞きたい事はあるか?」


 守光は俺に問う。


「そうですね……。 素朴な疑問なんですが、守光さんの奥さんってどういう人だったんですか?」


「そうじゃな……それはもう綺麗じゃったぞ! よく気も効くし、わしを想う気持ち、子供への想いは誰よりも強い女子おなごじゃった。 わしには勿体無いくらいの女子おなごじゃったな」


「自分には勿体無いか……」


 俺はさくらの事を何度そう思っただろうか。おそらく両手では収まらないだろう。


 鈍臭くて体力が無くて頼り甲斐のない俺を、さくらはいつも笑顔で、時には涙を流しながらもいつも献身的に支えてくれた。


 しかし俺はさくらに何かしてあげれただろうか。


 さくらが困っている時、悩んでいる時、俺は手を差し伸べる事ができただろうか。


「何か思う事でもあるみたいじゃな」


 守光は俺の肩に手を置く。


「わしに話してみよ」


 守光の口調はとても穏やかで、まるで父親、いや俺がまだ幼かった時にいつも遊んでくれていた祖父を思い出させるようなものだった。


「実は俺も、さくらと付き合っていて何度も『自分には勿体無い』と感じていたんです。 俺が困っていたり、悩んでいたりすると、さくらはいつも笑顔で俺を支えてくれました。 しかしふとした瞬間に思うんです。『俺はさくらに何かしてあげれているのだろうか』と。 もちろん何度も言葉で、行動で感謝の気持ちを伝えようと思っていました。 しかしいざ伝えようとすると何だか恥ずかしくて、何もできませんでした」


 俺は今まで胸の奥でつかえていた何かを吐き出すように守光に話した。涙こそ流す事はなかったが、声は震えていたと思う。


 守光はそんな俺を、穏やかな表情で聞いていた。


「なるほどな」


 守光はそう言うと立ち上がり、身体をこちらに向けた。


「わしの勝手な想像じゃが、そのさくらという女子おなごはおぬしの気持ちをちゃんと理解してくれていたと思うぞ」


「何故そう思うんですか?」


「そのさくらという女子おなごはいつも笑っていたんじゃろ? そりゃ人である以上、時には涙を流したり怒ったりする時もある。 人間関係の中で対立する事もあるじゃろうな。 しかしわしの経験上、平常時にいつも笑っておる人というのは、相手の感情や考えている事というのが何となく分かるもんなのじゃ」


「相手の感情や考えている事が分かる……」


 確かに思い当たる節がある。


 さくらはいつも笑顔でいる事が多かった。しかしたまに無表情でじっと俺の目を見るという事が多々あった。


 そんなさくらを見て、俺は心の中を見透かされているのではないかと感じていた事を、今更になって思い出した。


「まっ、先程も言った通り、これはあくまでわしの勝手な想像じゃ。 あまりあてにするなよ」


 そう言って守光は再びベンチに座った。


「それにしても今日は寒いのう」


 守光は衣服をさすりながら、ブルブルと震えている。


「守光さん、死んでいるのに寒さとか感じるんですか?」


 俺は守光に問う。


「そうなんじゃ。 眠さとか空腹感とか喉の渇きなどは感じないのじゃが、寒さや暑さなどはしっかりと感じるんじゃ。 困ったもんじゃよ」


 守光はそう愚痴をこぼすと、左の腰にある刀をコツコツと左手で叩いている。


 そういえば俺は刀というものをこんなにも間近で見たのはこれが初めてだった。俺はじっと守光の刀を見つめていた。


 守光はそんな俺に気付いたのか、ピタッと叩くのをやめた。


「何じゃおぬし、これが気になるのか?」


 守光はニヤリと笑う。


「えっ、まあ刀というものを間近で見たのは初めてなものでして……」


「ほう……」


 守光は数秒何かを考えるような仕草をし、口を開いた。


「見てみるか?」


 守光は俺に問う。俺は首を縦に振り、頷いた。


「ならぬ」


「えっ?」


 守光のまさかの答えに俺は困惑した。


「何故ですか?」


「刀は武士の誉じゃ。 おぬしのように色恋に更けているような小童こわっぱに見せるわけにはいかん」


 俺は守光の言葉に怒りを覚えた。


「何が『武士の誉』だよ、古臭い。 そもそも見せる気が無いなら、はなからそんな事聞かないでくださいよ!」


「何じゃと……。 もう一度申してみよ!」


 守光は勢い良く立ち上がった。俺も負けじと立ち上がり、応戦する。


「ああ、何度だって言ってやる! 『武士の誉』なんて古臭い事を、何百年も経っている現代で言ってんじゃねえよ!」


 俺の言葉に守光は素早く抜刀し、俺を睨みつける。


「十右衛門にもそんな事言われた事など無いわ。 どうやらおぬし死にたいようじゃな……」


 守光の刀の切先は月の光に照らされ、きらりと光る。俺は一瞬動揺したが、守光を睨んだ。


 『斬れるものなら斬ってみろ。 所詮お前は成仏出来損なった地縛の霊だ。 この世の人間を殺せるはずがない』と心の中で守光に言った。


 それから数分間、俺と守光はお互いに目と目で威嚇し合った。


 そして守光は俺から目を逸らすと、ゆっくりと納刀した。


「ふん! おぬしは肝が据わっておるの。 ますます気に入ったわい」


 守光はそう言ったが、俺は未だに守光を睨んだままでいる。そんな俺を見かねたのか、守光は俺の前にしゃがみ込んだ。


「桜輝よ、わしが悪かった。 もう刀は抜いたりはしない。 約束じゃ」


 守光はそう言うと帯刀していた拵を手に取り、俺に差し出した。


「おぬしになら見せる価値がある。 ご覧になられよ」


 俺は守光から拵を丁寧に受け取り、鞘からゆっくりと刀身を抜いた。


 今までテレビの時代劇でしか聞いた事のない刀独特のカチャリと言う音に、俺は興奮した。打刀なのか、大きな反りは無いが、質量はしっかりとあるため、斬る事に関しては申し分無いだろう。刃文も大きく波打っているわけではないが、これはこれで非常に美しい。


 俺は一通り見終えると、頭身を鞘に収め守光に返した。


「見せて頂きありがとうございました。 僕の方こそついカッとなってしまい、無礼なことを言ってしまいました。 申し訳ありません」


 俺は守光に詫びた。守光はそんな俺を見て微笑んでいる。


「良いのじゃ。 お互い様じゃ」


 守光はそう言うと、再び俺の隣に座った。


「守光さん、もう一本吸います?」


「かたじけない。 ではいただこう」


 俺は守光にタバコを渡し、火をつけてあげた。


「おぬし刀を間近で見るのは初めてだったと言っておったな」


「はい。 あんなにも間近で、しかも触らせて頂けるとは……。 本当にありがとうございます」


「ははは、そうかそうか!」


 守光は嬉しそうに笑っている。


「して、どうじゃった? 初めて手に取った刀は」


「身体中の血が騒ぐのを感じました。 何ていうんですかね、刀って男のロマンみたいなものじゃないですか。 なので、すごく興奮しました」


「何じゃそのガキみたいな感想は」


「ガキは言い過ぎですよ」


「ははは、すまぬすまぬ」


 俺はその後も刀についての感想を守光に語った。あんなに重いとは思わなかった事、拵そのものに美しさを感じた事などを、とにかく守光に伝えた。


「そうかそうか。 喜んでくれたのなら良かった」


 守光はそう言うと、突如笑みを止めた。


「ところでおぬし、先程さくらという女子おなごに対して『自分には勿体無い』と感じた事があるともうしておったな」


「はい、言いましたけど……」


「では話してみよ。 もうさっきからその事が気になって仕方ないのじゃ」


「でも長くなりますよ?」


「構わん! 早う話さんか!」


 俺は守光に言われるがまま、話す事にした。

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