第五話

 俺が話し終えると、守光はニヤニヤとした表情を浮かべてこちらを見ている。正直、とても気味が悪い。


「ほう、おぬし女子おなごと遊んだのか」


「そうですけど、別に普通の事じゃないですか?」


「普通の事ねえ……。 羨ましいもんじゃ」


 やはり守光に話したのは間違いだったのだろうか。馬鹿にされ、揶揄われているようにしか感じない。


 俺はそんなイライラした気持ちを紛らわすため、ポケットからタバコを取り出し火をつけた。ゆっくりと煙を吸い込み吐き出すと、それは宙に浮遊し、やがて消えていった。


 そんな俺に興味を持ったのか、守光は目を爛々と輝かせている。


「さっきから気になっておったのじゃが、おぬしが咥えているそれは何じゃ?」


 守光はタバコを指差し、俺に問う。


「これですか? これはタバコですけど……」


「タバコ……? それを咥えるとどうなるのじゃ?」


「咥えるとどうなるですか……。 タバコって煙を吸うものなんですが、これを吸うと何と言いますか、リラックスするというか、落ち着くというかそんな感じですね」


「ほう……」


 守光はそうボソッと呟くと、俺の左手にあるタバコをじっと見つめると、俺に目を合わせた。


「すまぬがわしにも一つくれぬか?」


「え? ああ、どうぞ……」


 俺は守光にタバコの箱とライターを渡した。


 守光は箱からタバコを一本取り出し口に咥えるが、ライターの使い方が分からないのか、ライターを色んな角度から観察している。


「桜輝よ、これはどうやって使うのじゃ?」


「ここをこうやって押すと火が出るので、タバコに着火させてください」


 俺はライターの使い方を守光に教えた。


 守光は俺から教わった通りにライターの着火スイッチを押した。


「わっ!」


 守光は大きな声を上げ、尻餅をついた。持っていたタバコとライターが地面に転がる。


「ちょっと守光さん何やってるんですか」


「じゃ、じゃって火がこう、ボッて……」


「そりゃライターなんですから火は出ますよ。 それにさっき火が出るところ見せたじゃないですか」


「じゃ、じゃが……」


 俺は地面に転がるタバコを拾い、守光に渡した。


「かたじけない」


 守光はそう言ってタバコを受け取る。


 まあ守光は何百年も昔の人だ。ライターの使い方が分からなくても仕方ない。


「じゃあ今から俺が火を出すんで、そうしたら口に咥えたままタバコの先端を近付けてください」


「うむ」


 俺はライターから火を出し、守光の咥えるタバコに近付けた。守光は火にビビりながらもゆっくりとタバコに点火させた。


 守光は勢い良く吸い込んだのか、むせ返る。


「何じゃこれは! おぬし、これのどこが落ち着くのじゃ! 臭いし、むせ返るし、とても落ち着けぬわ! よくもまあこんな物を吸えたもんじゃ」


 守光はあーでもない、こーでもないと文句を垂れていたが、二、三回吸って慣れてきたのか、


「匂いは最悪じゃが、意外と悪くないではないか」


と、意見を反転させた。


 そして根元まで吸い終えた守光は、それを地面に放り投げた。


「やれやれ、とんでもないものを吸ってしまったわい」


 さっきまで『意外と悪くない』と言っていたのは何処のどいつだよと思ったが、俺はそれを口にせず守光が放り投げた吸い殻を拾い、携帯灰皿にしまった。


「そういえば守光さんって、奥さんとかはいなかったんですか?」


「一応おったぞ。 江和郷こうわのさとのもっと北の方は水野氏が力を持っておってな、一時期は何度か合戦もしたがお互いに和睦をしようって事で、そこの娘をもらったんじゃ」


「水野氏? どう言う人たちなんですか?」


「簡単に言ったら、わしと同じような土豪じゃよ」


「じゃあそれっていわゆる政略結婚ってやつですか?」


「まあそんなもんじゃ。 じゃがな、あの時代の結婚って言ったら大体がそんな感じじゃよ」


 守光は濃紺に染まった空に浮かぶ星々を眺めている。


「でも水野氏って全く聞いた事がないのですが……」


「何じゃおぬし、水野氏も知らなんだか!」


 守光は俺の言葉を遮って言った。


「おぬし、あの徳川殿はさすがに知っておるよな?」


「徳川? 徳川って、あの徳川家康のですか?」


「そうじゃ、そうじゃ! あの徳川殿の母君も水野家の出身じゃ」


「えっ! じゃあまさか守光さんって、あの徳川家康と親戚なんですか?」


「まあ、そういう事になるな」


 驚いた。この江和こうわの町のかつての殿様が、まさか徳川家康と繋がりがあったなんて。


「まあ親戚と言ってもそれは妻の話で、わしにはほぼ関わりが無かったがな」


 守光はボソッとつぶやいた。


「その話、もっと詳しく教えてください!」


「何じゃおぬし、江和郷こうわのさとの歴史も知らんくせに興味があるのか?」


江和こうわの歴史を知らないから興味があるんです!」


 俺の言葉に守光はニコリと微笑んだ」


「可愛いやつじゃ。 さすがは十右衛門の子孫じゃ」


 守光は話し始めた。


「まずは何から話そうかの。 わしの生きていた時代は良くも悪くも情報量が多すぎる。 おぬしは何が知りたい?」


 俺はしばらく考えた。しかし、いざ『何が知りたい』と聞かれても質問なんて浮かんでくるものではない。


「何か面白い話ありますか?」


 俺がやっとのことで思いついたのは、こんなトロい質問だった。守光は拍子抜けしたのか、口をポカンと開けている。


「何じゃおぬし、そんなくだらない質問は!」


「す、すいません。 急に質問しろと言われてもなかなか思い浮かばなくて……」


「まあ良いわ。 面白い話ならようけ持っておるでな」


 守光は話し始めた。


「わしの家、戸田家はもともと田波羅たはらが拠点だったんじゃ」


田波羅たはらって熱美あつみ半島のですか?」


「そうじゃ。 それでわしの祖父の祖父がこの智多ちた半島にも領土を拡大させようと、この江和郷こうわのさとを領有したんじゃ。 それから我が戸田家は田波羅たはら江和こうわの海を隔てた二つの地を領有していくようになり、わしの祖父の代には戸田家の分家として江和郷こうわのさとを治めていく事になったのじゃ」


 守光の話がどんどんと複雑になっていく。しかし俺は頭をフル稼働し、何とか守光の話についていく。


「そして時代は下り、わしの祖父の兄が駿河の今川氏に人質として送られるはずじゃった松平氏の竹千代、後の徳川殿を拉致して織田家へと渡してしまうという大事件を起こしてしまったのじゃ」


「えええ……。 今川氏ってあの桶狭間で織田信長に打ち取られる今川義元の今川氏ですよね? 何でそんなことを……」


「そうじゃ、その今川氏じゃ。 まさにその時の今川氏の当主が義元でな、『海道一の弓取』と言われていたほど強い力を持っておった。 当然、義元は激怒して本家を攻め滅ぼした。 何故本家があんな行動に出たのか、さまざまな憶測が飛び交った

が、正確な情報は分からずじまいじゃ」


 守光はどこか哀しそうな表情を浮かべ、苦笑いをした。


「守光さんの一族も、しっかりと歴史の表舞台で大事件起こしてたんですね」


「まあな。 それ故に本家は滅亡させられたわけだが、織田氏に送られた徳川殿はそこで信長殿と出会い、最終的には天下人になられた。もしあの時本家が徳川殿を拉致しておらなんだら、歴史も変わっておったかもしれんな」


 守光の話はとても面白かった。歴史の教科書に載っている人たちが次々と出てくるし、当然の事だがこの江和郷にも戦国時代があったのだと感じさせられた。


「まあ面白い話はこんなもんじゃ。 それ、すまぬがさっきのタバコとやらを一本くれぬか?」


「えっ、でもさっきは『よくもまあこんなものが吸えるな』なんて言ってませんでしたっけ?」


「まあ、そう言わんといてくれ」


 守光は手を合わせながら申し訳なさそうに笑っている。


 俺は守光にタバコを渡して火をつけてやり、自分も吸う事にした。


「守光さん、ひとつ聞いても良いですか?」


「構わんぞ」


「守光さんって、その……死んでるじゃないですか」


 俺の言葉を聞いた守光は煙を多く吸い込んでしまったのか、ゴホゴホとむせ返った。


「おい……ゴホッ、いきな……ゴホッ、いきなりどうしたのじゃ」


「何か驚かせてしまったみたいで、すいません」


「よい、続けよ」


「はい。 守光さんっていわゆる幽霊じゃないですか。 それなのに人を呪ったりとかはしないんですか?」


「人を呪うか……。 考えた事も無かったな」


「考えた事も無かったんですか? よく幽霊って人を呪うとか言うじゃないですか」


「わしは他の幽霊と会った事がないから、呪うとかはよく分からんが、小田原で討ち取られる時は未練というか、気掛かりな事はあったな……」


「それは一体……」


 俺がそう問うと守光は残り僅かとなったタバコを根元まで吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出した。


「聞きたいか?」


 守光の問いに、俺は頷いた。


 守光はタバコを地面に落とし、草鞋で消火すると俺に渡した。


「よかろう」


 守光はニコリと微笑むと、話し始めた。

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