第四話
その週の金曜日、通学のために電車に揺られているとさくらからのメッセージがきた。
『桜輝、この前の約束覚えてる?』
俺はすぐに返信をする。
『うん覚えてるよ』
間髪入れずにさくらからの返信がきた。
『じゃあ明日一一時頃に
『了解!』
面倒だとは思いながらも、俺はそう返信した。
翌日、俺は電車を乗り継ぎ外海駅へと向かった。
普段使わない電車に乗る事に違和感を抱きながらも、『もう一度さくらに会える』と浮かれていた。
一一時に間に合う電車は俺が乗ってきたもので最後だ。これに乗ってないとすれば、俺よりも後の電車に乗っているか、もう既に到着しているかのどちらかだ。
「桜輝おはよう!」
俺は驚きのあまり、一瞬心臓の鼓動が止まる感覚を覚えた。
俺が振り返ると、さくらは不服そうな表情を浮かべこちらに近付いてくる。
「もう、桜輝遅いよ!」
「遅いよって、時間には間に合ってるけど……」
「女の子より遅くきた時点で遅刻です!」
さくらは意地悪く言った。
「ごめんごめん」
俺が平謝りするのを見ると、『へへへ』と笑った。
「全然良いよ、怒ってないし。 ていうか桜輝、今びっくりしてたでしょ!」
さくらは再び意地悪く笑う。
「めちゃくちゃびっくりしたわ! 脅かすなや」
俺はさくらの頭にコツンとゲンコツを入れた。さくらはギャーギャーと騒いでいたが、その姿はとても可愛かった。
さくらは一通り騒ぎ終えると、
「じゃあそろそろ行こうか!」
と言って歩き出した。
そういえば、まだ行き先を教えてもらっていない。
「さくら、そういえば今日は何処に行くの?」
先を行くさくらは振り返りながら、
「着いてからのお楽しみー!」
と言い教えてくれなかった。
さくらは歩く速度を上げた。その速さは帰宅部の俺からしたらかなりキツく、とても着いてはいけない。
「さくら……、ちょっとストップ!」
俺がぜいぜいと呼吸を荒げながら言うと、さくらは立ち止まり俺に歩み寄る。
「もう、桜輝体力無さすぎ! 男の子なんだからこれくらい着いてきてよ!」
「そんな事よりもさくら……、何でこんなに早いの? 今までこんなに速く歩く女にあった事ないんだけど……」
俺の言葉を聞いて、さくらはハッとした表情を見せた。
「ごめん、言ってなかったね。 実は私、陸上部で競歩やってるの! 歩き方のフォームとかは普段と全然違うけど日頃から速く歩く事を意識してたら普段の速度も速くなっちゃったの」
「競歩……?」
そりゃ速いわけだ。帰宅部の俺が着いていけるはずがない。
「とにかく、もっとゆっくり歩いてくれない?」
こんなお願いをする自分が情けない。しかしこのままだと俺は確実にぶっ倒れてしまう。
さくらは『うん』と大きく頷き、俺の速度に合わせてくれた。
それから数分歩くと、さくらは足を止めた。そこは辺り一面が菜の花で覆われていた。
さくらはその菜の花畑を見渡し、大きく深呼吸をした。
「どう、桜輝。 凄く綺麗じゃない?」
「ん〜、特に何も感じないかな」
正直な感想である。昔からいくつもの花を見てきたが、綺麗と感じた事は一度もなかった。
それ故に、花をまるで芸術品のように感じる人の感性が理解できない。
俺の言葉を聞いたさくらは、頬を少しだけ膨らませる。
「もう! 何でこんなに綺麗なのに何も感じないの!」
そんな事を言われてもと思ったが、何も感じないのだから仕方ない。
それにどこかで聞いた事がある。
男と女では見ている景色の色合いが全くの別物らしい。男は見える男の数が女よりも圧倒的に少なく、花や夜景などを見ても特に何も感じない人の割合が非常に多いらしい。
俺は反論もせず、ただ『ごめん』とだけ言った。
さくらも別に怒っているわけではないのか、『いいよ』と言って笑顔に戻った。
さくらは菜の花畑にどんどんと足を踏み入れていく。
今日はいつもより気温が高いせいか、俺の首元がどんどんと汗ばんでいく。
一方のさくらはというと、汗ひとつ見せず爽やかに微笑んでいる。
唐突に吹く微風にさくらの髪の毛が揺れ、良い香りが俺の鼻に伝わる。
「そういえば、さくらって菜の花好きなの?」
俺がそう尋ねると、さくらは足を止め振り返った。
「うん、好き!」
さくらは花の話題になったのがよほど嬉しかったのか、目を爛々と輝かせていた。
「でも菜の花は二番目かな」
「じゃあ一番は?」
「……内緒!」
さくらは意地悪く笑みを浮かべると、近くにあったベンチに座り大きく深呼吸をした。
「こうやってさ、好きな花に囲まれて大きく深呼吸すると幸せだなーって感じるの! 桜輝もやってみなよ!」
俺はさくらに言われるがまま深呼吸をしてみた。特に幸せとは感じなかったが、身体中の邪気が浄化していくような気がし、とても清々しい気分に包まれる。
「さくら……」
「ん?」
さくらは頭の上にはてなマークを浮かべる。
「何でこの前一人で映画館なんて来てたの? しかもあのチケット、前売り券っぽかったし」
「……」
さくらは俯いた。
数秒、俺たちの間には沈黙が流れる。
もしかしたら俺は聞いてはまずい事を聞いてしまったのだろうか。俺は心底焦ったが、さくらはゆっくりと話し始めた。
「私ね、最近付き合ってた彼氏と別れたの。 本当はね、あの日に見た映画もその彼氏と行くはずだったんだ……。 丁度彼氏の誕生日が近かったから、サプライズで連れて行こうとしたの。 だけど振られちゃった。 しかも、降った理由が酷いんだよ! 『他に好きな人ができた』だって! 有り得なくない?」
さくらはこれまで心の奥底で抑えていた感情のスイッチが入ったのか、機銃の如く話だし、次第にその語気も強くなっていく。
終いには声も震えだし、目元が潤んでいる。
この状況をどうすれば良いのか分からない俺は、たださくらの話に相槌を打つ事しかできなかった。
さくらはボロボロと涙を溢す。そんな姿を俺はただ見ている事しかできなかった。
やがてさくらは落ち着きを取り戻し、袖で涙を拭う。こんな時、そっとハンカチを渡す事ができれば良いのだが、それができるほど俺はスマートではない。
俺は自分を恥じた。
「……ごめんね、取り乱しちゃった」
「いや、良いんだ」
俺はさくらが完全に落ち着くのを静かに待った。
やがてさくらも泣き止み、完全に落ち着きを取り戻すと再び話し始めた。
「さっき、本当は彼氏と見に行くつもりだったって言ったじゃん? でも見に行く前に振られちゃって、でも私も観たかった映画だから、どうせなら観に行こうって思ったの」
「そこで券売機の前にずっと立ってる俺を見つけたと……」
「正解!」
さくらは親指を立て、俺に向けた。
「最初は全然喋らないし、挙動不審だし大丈夫かなって思ったけど、自分から『飲み物買いに行く』とか言って走り出す姿を見たら、何だか安心しちゃったんだよね」
さくらは穏やかな表情を浮かべていた。あの日、人見知りの俺がとった行動はちゃんとさくらを安心させていたらしい。
「そうだ! 来月ゴールデンウィークでしょ? また何処か遊びに行こうよ!」
「ああ、別に良いよ。 俺、特にやる事無いし」
「何それ! 『暇だから付き合ってやる』みたいな言い方―!」
「別にそんなんじゃないし!」
俺がそう強く反論すると、さくらは手を叩いて笑っていた。
さくらは本当に人当たりが良い。俺とは違い、誰とでも仲良くなれるその性格を鑑みるに、きっと学校でも沢山の友達がいるのだろう。
「じゃあお腹も空いたし、そろそろ行こっか!」
さくらはそう言うと俺の手首を掴み、立ち上がった。
「桜輝! お昼は桜輝の奢りね!」
「は? 何でだよ」
「遅刻した上に、私を泣かせたから!」
「だから遅刻はしてねえよ!」
俺たちはそんな言い争いをしながら、菜の花畑を後にした。
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